鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

5月5日(土)晴。

2018-05-05 08:43:43 | 直言!
今朝、更新したフエスブックを貼り付けておきます。

5月5日(土)晴。今日は子どもの日で祭日、室温は24度、44%、大型連休も今日いれて2日になった。私の家はいつもどおり平凡に過ごしていた。それでいいと思っている。
今日はケアハウスに行きます。今朝、食べたものはご飯、玉子焼き2個、キュウリとみょうがのインスタント韓国キムチ、夫が朝作った。これは簡単。材料に韓国のニンニク唐辛子を混ぜるだけです。
ふりかけ、味噌汁はワカメ、ごはん少しおかわりをした。今日は多い460もありそうだ。控えないといけない。
5月3日は、憲法記念日、日本人も最近の安部内閣にいろいろ思うところがあってデモなど抗議が行なわれてている。
しかし在日はただ傍観しているだけです。日本人のほとんどは学校教育で教えられていないのでほとんど知られていない。私も日本公立学校で学び、在日の歴史は父親から聞くだけだった。そしてややこのことを知るようになったのは在日の中で記者をするようになって取材しながら学んできた。
民団中央本部の徐元喆さんの書かれたフエスブック、解説がわかりやすいので、私のフエスブックに貼り付けた。ぜひ参考資料にしてもらいたい。
私は父親から「外国人とみなす」機構をよく聞かされた。それも日本政府はひどいと、いっていた。憲法が制定される5月3日の前日、5月2日、朝鮮半島の出身者は「外国人とみなす」として全国の自治体などに通達された。そして憲法が制定された5月3日に日本国籍から離脱、朝鮮籍と書きこまれた。これに反対するものは韓国籍の切り換えを抗議してきた。民団、総連と南北分断は二分化されていくが、父親のように、朝鮮全土が故郷であるという世代、南北分断は受け入れられなくて、日本政府のしたように朝鮮籍にしたままだった。晩年、父親は「かってに朝鮮籍にした。これから日本政府がどうなるか見てやる」といって韓国籍に変えなかった。子供たちにもそういっていた。私は嫁いだ娘なので早くに韓国籍にきりかえたが、弟たちはそう簡単にできない。父親が他界してから韓国籍に切り換えた。日本文化や日本食が好みだったのに日本国籍にすることは大反対だった。
私が投稿する「雑記帳の集い」の冊子の原稿に「国籍」のことを何年か前に書いた。私の原稿を整理していたデスクを通して編集者から問い合わせがあった。
憲法論の中に「外国人とみなす機構が書かれていない」という。なるほど、日本人には聞きなれない言葉である。論議するほど私はまだまだ認識不足で、そこのところは他の言葉に変えた。
「当分の間、外国人とみなす」という機構で通達した。当分の間は、何も改善されず、そのままに今日に来ている。住民基本台帳に組み込まれて、見えない在日の存在になっている。
「当分の間、外国人とみなす」というところを、もうそろそろ改善して、地方参政権付与というところに来てもいいのではないかと思ってしまう。
憲法記念日になると父親の「当分の間、外国人とみなす」機構を通達して、翌日、憲法制定して在日を排除してきたといつも話していた。排除されたことで民団は差別撤廃運動を繰り返してきた。まだまだ見えないところで差別事象が残っている。
現職を離れてもう何年もなるのに、憲法記念日で父親の言葉を思いだしている。
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