ある集まりである引継ぎのノートの確認作業である。
昨日だったのか。日活で活躍した山内賢さんの訃報記事を見た。
67歳、私と同じ年である。何か年をとってくると同じ年齢の人の訃報記事に身につまされる。
1944年生まれの私の世代、この前後の世代は日活映画スターと一緒に青春を送ってきた。そして石原裕次郎フアン、加山雄三フアンとそれぞれにスターに夢中になった。青春の1コマがまた1つ消えていった。
1960年代の初め、何も物がない時代に私たちは過ごした。
流れてくる歌はほとんどラジオからだった。
スターの名前は町の映画館に張り出されたブロマイドで覚えた。
やがて家にテレビが入るやっと歌手の顔が映像で見られるようになった。
そんな時代だった。
昨日の夜、洋画「大脱走」が放映されていた。
映像が始まる前に大脱走の音楽が流れる。なんとも言えない懐かしさがこみ上げてきた。1960年代の半ば、男女関係なくこの映画を見るために映画館に行ったものだった。私は残念なから見ていないが音楽はよく聞いた。
どこからかよく耳に入った。
昨日の夜、この映画を見ていると遅くなるので見なかった。
夫はこの映画を始まるときは寝ていたが知っていると起きてくるだろう。
何度も見ているのにまた見るほどこの映画が好きだった。
また1960年代の半ば十戒の映画、洋画で日本の町のあちこちで放映された。
今は奈良の町に映画館がないということは他の地域でも映画館がない町もあるだろう。時代の移り変わりにいろいろと思ってしまう。
昨日は朝10時前に自宅を出た。
10時59分の中循環バスに乗れた。
近鉄奈良駅に着くと10時5分、南都銀行のキャッシュコーナーに行って駐車場料金を振り込みして今度は文房具屋によって資料をコピーする。
それなりに量があるので鞄に入れると重い。
近鉄奈良駅の構内のロッカーに立ち寄って資料をロッカーに入れた。帰りに持って帰るが持って歩くのが重い。
そして行きつけの喫茶店に行くと10時半、早いがジャムトースト1枚食べて昼食にした。
そして新聞2紙を読んでいく。
新聞を読み終わると本を読んだ。
12時半に出た。
西大寺に出て橿原神宮行きの普通に乗り換えて筒井駅に向かった。
筒井駅で降りて取材する人の携帯に電話を入れた。
すぐ迎えに来て下さった。
1時半過ぎから取材。話が楽しくてつい長くなってしまう。
あわてて終えて筒井駅まで送ってもらった。
電車が入ってきているがトイレをしたい。
4時27分の西大寺行き普通が行ってしまった。
38分の西大寺駅まで待合室で待った。
日はまだ明るい。
車窓から田園の中に彼岸花が見える。この彼岸花も後、少しである。
西ノ京駅に来ると懐かしい私の20代を思い出している。
この近くに唐招提寺や薬師寺があって子どもたちは写生大会になるとここに来て描いたものだった。
この近くに奈良市立都跡小学校がある。
そして奈良市立都跡幼稚園が併設していた。
息子たちはこの幼稚園に通園した。
年長組の担任がサバンナ八木のお母さんだった。
懐かしい光景があれこれと浮かんでくる。
そのうちに西大寺駅についた。
奈良行きの電車に乗り換えて電話をマナーモードから解除した。
そしたら夫からすぐに電話が入った。
今、近鉄奈良駅の近くにいるという。
もう夕食の支度が間に合わない。
駅構内で寿司を買って夫の待っている車の所に行った。
家に帰ると慌しく家事をしてシャワーを浴びて慌しい夕食になった。
これから身支度して出かけます。
昨日だったのか。日活で活躍した山内賢さんの訃報記事を見た。
67歳、私と同じ年である。何か年をとってくると同じ年齢の人の訃報記事に身につまされる。
1944年生まれの私の世代、この前後の世代は日活映画スターと一緒に青春を送ってきた。そして石原裕次郎フアン、加山雄三フアンとそれぞれにスターに夢中になった。青春の1コマがまた1つ消えていった。
1960年代の初め、何も物がない時代に私たちは過ごした。
流れてくる歌はほとんどラジオからだった。
スターの名前は町の映画館に張り出されたブロマイドで覚えた。
やがて家にテレビが入るやっと歌手の顔が映像で見られるようになった。
そんな時代だった。
昨日の夜、洋画「大脱走」が放映されていた。
映像が始まる前に大脱走の音楽が流れる。なんとも言えない懐かしさがこみ上げてきた。1960年代の半ば、男女関係なくこの映画を見るために映画館に行ったものだった。私は残念なから見ていないが音楽はよく聞いた。
どこからかよく耳に入った。
昨日の夜、この映画を見ていると遅くなるので見なかった。
夫はこの映画を始まるときは寝ていたが知っていると起きてくるだろう。
何度も見ているのにまた見るほどこの映画が好きだった。
また1960年代の半ば十戒の映画、洋画で日本の町のあちこちで放映された。
今は奈良の町に映画館がないということは他の地域でも映画館がない町もあるだろう。時代の移り変わりにいろいろと思ってしまう。
昨日は朝10時前に自宅を出た。
10時59分の中循環バスに乗れた。
近鉄奈良駅に着くと10時5分、南都銀行のキャッシュコーナーに行って駐車場料金を振り込みして今度は文房具屋によって資料をコピーする。
それなりに量があるので鞄に入れると重い。
近鉄奈良駅の構内のロッカーに立ち寄って資料をロッカーに入れた。帰りに持って帰るが持って歩くのが重い。
そして行きつけの喫茶店に行くと10時半、早いがジャムトースト1枚食べて昼食にした。
そして新聞2紙を読んでいく。
新聞を読み終わると本を読んだ。
12時半に出た。
西大寺に出て橿原神宮行きの普通に乗り換えて筒井駅に向かった。
筒井駅で降りて取材する人の携帯に電話を入れた。
すぐ迎えに来て下さった。
1時半過ぎから取材。話が楽しくてつい長くなってしまう。
あわてて終えて筒井駅まで送ってもらった。
電車が入ってきているがトイレをしたい。
4時27分の西大寺行き普通が行ってしまった。
38分の西大寺駅まで待合室で待った。
日はまだ明るい。
車窓から田園の中に彼岸花が見える。この彼岸花も後、少しである。
西ノ京駅に来ると懐かしい私の20代を思い出している。
この近くに唐招提寺や薬師寺があって子どもたちは写生大会になるとここに来て描いたものだった。
この近くに奈良市立都跡小学校がある。
そして奈良市立都跡幼稚園が併設していた。
息子たちはこの幼稚園に通園した。
年長組の担任がサバンナ八木のお母さんだった。
懐かしい光景があれこれと浮かんでくる。
そのうちに西大寺駅についた。
奈良行きの電車に乗り換えて電話をマナーモードから解除した。
そしたら夫からすぐに電話が入った。
今、近鉄奈良駅の近くにいるという。
もう夕食の支度が間に合わない。
駅構内で寿司を買って夫の待っている車の所に行った。
家に帰ると慌しく家事をしてシャワーを浴びて慌しい夕食になった。
これから身支度して出かけます。
プログで 石原裕次郎で 検索しています。
私は 銀幕スターの裕次郎さんが 大活躍されたことを 知らない世代です。どの映画が 今一般が 見ても 面白いかなぁ?レンタルDVD全作品あるかなぁ?
裕次郎さんが テレビ時代に挑戦した頃の 太陽にほえろ時代を 少し 知っています。世界的 歴史的 美男を探す会(名前検討中
石原裕次郎を語る会
石原裕次郎の歌もいいです。DVDやCDを探して見て下さい。まだあんなに格好いいスターは現れていません。時代を映した青年でした。1950年代後半から1960年代、人々に夢を与え生きる力をたくさんくれました。映画はDVDを探してみて下さい。たまに新聞広告などで昭和の映画などが掲載されていますので---。昭和は戦争もあって大変な時代でしたが戦後の日本を復活するように彗星のように石原裕次郎が登場、日本の高度成長の波及のエネルギーになりました。