それで暑いのだろうか。
昨日は京都にいる夫の兄の家にむかった。
自宅を出たのが5時40分、山田川、田辺間は高速道路を使っていく。
京都に着いたのは6時50分、夫の兄の法事、本当は13日だったが皆、仕事などの都合があるので土曜日、10日に変わった。13日のライフワークの取材は14日に変えてもらったが法事が10日になった。
仕方がない。
そう何度も変えることができないので14日そのままにした。
法事を終えて帰りは国道24号線で帰る。
懐かしい景色があるが町はどんどんと変わっていく。
このへんに同級生の誰がいたとか思いながら車に乗っている。
ここでまた思い出した。
先日、取材した先でサバンナ八木のおとうさんと同級生だったというとそこにいた人が「サバンナ八木も在日ですね」といわれて驚いた。
なぜこうした解釈にされることに気がついた。
私が民族学校を卒業したと思っている。民団新聞で記者をしていると日本人はそう見るらしい。残念ながら民団新聞のスタッフ、東京のスタッフは全部、日本の学校そして大学を卒業している。民団機関で勤務している人も大多数がそうである。
私はそこで説明した。
「サバンナ八木さんのお父さんは昔の国鉄に入って新幹線が走って最初の頃の新幹線の運転手をしていて、お母さんは奈良市立幼稚園の教師でした。縁があってうちの息子の年長組の担任でした」と話すと、やっと納得された。
サバンナ八木は日本人です。
ちなみに私も地元の公立小・中学校に通い地元の京都府立高校を卒業している。
卒業して勤務先も日本の会社です。和文タイピストという当時は花形の職業についていました。4年のOL生活をして結婚しています。
当時の1世たちの結婚相手は絶対に在日同胞でした。日本人と結婚すると勘当でした。在日同胞と結婚して今日に至っている。
話しは横にそれたが日本人の中でまだまだ在日コリアンの歴史を知らない人たちが多いことに多少はショックを受けたが顔では笑っていた。
日本の教育、日本が戦後、教育が変革したものの積み重ねてきたこれまでの日本の学校教育の欠陥が垣間みることができる。
戦後、60年、人々の心がほころびて品格がなく利己主義が増えている。
日本植民地支配した日本人の心がどこかの隙間に宿っていると思っている。
人間的に魅力のない日本人気質、こんなとこころからほころびはじめているのではないだろうか。他の人の国の文化も人格も認めていく。外国人と共に生きて行く社会づくりができていないという欠陥が見え隠れしている。
日本の国家に関係する人たちも日本の戦後生まれが多くなった。
這い上がった日本の経済はなりふりかまわないできた。
大事な歴史の骨格、ありのままの歴史の骨格を備えていない日本の学校教育の欠陥が私に対する質問の数々に見え隠れしている。
話しは横にそれた。
国道24号線を通っていると木津川を見ながら走る。左側は田園風景が広がるが両側は木津川よりも田園よりも高くなっているので国道24号線は追い越しなども気をつけてしないと危ない。下に落ちてしまう。
そんなことを通るたびに思い出す。
私の又従兄弟たちが木津川市(以前は京都府相楽郡)山城町大里に住んでいた。そこからしばらくいくとお寺があった。奥さんは学校の先生をしていた。そこの息子さんが結婚して新婚旅行を車で行ってもうあと自宅まで車で10数分のところの木津川の土手に車が落ちて新婚夫婦が亡くなるという痛ましい交通事故があった。
この話しはずいぶん前のことで車がようやく町に走りかけた頃で自家用車をもっている家は町でも数えるほどだった。
確か1963か1964年だった思っている。
国道24号線を車で走り木津川の横を通ると思い出す。
ここはカーブになっていてスピード出して走っていると運転のハンドルをとられてしまう。
もう何年、半世紀もたつとうのにこの道を通るたびに思い出してしまうので木津川の横を通り抜けるまで私は緊張している。
奈良の高天交差点で9時10分、自宅に戻ると9時20分、頂いたものを冷蔵庫に入れて蛸を切って夫のビールのあてにだしている。
テレビをなんとなく見ていると池上さんの解説が放映されている。
青森県三沢市にあるエシュロンについて解説されていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%83%B3#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.A8.E3.82.A8.E3.82.B7.E3.83.A5.E3.83.AD.E3.83.B3
私たちの通信も会話も傍受されているという話に関心がわいて見ていた。
番組はもう後、少しで終わるというのに睡魔の中で見ていたのが辛抱できなくなってテレビを消して寝た。時計は11時前になっていた。
最後まで見たいのに見られなかった。
今、ホームページを出したのでホームページをゆっくりと読むことにしよう。
今朝は7時過ぎに起きて家事をして朝食だが昨日、京都で食べているので夫はそんなにほしくないというので梨とヨーグルトだけで済ませた。
テレビを見ながら夫が好んで見ている旅番組「遠くへ行きたい」を一緒に見た。
輪島塗の職人、毛ばり職人は世界でも日本でもただ1人という人が出演していた。企業秘密ということで道具も職人技も見せることができないので画面には映し出されなかった。日本にはまだまだ職人技が受け継がれていることに日本文化の保存の大切さが分かってきた。
その国、その国の文化を守り大切にすることによってその国の品格が保たれることを若者たちは知ってほしい。
そんなこと年を重ねて思うようになった。
韓国も素晴らしい工芸文化がある。
手仕事を通して人の心の魂を吹き込んできた文化がある。品格がある。
大切に守り注がれているものもあればそうでないものもある。
失われたものをまた再現しようと努力をしている若者たちもいる。
そこから国の品格が生まれてくる。
韓国人の礼儀正さは儒教で育まれたものがあるから人間の品格を保ってきた。
しかし韓国も国境のない国になって若者たちは自由に生きている。
人間社会で自由は最も大切だが自由には責任が伴ってくる。
責任感を失った若者たちが品格をなくしている。韓国も変わりつつあるがまだまだ礼儀を重んじる韓国は少なくとも日本より人間や国の品格がそなわっている。ハンサムな韓国人、そして礼儀をそなわっているその姿に日本人女性が憧れていく。しかし結婚すると家族が1つの社会の基盤、ここでおりなす人間関係は日本では考えられないことが様々にあることを知っておく必要もある。
ちょっとこれから韓国の新聞を読みます。
昨日は京都にいる夫の兄の家にむかった。
自宅を出たのが5時40分、山田川、田辺間は高速道路を使っていく。
京都に着いたのは6時50分、夫の兄の法事、本当は13日だったが皆、仕事などの都合があるので土曜日、10日に変わった。13日のライフワークの取材は14日に変えてもらったが法事が10日になった。
仕方がない。
そう何度も変えることができないので14日そのままにした。
法事を終えて帰りは国道24号線で帰る。
懐かしい景色があるが町はどんどんと変わっていく。
このへんに同級生の誰がいたとか思いながら車に乗っている。
ここでまた思い出した。
先日、取材した先でサバンナ八木のおとうさんと同級生だったというとそこにいた人が「サバンナ八木も在日ですね」といわれて驚いた。
なぜこうした解釈にされることに気がついた。
私が民族学校を卒業したと思っている。民団新聞で記者をしていると日本人はそう見るらしい。残念ながら民団新聞のスタッフ、東京のスタッフは全部、日本の学校そして大学を卒業している。民団機関で勤務している人も大多数がそうである。
私はそこで説明した。
「サバンナ八木さんのお父さんは昔の国鉄に入って新幹線が走って最初の頃の新幹線の運転手をしていて、お母さんは奈良市立幼稚園の教師でした。縁があってうちの息子の年長組の担任でした」と話すと、やっと納得された。
サバンナ八木は日本人です。
ちなみに私も地元の公立小・中学校に通い地元の京都府立高校を卒業している。
卒業して勤務先も日本の会社です。和文タイピストという当時は花形の職業についていました。4年のOL生活をして結婚しています。
当時の1世たちの結婚相手は絶対に在日同胞でした。日本人と結婚すると勘当でした。在日同胞と結婚して今日に至っている。
話しは横にそれたが日本人の中でまだまだ在日コリアンの歴史を知らない人たちが多いことに多少はショックを受けたが顔では笑っていた。
日本の教育、日本が戦後、教育が変革したものの積み重ねてきたこれまでの日本の学校教育の欠陥が垣間みることができる。
戦後、60年、人々の心がほころびて品格がなく利己主義が増えている。
日本植民地支配した日本人の心がどこかの隙間に宿っていると思っている。
人間的に魅力のない日本人気質、こんなとこころからほころびはじめているのではないだろうか。他の人の国の文化も人格も認めていく。外国人と共に生きて行く社会づくりができていないという欠陥が見え隠れしている。
日本の国家に関係する人たちも日本の戦後生まれが多くなった。
這い上がった日本の経済はなりふりかまわないできた。
大事な歴史の骨格、ありのままの歴史の骨格を備えていない日本の学校教育の欠陥が私に対する質問の数々に見え隠れしている。
話しは横にそれた。
国道24号線を通っていると木津川を見ながら走る。左側は田園風景が広がるが両側は木津川よりも田園よりも高くなっているので国道24号線は追い越しなども気をつけてしないと危ない。下に落ちてしまう。
そんなことを通るたびに思い出す。
私の又従兄弟たちが木津川市(以前は京都府相楽郡)山城町大里に住んでいた。そこからしばらくいくとお寺があった。奥さんは学校の先生をしていた。そこの息子さんが結婚して新婚旅行を車で行ってもうあと自宅まで車で10数分のところの木津川の土手に車が落ちて新婚夫婦が亡くなるという痛ましい交通事故があった。
この話しはずいぶん前のことで車がようやく町に走りかけた頃で自家用車をもっている家は町でも数えるほどだった。
確か1963か1964年だった思っている。
国道24号線を車で走り木津川の横を通ると思い出す。
ここはカーブになっていてスピード出して走っていると運転のハンドルをとられてしまう。
もう何年、半世紀もたつとうのにこの道を通るたびに思い出してしまうので木津川の横を通り抜けるまで私は緊張している。
奈良の高天交差点で9時10分、自宅に戻ると9時20分、頂いたものを冷蔵庫に入れて蛸を切って夫のビールのあてにだしている。
テレビをなんとなく見ていると池上さんの解説が放映されている。
青森県三沢市にあるエシュロンについて解説されていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%83%B3#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.A8.E3.82.A8.E3.82.B7.E3.83.A5.E3.83.AD.E3.83.B3
私たちの通信も会話も傍受されているという話に関心がわいて見ていた。
番組はもう後、少しで終わるというのに睡魔の中で見ていたのが辛抱できなくなってテレビを消して寝た。時計は11時前になっていた。
最後まで見たいのに見られなかった。
今、ホームページを出したのでホームページをゆっくりと読むことにしよう。
今朝は7時過ぎに起きて家事をして朝食だが昨日、京都で食べているので夫はそんなにほしくないというので梨とヨーグルトだけで済ませた。
テレビを見ながら夫が好んで見ている旅番組「遠くへ行きたい」を一緒に見た。
輪島塗の職人、毛ばり職人は世界でも日本でもただ1人という人が出演していた。企業秘密ということで道具も職人技も見せることができないので画面には映し出されなかった。日本にはまだまだ職人技が受け継がれていることに日本文化の保存の大切さが分かってきた。
その国、その国の文化を守り大切にすることによってその国の品格が保たれることを若者たちは知ってほしい。
そんなこと年を重ねて思うようになった。
韓国も素晴らしい工芸文化がある。
手仕事を通して人の心の魂を吹き込んできた文化がある。品格がある。
大切に守り注がれているものもあればそうでないものもある。
失われたものをまた再現しようと努力をしている若者たちもいる。
そこから国の品格が生まれてくる。
韓国人の礼儀正さは儒教で育まれたものがあるから人間の品格を保ってきた。
しかし韓国も国境のない国になって若者たちは自由に生きている。
人間社会で自由は最も大切だが自由には責任が伴ってくる。
責任感を失った若者たちが品格をなくしている。韓国も変わりつつあるがまだまだ礼儀を重んじる韓国は少なくとも日本より人間や国の品格がそなわっている。ハンサムな韓国人、そして礼儀をそなわっているその姿に日本人女性が憧れていく。しかし結婚すると家族が1つの社会の基盤、ここでおりなす人間関係は日本では考えられないことが様々にあることを知っておく必要もある。
ちょっとこれから韓国の新聞を読みます。
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