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身支度して自宅を出たのが8時50分です。
病院まで歩いていく。9時5分頃に受付を済ませた。
今日は患者が少ない。
朝、雨が降っていて高齢者婦人は中止されたのでしょうか。
今日は空いていて早く診察がすんで貼り薬も早く頂くことができてよかった。
バス乗り場に歩いて行く。
市内循環バスが来るがこのバスは急ぐ時しか乗らない。
レトロバスは階段が多くて乗降が大変危ないバスです。
高齢者には嫌われているバスですが子どもたちは喜んでこのバスを乗っています。なぜかこのバスは女性が運転しています。
このバスを見送って次に市内循環と中循環が一緒にきた。
私は中循環バスに乗って近鉄奈良駅に出た。
行きつけの喫茶店に行くと10時20分、簡単なモーニングで昼食にすることにした。ゆっくりと新聞を読んだ。のんびりと喫茶店で過した。
文庫本を1ページ読み始めたが「放浪記」の本が気になった。
もう絶版になっていると思って本屋にいったが見当たらない。
先日、桐野夏生の「ナニカアル」の文庫本を買った。
ぱらぱらとベージをめくると「戦中の林芙美子」の記録のようでちょっと読みたいなと思って買った。今、読んでいるところです。
「放浪記」のことがここかしこにと出てくる
それで今頃、読みたくなった。こんなところは遅れている私です。
私の若い頃、林芙美子の「放浪記」に思いを馳せる人がまわりに多くおられた。
テレビ番組も林芙美子が書いた小説がドラマにされていた。
当時の私は戦前の古臭い物語が好きでなくてその時の時勢にあったものが好きだった。
一時は落合恵子さんの詩集に関心を持って読みそしてエッセイに小説にとのめりこんだ私だった。渡辺淳一にはまり現代版の世相の本を読み漁った。
そして私の好きな雑誌は「婦人公論」だった。
私の本箱には文学全集があった。林芙美子もあったにまったく手に取ることはなかった。
そして1981年、佐紀町からこのマンションに引越をする時に思いきって文学全集は全部捨ててしまった。今、考えるともったいないことしている。
大きい家に住んでいれば1つの部屋を書庫に使えると残していたかもしれない。
佐紀町の家は2部屋と台所、1つの部屋は建て増しした普請の悪い2軒長屋だった。そんな借家に住んでいてマンションを購入してこの家に引越しをする時に部屋はすっきりして何もおかずに暮らそうと決心してほとんどの本を捨ててしまった。
しかし事の成り行きはそうではなかった。
専業主婦から雑誌記者になってまた本がどんどん増えていく。
そして在日韓国人の新聞記者になってまたまた本が増えていく。
パソコンの導入で1部屋をパソコンの部屋にすることにした。
この時に700冊の本を捨てている。それでもまた本が増えていく。
困ったものです。
きれい好きの夫は私のパソコンの部屋の本はゴミに見えている。クロークのある衣装を入れている部屋はただのぼろきれと思っているのか。この2つの部屋は「ゴミの部屋」といっている。
3LDKの間取りはまたまた部屋に仕事の資料に本に生活道具が増えていく。
なるべく本は買わないようらしているのに少しづつ増えている。
持ちやすいように文庫を購入するようになった。
桐野夏生さんの「ナニカアル」は林芙美子が買いた原稿がまだ残っていたというものを文庫本にされているようだ。
年を重ねて人生の先輩たちの話の中に必ず「戦中・戦後」がある。
生きていることに感謝している先輩の諸姉たちの話にこれまで知らなかったことが見えてくる。25年間、在日韓国人の新聞社で記者生活をしていていつも視点は在日韓国人として日本で暮らしている人に焦点をあてて現場取材をしてきた。しかしそれも限りなくまだまだ未解決の問題が山積みされていることに戸惑い後ずさりしている。
そしてなんといっても私を韓国から気持を遠ざけたものがあった。
大阪にもたくさん住んでいる新渡日の韓国人そしてその人たちの思考と文化、さらにテレビのチャンネルのボタンを押すと韓国ドラマばかりです。
そしてなおさら自分の位置を確認している。
在日韓国人は日本でどうして生きていくのか。
日本語を言語にして何をして生きていくのか。
若かったら両方の国を照らし合わせて両方から視点をめぐって何かできたかもしれない。けれど60代の後半になって奈良という地域を振り返るということに目覚めた。そして奈良の女性たちの紹介を考えて「奈良おんな物語」になっている。「奈良の食べ物」も面白いがやはり人物紹介をすることにした。
奈良の人たちと会って話しているとやはり私が奈良県内を駆け回っていたころを思い出している。楽しくもありまた生き様に聞いてみないと分からないとまた改めて認識をしている。
大分、話が横にそれてしまった。
12時半頃、喫茶店を出た。
モーニングで昼食したつもりなのにご飯が食べたい。
また違う所で簡単に日替わりランチを済ませた。
この後、本屋に寄ったが「放浪記」は見当たらない。古本、私は好きでないので購入することはないが今日は古本屋に寄ってみたが探すだけでしんどくなる本の積み方にあきらめて出てきた。パン屋によった。パン屋からスーパーに寄って足りない食材を買い込んでバス乗り場に来ると1時半です。
自宅に戻ると1時45分、荷解きをして顔を洗って足など拭いていく。膝に注射を打っているので風呂に入れません。注射したところから黴菌が入って化膿して大変にことになるといわれています。
3時にブログを書き始めてまた途中、ブログを中断してインターネットで「放浪記」を検索している。そんなことしていて時間をとってしまった。
もう時計は4時13分です。
写真は今日、2012年12月4日12時19分に撮影。ギャラリーの生花のオブジェ、木の枝に最初、少しだけの葉っぱがはりついていた。
店主がこまめに水やりをしておられたら、なんと木のところにたくさんの葉が生えている。びっくりした。なるほどこの木の枝も生きている。
びっくりした。生命力のすごさに驚いて撮影をした。
ギャラリーの一角でひそやかに静かに生命を生み出している。
自然と向き合うことはこういうことなのか。
驚いて写真にとったのです。
今日はこのへんでまた---。
病院まで歩いていく。9時5分頃に受付を済ませた。
今日は患者が少ない。
朝、雨が降っていて高齢者婦人は中止されたのでしょうか。
今日は空いていて早く診察がすんで貼り薬も早く頂くことができてよかった。
バス乗り場に歩いて行く。
市内循環バスが来るがこのバスは急ぐ時しか乗らない。
レトロバスは階段が多くて乗降が大変危ないバスです。
高齢者には嫌われているバスですが子どもたちは喜んでこのバスを乗っています。なぜかこのバスは女性が運転しています。
このバスを見送って次に市内循環と中循環が一緒にきた。
私は中循環バスに乗って近鉄奈良駅に出た。
行きつけの喫茶店に行くと10時20分、簡単なモーニングで昼食にすることにした。ゆっくりと新聞を読んだ。のんびりと喫茶店で過した。
文庫本を1ページ読み始めたが「放浪記」の本が気になった。
もう絶版になっていると思って本屋にいったが見当たらない。
先日、桐野夏生の「ナニカアル」の文庫本を買った。
ぱらぱらとベージをめくると「戦中の林芙美子」の記録のようでちょっと読みたいなと思って買った。今、読んでいるところです。
「放浪記」のことがここかしこにと出てくる
それで今頃、読みたくなった。こんなところは遅れている私です。
私の若い頃、林芙美子の「放浪記」に思いを馳せる人がまわりに多くおられた。
テレビ番組も林芙美子が書いた小説がドラマにされていた。
当時の私は戦前の古臭い物語が好きでなくてその時の時勢にあったものが好きだった。
一時は落合恵子さんの詩集に関心を持って読みそしてエッセイに小説にとのめりこんだ私だった。渡辺淳一にはまり現代版の世相の本を読み漁った。
そして私の好きな雑誌は「婦人公論」だった。
私の本箱には文学全集があった。林芙美子もあったにまったく手に取ることはなかった。
そして1981年、佐紀町からこのマンションに引越をする時に思いきって文学全集は全部捨ててしまった。今、考えるともったいないことしている。
大きい家に住んでいれば1つの部屋を書庫に使えると残していたかもしれない。
佐紀町の家は2部屋と台所、1つの部屋は建て増しした普請の悪い2軒長屋だった。そんな借家に住んでいてマンションを購入してこの家に引越しをする時に部屋はすっきりして何もおかずに暮らそうと決心してほとんどの本を捨ててしまった。
しかし事の成り行きはそうではなかった。
専業主婦から雑誌記者になってまた本がどんどん増えていく。
そして在日韓国人の新聞記者になってまたまた本が増えていく。
パソコンの導入で1部屋をパソコンの部屋にすることにした。
この時に700冊の本を捨てている。それでもまた本が増えていく。
困ったものです。
きれい好きの夫は私のパソコンの部屋の本はゴミに見えている。クロークのある衣装を入れている部屋はただのぼろきれと思っているのか。この2つの部屋は「ゴミの部屋」といっている。
3LDKの間取りはまたまた部屋に仕事の資料に本に生活道具が増えていく。
なるべく本は買わないようらしているのに少しづつ増えている。
持ちやすいように文庫を購入するようになった。
桐野夏生さんの「ナニカアル」は林芙美子が買いた原稿がまだ残っていたというものを文庫本にされているようだ。
年を重ねて人生の先輩たちの話の中に必ず「戦中・戦後」がある。
生きていることに感謝している先輩の諸姉たちの話にこれまで知らなかったことが見えてくる。25年間、在日韓国人の新聞社で記者生活をしていていつも視点は在日韓国人として日本で暮らしている人に焦点をあてて現場取材をしてきた。しかしそれも限りなくまだまだ未解決の問題が山積みされていることに戸惑い後ずさりしている。
そしてなんといっても私を韓国から気持を遠ざけたものがあった。
大阪にもたくさん住んでいる新渡日の韓国人そしてその人たちの思考と文化、さらにテレビのチャンネルのボタンを押すと韓国ドラマばかりです。
そしてなおさら自分の位置を確認している。
在日韓国人は日本でどうして生きていくのか。
日本語を言語にして何をして生きていくのか。
若かったら両方の国を照らし合わせて両方から視点をめぐって何かできたかもしれない。けれど60代の後半になって奈良という地域を振り返るということに目覚めた。そして奈良の女性たちの紹介を考えて「奈良おんな物語」になっている。「奈良の食べ物」も面白いがやはり人物紹介をすることにした。
奈良の人たちと会って話しているとやはり私が奈良県内を駆け回っていたころを思い出している。楽しくもありまた生き様に聞いてみないと分からないとまた改めて認識をしている。
大分、話が横にそれてしまった。
12時半頃、喫茶店を出た。
モーニングで昼食したつもりなのにご飯が食べたい。
また違う所で簡単に日替わりランチを済ませた。
この後、本屋に寄ったが「放浪記」は見当たらない。古本、私は好きでないので購入することはないが今日は古本屋に寄ってみたが探すだけでしんどくなる本の積み方にあきらめて出てきた。パン屋によった。パン屋からスーパーに寄って足りない食材を買い込んでバス乗り場に来ると1時半です。
自宅に戻ると1時45分、荷解きをして顔を洗って足など拭いていく。膝に注射を打っているので風呂に入れません。注射したところから黴菌が入って化膿して大変にことになるといわれています。
3時にブログを書き始めてまた途中、ブログを中断してインターネットで「放浪記」を検索している。そんなことしていて時間をとってしまった。
もう時計は4時13分です。
写真は今日、2012年12月4日12時19分に撮影。ギャラリーの生花のオブジェ、木の枝に最初、少しだけの葉っぱがはりついていた。
店主がこまめに水やりをしておられたら、なんと木のところにたくさんの葉が生えている。びっくりした。なるほどこの木の枝も生きている。
びっくりした。生命力のすごさに驚いて撮影をした。
ギャラリーの一角でひそやかに静かに生命を生み出している。
自然と向き合うことはこういうことなのか。
驚いて写真にとったのです。
今日はこのへんでまた---。
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