奈良ロイヤルホテルで行われます。
12時からです。
朝7時半にパソコンの前に座ったが何かと雑用が多かった。
ブログを書こうと思ったらもう8時です。これは急がないといけない。
昨日は小・中・高校と一緒だった同級生に電話で話をした。
この3年と少し心の塊を持っていたことをやっと同級生に話をした。
なぜ今まで話さなかったのか。
話しても悪口になるので話さなかった。
けれど3年間、心の中に持っていた。
だんだん塊が大きくなってくる。
忘れようと努力しているがなぜかずっと心に引っかかっていた。
人それぞれに見解の相違はあるが親しい中でもいってはいけない礼儀もある。
それを私はモロに受けて心の傷になっている。
私はめったに怒らないので好き勝手に気配りもしないでいい続ける。
私も普通の凡人、怒りもあれば立腹もある。
そうしたことに配慮できなかった人の気持ちを見抜けなかった私がアホだと思ってずっと我慢して言わなかったが3年過ぎてから声に出して人前で話すようになった。誰が聞いても配慮と思いやりの足りない彼女たちにもう私は辟易している。1度辟易して50歳の時に「食事いっしょにしないか」といわれたときに私は「もうあんたらと会いたくない」といって10年間、会わなかった。
60歳を過ぎてこのままでいけないと思ってくれた中の1人が奈良で会うようにした。奈良では何事もなかったが翌年の京都での逢瀬でものすごく私は傷をつく言葉をたくさんたくさん浴びることになった。
私は腹を決めた。
「もうこまの人たちと会わない」と。それから3年半が過ぎた。
やっと言葉に出して周りの同級生に話すようになった。
昨日はまた他の同級生に話した。
同級生は聞きたくなかったかもしれない。人の悪口は----。
昨日は一気に私は同級生に話をした。
心の中が少し空洞ができて軽くなったような気がする。
私が人に聞いてもらった分、今度は女友達と会って私が今度、女友達の心のわだかまりを1時間以上聞くことになった。
これで私が人に聞いてもらったことが私も聞くことになった。人生こうしてくるくる回っているのかもしれない。
昨日どうしても私に話したかったのだろう。急に彼女は「仕事がなかったら会わない」と---。他の事も入れてメールを頂いた。
電話が話中だったのでメールをしたのかと思ったで私から電話すると「今日会わない」と-----。私は若いとき、雑誌記者時代や在日韓国人の新聞の日刊紙時代、私の時間に合わせてよくあって不満を聞いてくれたので近年は私が合わすようにしている。
27日、に天理駅のバス乗場のベンチで座って待っていると隣の高齢者の婦人が私に話しかけてきた。時計は3時18分。
「ここで5時に娘が迎えに来てくれるのを待っている」と。
そして私に話した。
私は橿原市八木でパチンコをした。パチンコはボケ防止でいっている。
八木で500円を入れてパチンコすると出るわ。出るわ。もうやめてと言っても出るわ。出るわ。それで10万円を儲けました。こんなのは初めて
ここのパチンコ屋さん。お金に換えるとき他のパチンコ屋より割がいいととか。
今日も天理のパチンコ屋に言ったけれど3万円負けた。どんな日もある。
年金をもらっている。84歳だが私らの年代の年金の受給は1番多いのでかけていてよかった。これからの子どもどうなるのかわからへん。私はもうそろそろお迎えが来るしな。
私は「10万円のお金は貯金しましたか」と聞いた。
高齢者の婦人は「いや。それから私は病気になって入院してその入院費に使った。入院していてパチンコにしばらく行かなかったが今日はそこのパチンコ屋に行って負けたわ。後の残りの5万円はまた明日から目の手術するのでそれに使うわ」と話す。
私は「そうですか。ほんまに神さんに感謝して下さい。10万円はそのために儲けさせてもらったのですね」といった。
「せやせや」と応えている。
そしてこの頃は料理も便利になった。もう主人もいないので1人暮らしで、生協で買う食材は電子レンジでチンしたらいいものを買っている。レンジでチンしたらすぐに食べられるものや」
私はその話に昔の嫁と姑を思い出した。
「そんなこと昔は嫁さんに怒っていたのに今は自分でしているのですか」というと「あ。ほんまや。ほんまや。嫁さんになんちゅうことするねんといったけど今はそれはもう炒めてもあって便利でいいので電子レンジで作れるからこればっかりや。ほんま。嫁さんが電子レンジで料理していたらええ気しなかったわ」と話す。
私は時代が変わったなと思っていると私が乗るバスがきた。
私は「バスがきたのでバスに乗ります。気をつけて帰って下さい」といいながらバスに乗り込んだ。
そして高齢者婦人は私の背中にいっている。
「いい人と話しできてよかったわ、面白い人と話ができてよかったわ」というので「ありがとう」といってバスに乗り込んだ。
私はパチンコをする人の気がしれない。
正月、夫の身内とパチンコ屋に行ったことがあったが何分もしないうちに私は
3000円がなくなった。節約すると2日分の食材が買えると思うととてもパツンコをする気持ちになれなかった。
私は夫の身内がパチンコしている間、近くの喫茶店で本を読んでいたことがあった。人それぞれにやりたいことは違うが私は普通の主婦、主婦の感覚からパチンコはできない。宝くじも買うのもやはりできない。
働いてコツコツ貯めるしかない。なかなかたまらないが親がしていたように私も同じことをしている。
さてこれから身支度です。
12時からです。
朝7時半にパソコンの前に座ったが何かと雑用が多かった。
ブログを書こうと思ったらもう8時です。これは急がないといけない。
昨日は小・中・高校と一緒だった同級生に電話で話をした。
この3年と少し心の塊を持っていたことをやっと同級生に話をした。
なぜ今まで話さなかったのか。
話しても悪口になるので話さなかった。
けれど3年間、心の中に持っていた。
だんだん塊が大きくなってくる。
忘れようと努力しているがなぜかずっと心に引っかかっていた。
人それぞれに見解の相違はあるが親しい中でもいってはいけない礼儀もある。
それを私はモロに受けて心の傷になっている。
私はめったに怒らないので好き勝手に気配りもしないでいい続ける。
私も普通の凡人、怒りもあれば立腹もある。
そうしたことに配慮できなかった人の気持ちを見抜けなかった私がアホだと思ってずっと我慢して言わなかったが3年過ぎてから声に出して人前で話すようになった。誰が聞いても配慮と思いやりの足りない彼女たちにもう私は辟易している。1度辟易して50歳の時に「食事いっしょにしないか」といわれたときに私は「もうあんたらと会いたくない」といって10年間、会わなかった。
60歳を過ぎてこのままでいけないと思ってくれた中の1人が奈良で会うようにした。奈良では何事もなかったが翌年の京都での逢瀬でものすごく私は傷をつく言葉をたくさんたくさん浴びることになった。
私は腹を決めた。
「もうこまの人たちと会わない」と。それから3年半が過ぎた。
やっと言葉に出して周りの同級生に話すようになった。
昨日はまた他の同級生に話した。
同級生は聞きたくなかったかもしれない。人の悪口は----。
昨日は一気に私は同級生に話をした。
心の中が少し空洞ができて軽くなったような気がする。
私が人に聞いてもらった分、今度は女友達と会って私が今度、女友達の心のわだかまりを1時間以上聞くことになった。
これで私が人に聞いてもらったことが私も聞くことになった。人生こうしてくるくる回っているのかもしれない。
昨日どうしても私に話したかったのだろう。急に彼女は「仕事がなかったら会わない」と---。他の事も入れてメールを頂いた。
電話が話中だったのでメールをしたのかと思ったで私から電話すると「今日会わない」と-----。私は若いとき、雑誌記者時代や在日韓国人の新聞の日刊紙時代、私の時間に合わせてよくあって不満を聞いてくれたので近年は私が合わすようにしている。
27日、に天理駅のバス乗場のベンチで座って待っていると隣の高齢者の婦人が私に話しかけてきた。時計は3時18分。
「ここで5時に娘が迎えに来てくれるのを待っている」と。
そして私に話した。
私は橿原市八木でパチンコをした。パチンコはボケ防止でいっている。
八木で500円を入れてパチンコすると出るわ。出るわ。もうやめてと言っても出るわ。出るわ。それで10万円を儲けました。こんなのは初めて
ここのパチンコ屋さん。お金に換えるとき他のパチンコ屋より割がいいととか。
今日も天理のパチンコ屋に言ったけれど3万円負けた。どんな日もある。
年金をもらっている。84歳だが私らの年代の年金の受給は1番多いのでかけていてよかった。これからの子どもどうなるのかわからへん。私はもうそろそろお迎えが来るしな。
私は「10万円のお金は貯金しましたか」と聞いた。
高齢者の婦人は「いや。それから私は病気になって入院してその入院費に使った。入院していてパチンコにしばらく行かなかったが今日はそこのパチンコ屋に行って負けたわ。後の残りの5万円はまた明日から目の手術するのでそれに使うわ」と話す。
私は「そうですか。ほんまに神さんに感謝して下さい。10万円はそのために儲けさせてもらったのですね」といった。
「せやせや」と応えている。
そしてこの頃は料理も便利になった。もう主人もいないので1人暮らしで、生協で買う食材は電子レンジでチンしたらいいものを買っている。レンジでチンしたらすぐに食べられるものや」
私はその話に昔の嫁と姑を思い出した。
「そんなこと昔は嫁さんに怒っていたのに今は自分でしているのですか」というと「あ。ほんまや。ほんまや。嫁さんになんちゅうことするねんといったけど今はそれはもう炒めてもあって便利でいいので電子レンジで作れるからこればっかりや。ほんま。嫁さんが電子レンジで料理していたらええ気しなかったわ」と話す。
私は時代が変わったなと思っていると私が乗るバスがきた。
私は「バスがきたのでバスに乗ります。気をつけて帰って下さい」といいながらバスに乗り込んだ。
そして高齢者婦人は私の背中にいっている。
「いい人と話しできてよかったわ、面白い人と話ができてよかったわ」というので「ありがとう」といってバスに乗り込んだ。
私はパチンコをする人の気がしれない。
正月、夫の身内とパチンコ屋に行ったことがあったが何分もしないうちに私は
3000円がなくなった。節約すると2日分の食材が買えると思うととてもパツンコをする気持ちになれなかった。
私は夫の身内がパチンコしている間、近くの喫茶店で本を読んでいたことがあった。人それぞれにやりたいことは違うが私は普通の主婦、主婦の感覚からパチンコはできない。宝くじも買うのもやはりできない。
働いてコツコツ貯めるしかない。なかなかたまらないが親がしていたように私も同じことをしている。
さてこれから身支度です。
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