鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

10月13日、月曜日だが連休である。

2008-10-13 10:37:42 | 直言!
全国でいろんな催しが行われている。
若いとき専業主婦のときは何かイベントを探して見学に行ったものだが今は仕事であちらこちらに行くので仕事のない時はどこにも出たくなくて家で過ごすことが多くなった。
若いときはエネルギーがたくさんあったのに-------。
今日は天気がいい。
夫は朝から出かけた。
7時半から電車の中—を1本作った。
そのまえに分からないことが多いのでインターネットで資料を検索した。
出来上がったのが9時半ごろ、それからブログを書きかけたが1本出稿しないといけない仕事用のコラムがある。
それをあらかた作ってまたブログの原稿となった。
早い。もう10時前、午後からはもう1本、仕事の原稿を作らないといけない。
連休だと思って少しゆっくりしていたので追い込んで作らないといけない。

そういえば朝、6時半ごろ洗濯を干すためにベランダにでると朝の東の雲は秋空である。東から上ってくる太陽を少し受けている雲は朝焼けである。
綺麗と思って撮影した。
こんな雲を高円山あたりに見ると古代の人もこの朝焼けを見ていたのだろう。少なくとも今みたいに家は建てこんでいなくて草原の中から仰ぎみたのではないだろうかと想像していた。
この朝日が夕方になると西に沈んでいく。
家の玄関から見える夕焼け、生駒の山に沈んで行くのも壮観である。
明日も元気に生きようと思う。
もっと壮観なのは木津川にかかる夕日、泉大橋に立って夕日の沈む様は荘厳そのものである。あの夕日の記憶だけでも私の故郷、木津のことは忘れることができない。
若いとき、私もいろんなことがあった。
日本人と付き合っていて親に分かって仕事もやめることになった。
そしてあきらめた。同胞と見合い結婚をしょうと心に決めた時に見た木津川から見た夕日、荘厳そのものだった。静かに沈んでいく。そして沈むと夕闇が訪れた。
静かに沈んでいく夕日は私に生きる勇気を与えてくれた。
明日になれば私の気持も晴れていくだろう。明日をせえいっぱいに生きてまた次ぎのことを考えていこうと勇気をもらったのが夕日だった。
長く人生を生きてきてそうした感傷的な気持で夕日はもう見なくなった。けれど今も夕日を見ると明日生きるエネルギーを見ているようで頑張れるように気がする。
今頃の木津川は穏やかに流れているだろう。
そして仕事の民団新聞に掲載されていた鶴橋にある有名な民族衣装の店の経営者が京都府立木津高校卒業と出ていた。
私より4歳下、学校で一緒に学んだ時期はないが思わず電話をした。卒業して2年後に入学している。妹と同じ時期があった。
私より4歳下の後輩である。出身は精華町、精華町にも私の同級生がいっぱいいる。懐かしい。学んだ時期は一緒でないのに懐かしい。
母親同士が友人でそれがきっかけで結婚したという。
この店は1世から築いたもの。2世にバトンタッチしてそして3世に引継がれようとしている。
1世の経営者は民団大阪本部でリーダーを務められたので私はこの方にずいぶんお世話になった。あれから時は過ぎている。
この記事に1世の創立者はたいそう喜んでおられた。
残念ながらこの記事は私が書いていない。若い記者が取材したものである。
若い記者が書いたもので喜んで頂いたことで後継者が育っていると私は確信している。
後輩は「1度、立寄って下さい」と話していたので1度あつかましくお邪魔をして1960年代の木津高校のころを話したい。
今頃、木津高校の周辺は柿が実る頃になるだろう。
内田山にあった木津高校、また青春が甦ってくる。
世間は広いようで狭いな。
【写真説明】2008年10月13日午前6時半撮影。
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