夜10時から見たいテレビがあったが見られなかった。
9時過ぎると眠たい。起きていられないので寝た。
韓国の百済と天皇に関する歴史的な物だったがやはり見られなかった。
また再放送のあるときに見よう。
今朝は朝から5月度の取材活動費明細書を作成して領収書を整理して
郵便で送るようにした。
今日は外出をしないといけない。
1つの用事は郵便局に寄ってネット関係の財政から引き出してまたある人にネット関係に振込みをする所用がある。
次に銀行に行って通帳の作り変えである。いっぱいになったので銀行に行って窓口で処理をしないといけない。
帰りに行きつけの喫茶店に立ち寄って新聞を読んで自宅に戻ってくるが昨日、買物で買い忘れた物があるのでスーパーに寄ってこなければならない。
日差しが夏日になってきた。
夏がそこまできているようだ。
そういえば先日、中止になった取材の相手、5月30日から韓国に行っておられるが韓国も暑いだろうな。
韓国もここ10数年の間に車は増えて冷暖房の取り付けも増えた。
日本と変わらない熱風である。
まだ1990代の半ばは今ほど暑くなかった。
オリンピック選手村で2泊3日、滞在したことがあった。
確か在日韓国人の教育者大会で20周年記念とかで韓国で行われた。
この時は1年、現在の職場を休んでいるときで他の在日韓国人の雑誌社でフリーの立場で原稿を書いていた。
たまたま京都外国人教育研究会と一緒に韓国の研修に同行した。
教師たち一行は2泊3日で日本に戻ったが私は韓国でする所用があった。
ソウルの世宗ホテルでそのまま残って釜山に出かけた。
釜山におられる母親の妹を訪ねることだった。
釜山の地理がよく分からないので以前、民団京都府本部で仕事をしていた李さんにお世話になることになった。
李さんのご主人は京都大学に留学をして水産関係の学術を研究しておられた。
経済を支えていたのは李さんだった。雑誌記者から在日韓国人の新聞社に入って在日同胞のことは何もしらなかった。京都というところはまた特殊な地域で日本人もそうなら在日韓国人もそうだった。
右も左もわからなくてずいぶん失敗をして落ち込むことばかりだったが落ち込んでいる私をいつも励ましてくれたのが李さんだった。
ご主人の研究を終えて釜山に帰国された。
前の秋に母親の妹を探し当てた。これも李さんにお世話になった。釜山に住んでおられたので住所と照らし合わせて探してくれた。
そしてまた2度目の訪問で母親の妹とあって叔母に日本に来てもらう話をするために訪問することになった。当時、母親は車椅子生活でとても韓国にいけるようなものではなかった
この夏、母親の妹の家に泊まらないで李さんの家に泊まった。
李さんには気を使わないので気が楽だったのでここで一泊して母親の妹を訪ねたことがあった。
李さんには日本でもお世話になったのにまた韓国でもお世話になった。
何年かして自宅に電話をしたがつながらなくなっていた。
韓国ではよくある話、よく引っ越しをするのでつながることがよくある。
そうと言って探す目的もなくそのままになっている。
なにか用事でもあればどうにか探すかもしれないが----。
ご主人は釜山での大学で教授になっておられると風の便りできいている。
きっとマンションを購入してしっかり地道に生活をしているだろう。
日本にいた時は上の子どもさんは保育園に言っていたが今はもう高校生か大学生になっておられるだろう。
当時は韓国語が話せなくて日本語しか話せなかったが今は韓国語の方がよく話して日本語が忘れているかもしれない。
そんな釜山を過ごしていたがそんな暑くなかった。
ソウルに戻ってオリンピック選手村に宿泊を変えて皆と一緒の合宿のような生活をした。夜は蚕室にも皆と繰り出して話をした。
この時も多くの人にお世話になった。
そんなに暑くなかった。
国会議事堂も見学した。たまたま軍事訓練があり飛行機が頭上すれすれに飛ぶ。轟音がすごい。戦争さながらのようだった。金泳三政権のときだった。
そしてこの轟音に南北分断国家の現実を見ていた。
南北分断国家の現実をまた金浦国際空港で見ることになった。
関西空港から金浦国際空港に入って入管に入った。
私も含めて他の教師ら一行はスムズームに入管を通過したが2人の教師で長引いた。1人は30分ほどで出てきたがもう1人は1時間、入管で足止めされた。
この教師は髪を伸ばし髭も伸ばしていた。
一見すると反政府運動タイプに見えたらしい。
入管では2人がお出ましになって1人は彼の顔をスケッチした。
これで韓国にいる間はこの教師、ずっと尾行されていたと思っている。
何があったのかしらないがこの時の教訓、韓国に行く時は髪もきちんと切って髭もそっていくことが大切である。
若い人の髭は韓国ではこのましく思っていない。
つい入管では変な目で見られそうなのできちんと清潔感の身なりで韓国に入ってもらいたい。
日本も韓国も平和、韓国もそう見えるが現実は南北分断国家である。このことは頭においてもらいたい。
もう外出の準備をして出かけることにしよう。
6月1日の日差しを浴びての外出である。
9時過ぎると眠たい。起きていられないので寝た。
韓国の百済と天皇に関する歴史的な物だったがやはり見られなかった。
また再放送のあるときに見よう。
今朝は朝から5月度の取材活動費明細書を作成して領収書を整理して
郵便で送るようにした。
今日は外出をしないといけない。
1つの用事は郵便局に寄ってネット関係の財政から引き出してまたある人にネット関係に振込みをする所用がある。
次に銀行に行って通帳の作り変えである。いっぱいになったので銀行に行って窓口で処理をしないといけない。
帰りに行きつけの喫茶店に立ち寄って新聞を読んで自宅に戻ってくるが昨日、買物で買い忘れた物があるのでスーパーに寄ってこなければならない。
日差しが夏日になってきた。
夏がそこまできているようだ。
そういえば先日、中止になった取材の相手、5月30日から韓国に行っておられるが韓国も暑いだろうな。
韓国もここ10数年の間に車は増えて冷暖房の取り付けも増えた。
日本と変わらない熱風である。
まだ1990代の半ばは今ほど暑くなかった。
オリンピック選手村で2泊3日、滞在したことがあった。
確か在日韓国人の教育者大会で20周年記念とかで韓国で行われた。
この時は1年、現在の職場を休んでいるときで他の在日韓国人の雑誌社でフリーの立場で原稿を書いていた。
たまたま京都外国人教育研究会と一緒に韓国の研修に同行した。
教師たち一行は2泊3日で日本に戻ったが私は韓国でする所用があった。
ソウルの世宗ホテルでそのまま残って釜山に出かけた。
釜山におられる母親の妹を訪ねることだった。
釜山の地理がよく分からないので以前、民団京都府本部で仕事をしていた李さんにお世話になることになった。
李さんのご主人は京都大学に留学をして水産関係の学術を研究しておられた。
経済を支えていたのは李さんだった。雑誌記者から在日韓国人の新聞社に入って在日同胞のことは何もしらなかった。京都というところはまた特殊な地域で日本人もそうなら在日韓国人もそうだった。
右も左もわからなくてずいぶん失敗をして落ち込むことばかりだったが落ち込んでいる私をいつも励ましてくれたのが李さんだった。
ご主人の研究を終えて釜山に帰国された。
前の秋に母親の妹を探し当てた。これも李さんにお世話になった。釜山に住んでおられたので住所と照らし合わせて探してくれた。
そしてまた2度目の訪問で母親の妹とあって叔母に日本に来てもらう話をするために訪問することになった。当時、母親は車椅子生活でとても韓国にいけるようなものではなかった
この夏、母親の妹の家に泊まらないで李さんの家に泊まった。
李さんには気を使わないので気が楽だったのでここで一泊して母親の妹を訪ねたことがあった。
李さんには日本でもお世話になったのにまた韓国でもお世話になった。
何年かして自宅に電話をしたがつながらなくなっていた。
韓国ではよくある話、よく引っ越しをするのでつながることがよくある。
そうと言って探す目的もなくそのままになっている。
なにか用事でもあればどうにか探すかもしれないが----。
ご主人は釜山での大学で教授になっておられると風の便りできいている。
きっとマンションを購入してしっかり地道に生活をしているだろう。
日本にいた時は上の子どもさんは保育園に言っていたが今はもう高校生か大学生になっておられるだろう。
当時は韓国語が話せなくて日本語しか話せなかったが今は韓国語の方がよく話して日本語が忘れているかもしれない。
そんな釜山を過ごしていたがそんな暑くなかった。
ソウルに戻ってオリンピック選手村に宿泊を変えて皆と一緒の合宿のような生活をした。夜は蚕室にも皆と繰り出して話をした。
この時も多くの人にお世話になった。
そんなに暑くなかった。
国会議事堂も見学した。たまたま軍事訓練があり飛行機が頭上すれすれに飛ぶ。轟音がすごい。戦争さながらのようだった。金泳三政権のときだった。
そしてこの轟音に南北分断国家の現実を見ていた。
南北分断国家の現実をまた金浦国際空港で見ることになった。
関西空港から金浦国際空港に入って入管に入った。
私も含めて他の教師ら一行はスムズームに入管を通過したが2人の教師で長引いた。1人は30分ほどで出てきたがもう1人は1時間、入管で足止めされた。
この教師は髪を伸ばし髭も伸ばしていた。
一見すると反政府運動タイプに見えたらしい。
入管では2人がお出ましになって1人は彼の顔をスケッチした。
これで韓国にいる間はこの教師、ずっと尾行されていたと思っている。
何があったのかしらないがこの時の教訓、韓国に行く時は髪もきちんと切って髭もそっていくことが大切である。
若い人の髭は韓国ではこのましく思っていない。
つい入管では変な目で見られそうなのできちんと清潔感の身なりで韓国に入ってもらいたい。
日本も韓国も平和、韓国もそう見えるが現実は南北分断国家である。このことは頭においてもらいたい。
もう外出の準備をして出かけることにしよう。
6月1日の日差しを浴びての外出である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます