1月29日はすごい満月でしたね。道行く親子や高齢者たちが「うわ~、満月だぁ~」なんて言っていましたので、帰宅してから調べたらあれは「ウルフムーン」っていうんだってね。 夕食を食べたあと、しばらく満月を眺めていたら、むかし作治さんから聞いた話を思い出しました。どんな話かというと…… 昭和60年頃のことだったかなぁ… まだ若かった私は、毎夜のごとく福富町や野毛を呑み歩いていた。行先はいろいろで、いちばん多かったのは「エイトセンター」だった。ここは桜木町駅前にあった「桜木町デパート」という飲食&物販のビルが解体されて追い出された店のうち、40数軒の呑み屋が入居した専門店街で、社会党の国会議員も出入りしていた伝説のビル(現存)である。 そのエイトセンターの向かいのブロックに、キャバレー「満月」(もしかしたら「ルナ」だったかも)があった。私は夜ごとネオンサインを見ているだけで入ったことはない。 あるとき、そこで事件が起きたことを作治さんから聞いた。 ここから先はコチラを聴きながら読んでね♪ 作治さんはロシア語の先輩であり、バイカル湖キャンプの指導者でもある。そのオジサンから聞いた話だ。 根が真面目な作治さんはキャバレーなどに行く人ではない。そんな彼が「満月」に行ったという、しかも、そこで事件が起きたとは、耳を疑うような話であった。 もちろん一人であの階段を登ったわけではない。連れがいたという。一人はクソ真面目なエスさん。もう一人はおしゃべりなケイさん。 素面(しらふ)だったのか、2次会だったのかは聞きそびれたが、とにかく3人でキャバレーに入ったのだ。 おそらく、それに見合う3人のホステスがついたのだと思う。ボックス席で男女が6人。どういう座り方をしたのだろうか。 オジサン対ホステスだよ。6人掛けのボックス席に男性が1列、ホステスも1列……、それじゃあ、まるで集団お見合いみたいだ。 それぞれ2人掛けのシートに別れて3組か? たぶん、そうなんだろうと思う。 そこでどんな風に、呑みながら遊んでいたのかは不明だが、何時間か過ごしたあと、お会計の時になって3人とも驚愕したという。なんと! 請求額が*万円だったのである。 しかし、3人の財布やポケットにある現金はそれぞれ数千円! 全員合わせてもまったく足りないのだった。 こうなったら仕方ない。足りないことをお詫びして土下座するか、それとも2,3日ここで働くか、最悪の場合は身元を公表されるか、そんな状況だったらしい。 真面目で、人を思う心のある作治さんは、店の人にこう告げたという。 「今から自宅に戻り、現金をかき集めてくるから、それまで待っていてほしい」と。 店はそれでOKしたそうだ。もちろん参加していたエスさん、ケイさんも異論のあるはずがない。 ということで作治さんはふらつく足で家に帰り、引き出しや押し入れに隠してある*万円の「へそくり」を懐に入れてキャバレーに舞い戻った。 再び階段を登って店に入り、「これでお会計をお願い」といいながら現金を出すと、意外な答えが返ってきた。 「お客さん、これじゃぁ、足りません」 作治さんはビックリして聞き返した。 「えっ!? だって、さっきのお会計で*万円だって言ったではないですか」 「そうですよ、さっきまではね」 「さっきまでって、どういうこと?」 黒服の店員が指さす先を見たら、なんと、エスさん&ケイさんがさらにビールを追加してホステスと一緒に呑み交わしていたのだった。 その後どうなったのかは、詳しい話を聞いていないので分からない。追加料金を支払って帰ったのか、それとも一緒になって再び盛り上がったのか……。 それにしてもケイさんってのは、すごい人だった。某大手企業に勤めるかたわら、ロシア語やロシア民謡などにも首を突っ込んでいた。 ここからは、「満月事件」の起きたずっとあとの話になる。 あれは、平成時代の頃だったと思う。エムさんというロシア語、ロシア文学の先生がいた。ケイさんがその人を講師とする講座を開いたときのことだ。 タイトルは「Ясная Поляна」。トルストイの生地として知られているところだが、先生の話では、これに関連して「陽の当たる場所」のことを何か解説をしていた。最近、このときの話を思い出そうとしているのだが、まったく浮かび上がってこない。 先生は何を話したんだろうか……。 ボケた頭ではなにも思い出せないのだが、講座のあとの出来事だけは鮮明に覚えている。 イベント終了後、先生をねぎらうため、私とケイさんとで野毛にある紳士の酒場「叶家」でご苦労さん会をやった。あの当時は今みたいにきれいな店舗ではなく、昭和の雰囲気漂うレトロな居酒屋で、ロシア文学を語り合うにはふさわしい酒場だった。 宴もたけなわになってきた頃、ケイさんがひとつの提案を出してきた。 「先生、トルストイをもっと深く知るためにも、これからキャバレーに行きましょうよ」 これにはビックリした。私は自分の分だけはまかなえる程度の余裕があったからいいものの、先生の分までは負担できない。 先生も、「いやいや、家まで遠いし、資金もないし…」と言って断っていたが、ケイさんは「そんなことないでしょ、今日中に帰れるし、資金だって、ほれ、こんなにあるじゃないですかっ!」と、先生の内ポケットからこの日もらったばかりの講演料を取り出して高く掲げたのであった。 今でも目に焼き付いている光景。 先生は今もご健在なようである。できれば、もう一度会ってトルストイの話をお聞きしたいと思う。 満月を見て思い出した話。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
2階で友里と言うロックバーが有り毎晩行ってましたよ
そうですね。店に社会党の大出俊さんの札が有りました。そう言う関係何ですね。あの頃の福富町は良い街でしたね。
ちょっと危険な街でしたが街全体が生き生きしてましたね。
酔華さん次の店はロシア文字をスキンシップで感じる
相生町に行ったのですか? 笑)
ムーテェ懐かしいですね!ムオンはヒッピー系の店ですね。ジャンルが違うので行きませんでした。相生町だと思います。ムーテェは福井ビル地下ですよね。
毎晩、友里とムーテェの⇆です。従業員のモーさん覚えてますか?背が高く髪がモシャモシャの方です。
ムーテェの側に百海と言うやっぱロックバーは行きましたか?
日の出町はグッピーですね!あそこはライブで演りました。
ミドリムシさん何処かで遭遇してますね 笑)
酔華さんすみません。酔華さんのホームページで関係無い話題で 🙇♀️ お許し下さい
何処かと勘違いしてました、
福井ビル、懐かしいですね。
呑み屋さんには入ったことなかったけど、
よくこの前を通ったもんです。
路上には〇〇の売人がいました。
>作治さん
講座での話はルナではなく、太陽でした。
日の当たる場所とか。
>イサさん
グッピーは2,3回しか行ってないです。
うちのベーシストが好きで連れて行ってもらいました。
エイトセンターには大出俊の看板が架かっていましたね。
呑んでいる後姿を時々見かけました。