場所を間違っては大変だ。時間より10分前に入らないといけない。
目的のビルは毎日放送のすぐ近くにある。梅田にある阪急電鉄の側の茶屋町から少し歩いたところである。
50分前に目的のビルに着いた。
いくら何でも早すぎると考えてすぐ側にあった結婚式場の喫茶に入ってコーヒーを飲みながら取材資料を読んだ。
15分前にでて目的のビルに行く。やはり都心とあってセキリュテイーが厳しい。
これだけで私は緊張してしまう。
緊張しすぎて目的の部屋番号がわからない(鞄の中に資料がはいっているのに)
玄関は誰かが入るときに一緒に入って受付に行って聞くとすぐ分かった。
そしてここで気がついた。鞄の中に資料が入っていた。
そしてまたエレベーターにのるときも目的の番号を押さないとエレベーターの扉が開かない。
またこれで都市のセキリュテイーに慣れていない私は戸惑う。
なんとか皆さんがきちんと教えてくれたので目的のところに行くことができた。
私はこうした都市のセキリュテイーにはどうも不慣れである。
古民家が多く並ぶ奈良市内でも旧市街地に住んでいるのでなんとも戸惑っている。とまどって緊張している。
そして目的の場所に着くと最初に応対して下さった人に緊張がふっとんでしまった。
テレビなどに出演している在日韓国人女性の取材で固いイメージーと思っていたが最初に応対してくれたのが在日韓国人の職員だった。
通名の名刺をだしたが本名を言った。その意味がわからなくてもう1度名前を確認すると本名を言ってくれた。
心の緊張の鎖がふっとんでいった。
そして目的のインビューする在日韓国人女性、話しにくいと思っていたら私の質問内容にそって話してくれた。物事の切れの速さはさりげなくしていく。それでも話す内容は気さくで在日韓国人として誰もが様々な形でぶつかる自分とアイデンテイテイを話してくれた。
私は質問しても答えてくれなかったらどうしょう。どんなふうに私は話しかけていこうとずっと朝から考えていた。この取材がおわれば一時の肩の荷が下りると思ったほどだった。それが有名でフアンも多いのに在日韓国人として生まれたその素質とひたむきさ、前向きにチャレンジをしてきた努力に運もあるが親の育て方がよかったのかな取材しながら考えていた。そして在日韓国人のチャレンジ精神を改めて認識した。他の仕事ではきちんとけじめをつけておられる。それが在日韓国人の新聞ということで在日韓国人そして日本社会でお役に立つならと自身の生き方をありのままに話して下さった。それだけでもう私の心は安堵していた。心の中はポカポカしていた。
在日韓国人の若い世代、色んな形で活躍している。若者たちの活躍は日本に渡日してきた1世の命のつなぎである証を見せてくれている。
もって生まれた感性は両親から受け継いだ民族の血と日本社会で生きてきたもやもやの証はさらに磨きをかけて韓日の架け橋になっている。
韓国語も韓国に留学して学んでこられた。こうしたことができる若い世代が63歳の私から見るととてもうらやましい。しかし嬉しい。日本社会は必ずきっと変っていく。変らないといけない。努力した分必ず変っていく。
本国韓国人とまた違う感性を持っている在日韓国人と言う感性がようやく日本社会で認められつつあり必要とされてきている。
あれほど緊張していった現場なのに「いつか昼ランチしましょう」と話してきた。前に私が取材したことのある毎日放送のアナウンサーとも大の仲良しだという。「一緒に昼ランチしましょう」と約束して事務所を出た。
行く時はあんなに緊張して行ったのに帰りは心地よい気分で阪急電車駅構内を歩いていた。彼女のがんばっている姿に在日コリアンの次世代にいい励みになることだろう。
親子ほど年が違う在日韓国人女性に今日は会ってきた。私にもし娘がいればこれぐらいなと、考えていた。(たぶん息子の嫁と同じ年かな)
いい時間をありがとう。カムサハムニダ(感謝します)
目的のビルは毎日放送のすぐ近くにある。梅田にある阪急電鉄の側の茶屋町から少し歩いたところである。
50分前に目的のビルに着いた。
いくら何でも早すぎると考えてすぐ側にあった結婚式場の喫茶に入ってコーヒーを飲みながら取材資料を読んだ。
15分前にでて目的のビルに行く。やはり都心とあってセキリュテイーが厳しい。
これだけで私は緊張してしまう。
緊張しすぎて目的の部屋番号がわからない(鞄の中に資料がはいっているのに)
玄関は誰かが入るときに一緒に入って受付に行って聞くとすぐ分かった。
そしてここで気がついた。鞄の中に資料が入っていた。
そしてまたエレベーターにのるときも目的の番号を押さないとエレベーターの扉が開かない。
またこれで都市のセキリュテイーに慣れていない私は戸惑う。
なんとか皆さんがきちんと教えてくれたので目的のところに行くことができた。
私はこうした都市のセキリュテイーにはどうも不慣れである。
古民家が多く並ぶ奈良市内でも旧市街地に住んでいるのでなんとも戸惑っている。とまどって緊張している。
そして目的の場所に着くと最初に応対して下さった人に緊張がふっとんでしまった。
テレビなどに出演している在日韓国人女性の取材で固いイメージーと思っていたが最初に応対してくれたのが在日韓国人の職員だった。
通名の名刺をだしたが本名を言った。その意味がわからなくてもう1度名前を確認すると本名を言ってくれた。
心の緊張の鎖がふっとんでいった。
そして目的のインビューする在日韓国人女性、話しにくいと思っていたら私の質問内容にそって話してくれた。物事の切れの速さはさりげなくしていく。それでも話す内容は気さくで在日韓国人として誰もが様々な形でぶつかる自分とアイデンテイテイを話してくれた。
私は質問しても答えてくれなかったらどうしょう。どんなふうに私は話しかけていこうとずっと朝から考えていた。この取材がおわれば一時の肩の荷が下りると思ったほどだった。それが有名でフアンも多いのに在日韓国人として生まれたその素質とひたむきさ、前向きにチャレンジをしてきた努力に運もあるが親の育て方がよかったのかな取材しながら考えていた。そして在日韓国人のチャレンジ精神を改めて認識した。他の仕事ではきちんとけじめをつけておられる。それが在日韓国人の新聞ということで在日韓国人そして日本社会でお役に立つならと自身の生き方をありのままに話して下さった。それだけでもう私の心は安堵していた。心の中はポカポカしていた。
在日韓国人の若い世代、色んな形で活躍している。若者たちの活躍は日本に渡日してきた1世の命のつなぎである証を見せてくれている。
もって生まれた感性は両親から受け継いだ民族の血と日本社会で生きてきたもやもやの証はさらに磨きをかけて韓日の架け橋になっている。
韓国語も韓国に留学して学んでこられた。こうしたことができる若い世代が63歳の私から見るととてもうらやましい。しかし嬉しい。日本社会は必ずきっと変っていく。変らないといけない。努力した分必ず変っていく。
本国韓国人とまた違う感性を持っている在日韓国人と言う感性がようやく日本社会で認められつつあり必要とされてきている。
あれほど緊張していった現場なのに「いつか昼ランチしましょう」と話してきた。前に私が取材したことのある毎日放送のアナウンサーとも大の仲良しだという。「一緒に昼ランチしましょう」と約束して事務所を出た。
行く時はあんなに緊張して行ったのに帰りは心地よい気分で阪急電車駅構内を歩いていた。彼女のがんばっている姿に在日コリアンの次世代にいい励みになることだろう。
親子ほど年が違う在日韓国人女性に今日は会ってきた。私にもし娘がいればこれぐらいなと、考えていた。(たぶん息子の嫁と同じ年かな)
いい時間をありがとう。カムサハムニダ(感謝します)
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