石川町駅の北口。改札口は元町方面に向いているので、ここを出て左に行くと横浜中華街への近道である。右に行くと寿地区への近道だ。 大晦日の今日、石川町駅に降り立った私は改札口を出て右に向かった。近道ができる前は、コチラしか中華街へのアプローチがなかったのを忘れている人々も多いのではないかと思う。 少し遠回りになるけど、今でもコチラ側から中華街へ行けるのだが、私はこの先を左に折れて年末の寿地区へと向かった。 その途中にある吉浜町公園。 普段は時間のたっぷりあるオジサンたちが、日がな一日、ひなたぼっこをしていたりするのだが、さすがに大晦日ともなると人っ子一人いない。 陽射しのない公園には、オジサンたちが食べたカップ麺の容器が、冷たい北風に吹かれてコロコロと転がっているだけだった。 そんななか、コブシはモフモフとしたツボミをつけ、間もなく来るであろう春の気分を少しだけ感じさせている。 そんな公園から数十歩で寿地区に入る。道路を歩く人はほとんどいない。寒いからねぇ、住民の皆さんは簡宿(簡易宿泊所)に閉じこもっているのかな。 だが、この先を右に曲がると、大勢の男たちが集まっている場所に出る。そこは寿公園だ。 この日程表は寿生活館の壁に張り出されている。それによると、今日は9時から年越しそばの仕込で、午後3時から配食だ。 公園内には医療・生活・法律・労働などの相談コーナーができている。 これを眺めていたら、小柄なオジサンが私の横に寄ってきて話しかけてきた。 「今日は年越しそばなんだよな」 「そうだよ、15時から配る予定だってさ」 「5時かぁ、まだ時間があるよなぁ…」 「いや、5時じゃなくて15時。15時ってえのは3時のことだからね」 このオジサン、どこかで見たことがあるなぁ…、なんてことを考えながら話をしていると、やっぱり思い出した。 10年ほど前、路上生活をしている頃に知り合った男性だった。(私が路上生活ではなく、オジサンの方が路上にいたのだ) あの頃は週に2,3回、話を交わしていた。 穏やかな人で、栃木県の出身だと言っていた。だからあだ名はトチギ。 こちらから聞いたわけでもないのに、いつも自分の経歴や田舎のことを訥々としゃべっていた。 今日、私の横に寄ってきたオジサンは、あのときの男性だったのだ。 懐かしいな~ でも、そんなこと、相手は覚えていないだろうね。私の感慨など知らぬ感じで、さらに話しかけてくる。 「明日は餅つきだな。2日はカラオケ大会だ……あんた、歌えんのか?」 「いや、自分はダメ……それよりも3日は将棋大会があるぜ」 「将棋はできない……」 こんなとりとめもない話をして、トチギは寿生活館の中に消えていった。 その後、私が向かったのは横浜中華街。 思ったほどの人出ではないが、大通りの中ほどに進んで行くと、やはり小龍包やフカヒレスープなどの容器を抱えた人びとが大勢歩いていた。 そして、食べ放題店の呼び込みがすごい。数年に一度しか来られない観光客は、安くいろいろな料理を食べたいということなのか、どんどん吸い込まれていく。 中では食いきれないほど腹いっぱいに食べているんだろうね。 石川町駅の向こう側の町で行われている炊き出しとの落差を感じずにはいられない。 【参考に】 寿地区で炊き出し 神奈川新聞カナロコ 2006~2007年の寿越冬 10年経っても変わらない…… ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
ビックリした記憶があります。
当たり屋が多いので気をつけろ!ともいわれました。
今は凄く綺麗になっていますね~
本年も宜しくお願い致します。
昨日、FBにひょっこり数年前の投稿が
出てきたのですが、やはり私も、
大晦日に寿町を一人で歩いていました。
横浜にはさまざまな顔があることを、
今年も忘れたくないものです。
よろしくおつきあいくださいね。
お話し 何だか昨年亡くなった友人のことを思い出しました。
子どもの頃のがき大将。その性格を見込まれたのか上野職安 今のハローワークでしょうか。その分室だった山谷の室長だったのです。
激しい人たちを相手に毎朝は喧嘩腰の怒鳴り合いだったそうです。
当時山谷でも炊き出しがあったようです。
私も何かにつけて左右比べて見る癖があります。
ドカジャンなんか着ていたから、よく手配師に声をかけられたもんです。
お会いできなくて残念でした。
>横浜にはさまざまな顔がある
そうですよね。
それなのに都合の良いところだけにスポットを当てたりして…
いろいろお話を聞いておられるんでしょうね。
>私も何かにつけて左右比べて見る癖があります
私も同じです。