鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

9月16日、どんよりとした曇り空である。

2008-09-16 08:47:14 | 直言!
台湾に行った台風がUターンして日本に向かっているという。
今日は冷房を入れなくてもヒナヤリとしている。
昨日は鶴橋11時半過ぎに着かないといけないので忙しかった。
明日も9時半過ぎに大阪の芦原橋に着かないといけない。
またバタバタしそうだ。
今日は膝治療で病院行、それがすむとまたしなければならない用事がいろいろある。
そんなことを考えながらなにげなしに高円山を見ると山と雲と間の隙間にできた白い雲、これは水蒸気が上ってできたのりだろうか。
こんな雲は初めて見た。
自然の摂理や科学的なことは分からないが始めてみた景色だったので写真に撮った。自然はいろんなふうに変化をしていく。
写真を撮り続けている人はだから自然の織り成す景色の撮影がやめられないのだろう。

昨日もバタバタしていた。
生野区で敬老会の現場を終えてタクシーに乗って鶴橋駅に向かっている時コリアタウンの行く道途中で知人を見た。
兵庫県の湊川高校で教師をしているBさん。伊丹市から2時過ぎに鶴橋を歩いている。たまたまタクシーが赤信号で停まっていたのでタクシーの側を歩いているのでタクシーの中からトントンと窓ガラスを叩いた。
気がついてタクシーの方を見てくれた。
タクシーの運転手も窓ガラスを開けてくれた。
私は「またなんでこんなところに」と声をかけると、自分たちの活動している会合の集まりがあるというのでこれから行くと言う。
大阪市は早くから国籍条項を撤廃して在日コリアンの教師を多く採用している。何らかの形で在日コリアン子弟たちにも学校教育の中で韓国語を授業に取り入れていく模索をしている人たちである。
以前はよく会合の現場に入って取材していたが最近は顔を出していない。
全国で日本の学校で教師や講師、韓国語講師などが集まって活動しているグループの会合に出かけて行かれた。
皆、ふだんは自分の職場で仕事をしていて休みになると自分たちの活動している。

昨日は出かける前に同級生から電話があった。
今は京田辺市に住んでいる。彼は木津の山奥、鹿背山の生まれで家はお寺である。お父さんは社会の先生、木津中学校で歴史を担当していた。
兄が後を次いで住職をしていて彼も庵を構えて人のために働いておられる。
私も歴史でお父さんに習った。
世界史だったがみたこともない外国、初めて聞く世界文明の成立ち、それでも分かりやすい授業だったが今はすっかり忘れてしまった。
覚えているのは「メソポタニヤ」ここでの文明そして川の名前など教わったが全部忘れてしまった。
彼は宇治市で尹東柱に関係する会合の代表と知人という。
それで21日の会合のお知らせだった。
案内は来ていたがまだ石碑の建立場所が設定できていないので今回の取材は見送ることにしていた。
しかしまた他の大事な現場が入った。
大阪・JR芦原橋で降りて約10分歩くと、リバティ大阪という資料館・展示館がある。9月17日から10月5日まで在日本大韓民国民団中央本部が何年かかけて日本全国の在日コリアンの家庭に残る生活道具また日本植民地時代に交わされた文書、日本に渡航するときの書類、仕事道具、写真の数々等を収集した。
そして2006年11月、在日韓人歴史資料館を開館した。
私はオープンの日に他の所用も兼ねて東京に行きオープンセレモニーで資料館を見学した。
1世たちが日本で生きてきたそのままの歴史資料館、涙がでそうになりながら見学した。その資料など大阪に持ってきての展示である。
韓国の観光客も資料館に立寄って見学、また東京にいく所用を兼ねて見学している人も多いが大阪から大阪の地で見たいという多くの要望に応えて今回、大阪の移動展示となった。
17日にオープンセレモニー、21日は歴史資料館の館長とリバテイィ大阪の館長の講演が開かれるのでその講演会の現場が入っている。それで同級生が声をかけて下さった尹東柱を偲ぶ会の現場に入れなくなった。
リバティ大阪は下記を検索すると今回の歴史資料展が検索できます。時間と関心のある方は1度、訪ねてみて下さい。

http://www.liberty.or.jp/plan/index.html

在日コリアンの同胞の若者たちに見てほしい。
たとえ日本国籍を収得してもけっして日本人になれない。
このことをいつか年を重ねた時に身に染みてくることになる。
そんなときに心の葛藤が始まる。そのときに答えを出してくれるのが帰化をしていてもありのままに生きることとやっと自分で答えを見つけていく。
ありのままに生きることは自分のルーツをいつも念頭において生きることである。念頭に置くということは知らなければならない。
ルーツの歴史がいっぱい詰まっている資料です。
ルーツを子どもたちにも教えていく1つの方法の学習教材です。目で触れて歴史を振り返り1世が日本で生きぬいたたくましさと負けない精神強さを省みて1世の生き様にやっと納得する。そうすると自分が何者か。そのことに考える材料になっていく。
けっして日本人になれない血が流れているということを認識していく。
そして民族を卑下することも民族を区別することや差別することからどうして向き合っていくのか考えて次世代に正しい日本の歴史を伝えて行くことができる。
3世たちは韓国語の知らない韓国文化もあいまいにしか知らない2世の親から育った。ほとんどは日本の学校に行った。1世が築いた経済構築、豊かな家庭環境で大学にも行き日本国籍を収得して大手企業に就職した。
自分が在日コリアンのルーツをひたかくしに隠している若者たちを見ると胸が痛くなる。
「在日コリアンのどこが悪いの」「在日コリアンの歴史は日本が作ったものなのにどうして隠しているの」「ルーツを隠すことは親を否定すること」と言いたいがその人の人生にも事情があると思ってぐっと黙っている。
何も卑下することないのに卑屈になっている在日コリアンの若者を見ると「なぜ」と言いたいが我慢している。
そんな人たちに是非見てもらいたい。
なにぶん、ルーツを隠している人はそうした資料館に足は向かないだろう。
しかし1度踵を返して見てもらいたい。
あいまいな韓国文化で育った2世にも責任がある。夫は京都市内のど真ん中で育った。日本人からの差別がきつかったと話す。私は幸いに田舎で育ち、親は苦労したが不登校になるほどの差別は受けていない。
友達づくりのできなかった私、小学校時代はあまりいい思い出はないが都市で暮らした在日コリアンの受けたといういじめはなかった。
そんなことで「国籍を隠し通す人が多い」と夫から聞くが私はこれがまた理解できない。親からは「国籍を隠さないで生きていくこと」を何度も言われて育ったのでこれが理解できない。
隠し通すほどしんどいものはないと思っている。
日本社会で暮らしていると法的にまだまだ差別されている。
就職も思うようにならない。結婚も10人のうち国際結婚8人と言うが子どもの戸籍で帰化をしていく。
そんな現実に決して1世の歴史、日本がした植民地支配を忘れないでほしいという願いを込めて民団中央本部の関係者が資料館づくりのために資料収集に日本全国をまわって資料収集をした。
この役目は2世の責任と考えて関係者は奔走した。
そして2006年の秋、やっとオープンした。今も資料収集が続いている。
家に1世が使っていた道具や文書類、ぜひご一報下されば関係者は対応します。

在日韓人歴史資料館のホームページは

http://www.j-koreans.org/

これから病院行の支度をしなければならない。

同級生の電話から話が違うところにとんだ。時間と関心のある方、またルーツを持っている方、ぜひ1度訪問して下さい。

写真は朝7時15分ごろ、自宅から撮影した高円山です。
山と雲の間の水蒸気のたまった雲が珍しいです。

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