何年ぶりかに乗ったJR学研都市線、かつて昔は片町線で車両は1両だった。今日は木津駅から1時前後のJR宝塚行きに乗車した。目的の長尾駅まで各駅停車だが所要時間は30分、これが尼崎を通って宝塚に行く。便利になったものだ。かつてはJR京橋駅にでて大阪にでる。阪急線に乗り換えるのが1番近いと思っていた。
それが木津駅から乗り換えなしで尼崎や宝塚まで行く。本当に便利になった。
しかし外から見える景色は新興住宅の住宅街が見えるもののまだまだ田園風景が残っている。JR学研都市線の祝園・狛田・三山木を通り過ぎて京田辺に入る。狛田までは京都府相楽郡である。近年、高校はブロックが大きくなって近辺の高校にも相楽郡の中学校から通学できるようになった。1980年の半ばまで相楽郡内の公立高校は木津高校だけだった。
狛田や三山木、祝園は相楽郡精華町で私学の高校に行く人もいたが木津高校に大勢が通った。私が過ごした高校時代、この精華町は山々で学研都市というモダンな都市の名前がついた町になるとは思ってもみなかった。
そんな素朴な町の中で過ごした同級生たちが多く通っていた。
それなのに片町線は当時1両車両だった。すごい混雑で女子生徒たちは職員室に行って「片町線の車両を2両にしてほしい」と要望をした。
学校側は木津駅に対して要請したがそれはかなわなかった。
理由は「利用客が定期券を利用する学割の定期券だからできない」ということだった。
同級生たちは「えー」と言ってがっかりしていた。
学生利用のローカル線だった。大阪には長尾から京橋にでる。そして狛田や祝園駅は近鉄と隣あわせに駅がある。定期学生のために車両は増やすことはできなかったのだろう。
女子学生は「ギュウギュウ詰めで夏は暑くて暑くて息が苦しくなる」と言っていた。当時は扇風機、冷房は入っていなかった。せいぜい車両の窓を空けて風を入れていた。
今は6両編成である。乗り降りの人が少ないのか停車時間が長いのか各車両にはボタンでドアが開閉できる。乗り降りする人がそのボタンを押すとドアを開閉できる。
これにはローカル線だなと思った。
当時の同級生たちも61歳または62歳になった。学生時代からはるかに遠ざかっていくが田舎で穏やかに過ごしたせいか当時の記憶があれこれと残っている。
私は孫2人がいる。同級生たちも多くの孫に囲まれているだろう。
田舎の田園風景とローカル線、なつかしい1960年から63年の時代を思い出していた。
そうローカル線で1つ気になったことがあった。
行きは時刻表とあわせて奈良から木津駅にでた。奈良から40分で長尾に着いた。
しかし帰りは長尾駅に着いてホームに上がると1・2分前に木津行きがでた後だった。
長尾駅はエレベーターがなく足の痛いものは階段利用が苦痛になる。奈良までの480円の切符を買っていた。改札口を通ったので出るにでられない。次は30分待たなければならない。そうすると同志社前行きが来た。駅員に京田辺と同志社前の駅から近鉄の駅に近いのはどれかと聞くと京田辺と教えてくれた。
長尾から京田辺間は190円、480円の切符いくらか無駄にして京田辺でおりた。(少しでも早く自宅に戻りたい)5・6分歩くと近鉄新田辺駅に着いた。着くとすぐ急行天理行きが来た。西大寺で乗り換えて奈良に着いたのが6時半。長尾から乗ったのは5時21分、どちらが利用しやすいのか悩む。ただ近鉄を利用して新祝園駅で降りるとすぐ隣にJR祝園駅がある。ここから長尾に行く列車を利用すればいいが駅に着いた時、列車が出た後だったらとまた考えた。
あーあ。頭いた----。やっぱりローカル線、でものんびりとした気持にさせてくれた。
それが木津駅から乗り換えなしで尼崎や宝塚まで行く。本当に便利になった。
しかし外から見える景色は新興住宅の住宅街が見えるもののまだまだ田園風景が残っている。JR学研都市線の祝園・狛田・三山木を通り過ぎて京田辺に入る。狛田までは京都府相楽郡である。近年、高校はブロックが大きくなって近辺の高校にも相楽郡の中学校から通学できるようになった。1980年の半ばまで相楽郡内の公立高校は木津高校だけだった。
狛田や三山木、祝園は相楽郡精華町で私学の高校に行く人もいたが木津高校に大勢が通った。私が過ごした高校時代、この精華町は山々で学研都市というモダンな都市の名前がついた町になるとは思ってもみなかった。
そんな素朴な町の中で過ごした同級生たちが多く通っていた。
それなのに片町線は当時1両車両だった。すごい混雑で女子生徒たちは職員室に行って「片町線の車両を2両にしてほしい」と要望をした。
学校側は木津駅に対して要請したがそれはかなわなかった。
理由は「利用客が定期券を利用する学割の定期券だからできない」ということだった。
同級生たちは「えー」と言ってがっかりしていた。
学生利用のローカル線だった。大阪には長尾から京橋にでる。そして狛田や祝園駅は近鉄と隣あわせに駅がある。定期学生のために車両は増やすことはできなかったのだろう。
女子学生は「ギュウギュウ詰めで夏は暑くて暑くて息が苦しくなる」と言っていた。当時は扇風機、冷房は入っていなかった。せいぜい車両の窓を空けて風を入れていた。
今は6両編成である。乗り降りの人が少ないのか停車時間が長いのか各車両にはボタンでドアが開閉できる。乗り降りする人がそのボタンを押すとドアを開閉できる。
これにはローカル線だなと思った。
当時の同級生たちも61歳または62歳になった。学生時代からはるかに遠ざかっていくが田舎で穏やかに過ごしたせいか当時の記憶があれこれと残っている。
私は孫2人がいる。同級生たちも多くの孫に囲まれているだろう。
田舎の田園風景とローカル線、なつかしい1960年から63年の時代を思い出していた。
そうローカル線で1つ気になったことがあった。
行きは時刻表とあわせて奈良から木津駅にでた。奈良から40分で長尾に着いた。
しかし帰りは長尾駅に着いてホームに上がると1・2分前に木津行きがでた後だった。
長尾駅はエレベーターがなく足の痛いものは階段利用が苦痛になる。奈良までの480円の切符を買っていた。改札口を通ったので出るにでられない。次は30分待たなければならない。そうすると同志社前行きが来た。駅員に京田辺と同志社前の駅から近鉄の駅に近いのはどれかと聞くと京田辺と教えてくれた。
長尾から京田辺間は190円、480円の切符いくらか無駄にして京田辺でおりた。(少しでも早く自宅に戻りたい)5・6分歩くと近鉄新田辺駅に着いた。着くとすぐ急行天理行きが来た。西大寺で乗り換えて奈良に着いたのが6時半。長尾から乗ったのは5時21分、どちらが利用しやすいのか悩む。ただ近鉄を利用して新祝園駅で降りるとすぐ隣にJR祝園駅がある。ここから長尾に行く列車を利用すればいいが駅に着いた時、列車が出た後だったらとまた考えた。
あーあ。頭いた----。やっぱりローカル線、でものんびりとした気持にさせてくれた。