それがうちの夫は勘違いをしている。
今日は外出する夫はどうも何を勘違いしているのか火曜日と思っている。
そして大きい声で言っている。玄関に燃えるゴミの袋が置いていない。
「燃えるゴミの袋ださなあかん」
私は「今日は月曜日、明日」と言っているのに「今日や」という。
そして私がまたゆっくり説明をした。
「昨日夕方からテレビ番組『笑点』をみていたから昨日は日曜日、今日は月曜」と言ったらやっと納得した。なんとテレビ番組で曜日を確認している。
ふと夫はボケているのだろうか。不安になった。
その後は普通に着替えて外出した。
そして今朝のスポーツニュース、元近鉄にいた佐野さん。
あかん。もうそんな言葉を使わないで。
いつも「まだ始まったばかりだから」
阪神が負けるとこの言葉を使っている。
そうじゃない。
「もう開幕して1ヶ月がたった。体はもう慣れてきた。カンも戻ってきた。もう機転を利かす野球にしてもらいたい」と阪神の選手を奮起さすような言葉を使ってもらいたい。
「まだ始まったばかり」というと阪神の選手もそう思ってしまう。つい油断をしている。「どのときもどのときも勝負です」と言ってもらいたい。
昨日はせっかく2対0で勝っていたのに久保投手がぶち壊した。
藤川投手でさようならホームランを打たれた。どこかで心の隙間がある。
あの鬼みたいな中日の落合監督、阪神のその隙を見つけるのがうまい。
鬼の顔に中日の選手は奮起する。
そう思うと阪神の岡田監督は今は亡き藤山寛美に似ている。
そっくりである。あの顔で選手の顔もゆるんでしまう。
そこへまたテレビを見ている夫はテレビを見ながら「寛美しっかりせい」と怒鳴っている。よく見ると口をすぼめて横を向いている顔はそっくりである。
落合監督はにやけた顔をしているがじっと見ると怖い血相のときがある。気力はもう鬼である。顔が鬼の顔になってくる。
ここのところが監督の人相の違いである。
と、私個人の独断と偏見の見方である。
連休は明日1日になった。
連休が明けると仕事をフル回転しなければならない。
今日は雨がふるというがさて-----。
連休が明けると書いていると2本の原稿が気になってきた。1本は半分以上作ってあるが1本は何もしていない。がんばってしないといけないな。
子どもの日、日本各地でいろんな催しが行われる。韓国も今日は子どもの日である。韓国各地で催しがあるだろう。
新しくできた清渓川での催しそしてソウル市庁前の広場でも行われるだろう。
そういえば昨年は5月の半ばに訪韓した。
初夏の木々、黄緑色の葉は初夏の香りがいっぱいしていた。
徳寿宮では藤棚から見事に藤が垂れ下がっていた。もう1度、あの藤が見たいものだ。
静かな庭園に古人の栄華の歴史がよみがえってくる。
こんなにも想像力豊かな民族がいたことに感動する。建物の造りに人間の技とは思えないほどの技術力が投入されている。
古人の宮細工の心意気に触れて感動する。
ソウルの町は高層ビルが立ち並び近代的な都市だがその都市の間に古人が住んだ宮廷がある。日本植民地時代はどんな目で眺めてきたのだろうか。
歴史は刻んでいる。
歴史は知っている。
この歴史をきちんと伝えて欲しいと徳寿宮を歩いても景福宮を歩いても思う。願わずにおられない。
この中で生まれた宮廷料理には唐辛子料理はなかった。唐辛子は豊臣秀吉が寒さ対策で足の底に敷いて持ち運んだのが韓国の風土とあって韓国の特産物になった。
それまでは上品な味付けの料理だった。
父の姉、叔母がよく作ってくれたおやつ、メリケン粉だけの洋食なのにほのかに甘いだけの洋食だったが上品な香りがただよっていた。
あの作り方をきいおけばよかったと今は後悔している。
叔母は16歳、そのとき私の父親は5歳、私から見ると曾祖母と祖母そして叔母と父が玄海灘を渡ってきた。1926年に京都市南区東九条に上陸した。すでに来ていた私から見ると祖父を頼ってきたがここからまた波乱の人生が始まった。
叔母は生前、日本植民地支配をされても外に歩くときは頭から衣を被って歩いたという。女の子は外を歩くときに顔を見せない。そんな厳しい風習の中で育ったという。結婚してもずっと生家を思っていたと言う。長女ということでその家に対する思いは強かったと聞いている。
そんな古の時代に思いを馳せることが出来る韓国の徳寿宮、宿泊していたニュー国際ホテルからすぐ目の前にある。
訪韓して藤の花を見たいものだがそう簡単に訪韓はできない。
写真を眺めて思いに馳せてみよう。
写真は昨年訪韓したとき5月11日に徳寿宮で撮影したものです。
これを書いている時にジャーナリスト・ネットに掲載したベスト4に入った京都国際学校の野球部の関係者からお礼の電話がありました。少しでも学校に役だつことになれば嬉しいと思っている。
純粋な高校生の球児たち、京都市東山区本多山の運動場で日がとっぷり暮れても練習しています。そして球児たちの栄養管理をしているのは寄宿舎の食事を作っている在日韓国人と日本人婦人の2人です。寄宿舎の側には畑があります。学校関係者が野菜を作っています。選手たちは毎日とれとれの野菜を食べています。見えないところでも皆応援をしています。
今日は外出する夫はどうも何を勘違いしているのか火曜日と思っている。
そして大きい声で言っている。玄関に燃えるゴミの袋が置いていない。
「燃えるゴミの袋ださなあかん」
私は「今日は月曜日、明日」と言っているのに「今日や」という。
そして私がまたゆっくり説明をした。
「昨日夕方からテレビ番組『笑点』をみていたから昨日は日曜日、今日は月曜」と言ったらやっと納得した。なんとテレビ番組で曜日を確認している。
ふと夫はボケているのだろうか。不安になった。
その後は普通に着替えて外出した。
そして今朝のスポーツニュース、元近鉄にいた佐野さん。
あかん。もうそんな言葉を使わないで。
いつも「まだ始まったばかりだから」
阪神が負けるとこの言葉を使っている。
そうじゃない。
「もう開幕して1ヶ月がたった。体はもう慣れてきた。カンも戻ってきた。もう機転を利かす野球にしてもらいたい」と阪神の選手を奮起さすような言葉を使ってもらいたい。
「まだ始まったばかり」というと阪神の選手もそう思ってしまう。つい油断をしている。「どのときもどのときも勝負です」と言ってもらいたい。
昨日はせっかく2対0で勝っていたのに久保投手がぶち壊した。
藤川投手でさようならホームランを打たれた。どこかで心の隙間がある。
あの鬼みたいな中日の落合監督、阪神のその隙を見つけるのがうまい。
鬼の顔に中日の選手は奮起する。
そう思うと阪神の岡田監督は今は亡き藤山寛美に似ている。
そっくりである。あの顔で選手の顔もゆるんでしまう。
そこへまたテレビを見ている夫はテレビを見ながら「寛美しっかりせい」と怒鳴っている。よく見ると口をすぼめて横を向いている顔はそっくりである。
落合監督はにやけた顔をしているがじっと見ると怖い血相のときがある。気力はもう鬼である。顔が鬼の顔になってくる。
ここのところが監督の人相の違いである。
と、私個人の独断と偏見の見方である。
連休は明日1日になった。
連休が明けると仕事をフル回転しなければならない。
今日は雨がふるというがさて-----。
連休が明けると書いていると2本の原稿が気になってきた。1本は半分以上作ってあるが1本は何もしていない。がんばってしないといけないな。
子どもの日、日本各地でいろんな催しが行われる。韓国も今日は子どもの日である。韓国各地で催しがあるだろう。
新しくできた清渓川での催しそしてソウル市庁前の広場でも行われるだろう。
そういえば昨年は5月の半ばに訪韓した。
初夏の木々、黄緑色の葉は初夏の香りがいっぱいしていた。
徳寿宮では藤棚から見事に藤が垂れ下がっていた。もう1度、あの藤が見たいものだ。
静かな庭園に古人の栄華の歴史がよみがえってくる。
こんなにも想像力豊かな民族がいたことに感動する。建物の造りに人間の技とは思えないほどの技術力が投入されている。
古人の宮細工の心意気に触れて感動する。
ソウルの町は高層ビルが立ち並び近代的な都市だがその都市の間に古人が住んだ宮廷がある。日本植民地時代はどんな目で眺めてきたのだろうか。
歴史は刻んでいる。
歴史は知っている。
この歴史をきちんと伝えて欲しいと徳寿宮を歩いても景福宮を歩いても思う。願わずにおられない。
この中で生まれた宮廷料理には唐辛子料理はなかった。唐辛子は豊臣秀吉が寒さ対策で足の底に敷いて持ち運んだのが韓国の風土とあって韓国の特産物になった。
それまでは上品な味付けの料理だった。
父の姉、叔母がよく作ってくれたおやつ、メリケン粉だけの洋食なのにほのかに甘いだけの洋食だったが上品な香りがただよっていた。
あの作り方をきいおけばよかったと今は後悔している。
叔母は16歳、そのとき私の父親は5歳、私から見ると曾祖母と祖母そして叔母と父が玄海灘を渡ってきた。1926年に京都市南区東九条に上陸した。すでに来ていた私から見ると祖父を頼ってきたがここからまた波乱の人生が始まった。
叔母は生前、日本植民地支配をされても外に歩くときは頭から衣を被って歩いたという。女の子は外を歩くときに顔を見せない。そんな厳しい風習の中で育ったという。結婚してもずっと生家を思っていたと言う。長女ということでその家に対する思いは強かったと聞いている。
そんな古の時代に思いを馳せることが出来る韓国の徳寿宮、宿泊していたニュー国際ホテルからすぐ目の前にある。
訪韓して藤の花を見たいものだがそう簡単に訪韓はできない。
写真を眺めて思いに馳せてみよう。
写真は昨年訪韓したとき5月11日に徳寿宮で撮影したものです。
これを書いている時にジャーナリスト・ネットに掲載したベスト4に入った京都国際学校の野球部の関係者からお礼の電話がありました。少しでも学校に役だつことになれば嬉しいと思っている。
純粋な高校生の球児たち、京都市東山区本多山の運動場で日がとっぷり暮れても練習しています。そして球児たちの栄養管理をしているのは寄宿舎の食事を作っている在日韓国人と日本人婦人の2人です。寄宿舎の側には畑があります。学校関係者が野菜を作っています。選手たちは毎日とれとれの野菜を食べています。見えないところでも皆応援をしています。
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