いい天気である。年末の晴れに用事がしやすい。
今朝、私は新年にネットにセットアップする1月1日に使う写真の構図を作って写真に撮る作業した。この後、机の引き出しが雑然としているのが気になってしょうがない。この机の引きだしはそんなに使わないと思って大雑把に入れていたがパソコンの隣にあるとつい必要とするものは雑然とこの引き出しに入れていった。常時使うものもこの中にいれていく。
2年ほどの間に机の引き出しはゴチャゴチヤになってきた。
これはあかん。と、半年前から思いかけてきた。
朝、8時過ぎから引きだしの整理をした。
100円均一で買ってきたトレーを入れて仕切りをしていく。
それでも足りない。頂き物の箱の中を出してそれも使っていく。
箱の中は仕切りがあったのでこの仕切りを利用することにした。
捨てる物は捨てて行く。
そして新しく仕切りを作ったところに引き出しの中を利用しやすいように入れていった。そして引きだしの中の隅っこからなにやら出てきた。
息子が使っていた高校時代の時間割表の切れ端が出てきた。
高校3年のときだと思う。
息子の字にしては綺麗な字を書いていたのかと新発見している。
結婚してからは嫁さんが綺麗な文字を書くので書くのは嫁さんに任せている。
たまに書く文字を見ると上手とはいえない文字が踊っている。
たいていはパソコンで文字入力しているので私と同様、文字がだんだん汚くなってきている。
息子の文字は身近に見ていたのは電機コタツの上で勉強していた時、私は側で本を読んだりしていた。そこで勉強していた。
中学入学を機会に息子の机を買った。
当時は木製が多く出ていたのに息子はスチール製の机を希望したのでそれを買った。この机を買った時はまだ佐紀町に住んでいた。中学1年の2月に現在の所に引っ越しをしてきた。もちろん机も一緒に持って来た。
息子は玄関を入った直ぐの所の洋間で寝起きしていたので机は長い間この部屋にあった。そして4年前の冬、大掃除をした。本は700冊ほど捨てて捨てた衣服の袋は10数袋になった。
そしてリビングにあったパソコンをベランダのある部屋に移動して息子の机を息子の部屋から移動させて私の仕事部屋、パソコンの隣に置いた。息子が使っていた部屋は物置兼衣装部屋にしている。
息子が使っていた机を私が使っている。
前のとき、こちらに持って来たときに引きだしを掃除したものの隅っこにあった息子の時間割に気がつかなかった。
今日は丁寧に引きだしを掃除したので息子が使っていた高校の時の時間割表を見つけた。
高校時代はけつこう遊びたくっていた息子だった。
中学の時と同じようにコツコツ勉強していれば関西の国公立の大学に行けたのにと思っている。しかし高校に行ってからは「勉強」「勉強」とうるさくいわなかった。一人っ子の自立を先に考えていたので自分で考えて行動するほうに優先させた。自分で考えて行動することは自分で責任も取るという自覚をさせた。
勉強ばかりが人生の器ではないと私自身がよく知っていた。
勉強ができても物事の善悪が分からなかったらその子どもが大人になったときに1番不幸なことであると私は考えていたので遊びもして友人・知人の関係を大切にしていくことを教えた。
そんな母親が嫌だったのか。
沖縄県の大学に行ってしまった。
私はずっと父親に縛られるという青春を過ごしてきたので子どもには縛る生活をしてはいけないといつも思っていた。縛らなかったら沖縄まで行って住み心地がいいのか奈良に戻ってこなくなった。
父親は勉強のできる妹を溺愛し私にはいつも「でき損ないの子ども」と言われていたので「勉強ばかりが人生ではない」といつも反発していた。父親が反面教師だった。
息子の高校時代の時間割が出てきて家族3人で暮らしていた在りし日を懐かしく思い出していた。私は当時は奈良県内で雑誌記者をしていたが勉強しながらの記者修行、悩みも多くあったがそのたびに乗り越えてきた苦悩を息子は見ていただろう。
ペングループと雑誌記者、多忙極まる生活も体験したがそれもこれも皆、私の肥やしになった。そして教育費がかさむ生活とマンションのローンで家の中はいつも火の車だった。息子が大学に行くともっと火の車だった。
どうにかこうにか夫婦で乗り込えてきた。
息子も知らない沖縄の土地で苦労したと思っている。
苦労していたのは分かっていたがそれも自分が選んだ選択、自分の力で乗り越えていかないといけない。私は何度も心を鬼にして息子を甘やかすことはしなかった。甘えさせてくれなかった親をひよっとしたら恨んでいるかもしれない。
1人っ子だったが私は溺愛しなかった。
この子が社会に1人で歩いていくことを重点においた。
それがよかったのか悪かったのか今も私は分からない。
息子の高校時代の時間割、家族がつながっていた証として大事に残しておくことにした。
もう12時、昼食です。
今朝、私は新年にネットにセットアップする1月1日に使う写真の構図を作って写真に撮る作業した。この後、机の引き出しが雑然としているのが気になってしょうがない。この机の引きだしはそんなに使わないと思って大雑把に入れていたがパソコンの隣にあるとつい必要とするものは雑然とこの引き出しに入れていった。常時使うものもこの中にいれていく。
2年ほどの間に机の引き出しはゴチャゴチヤになってきた。
これはあかん。と、半年前から思いかけてきた。
朝、8時過ぎから引きだしの整理をした。
100円均一で買ってきたトレーを入れて仕切りをしていく。
それでも足りない。頂き物の箱の中を出してそれも使っていく。
箱の中は仕切りがあったのでこの仕切りを利用することにした。
捨てる物は捨てて行く。
そして新しく仕切りを作ったところに引き出しの中を利用しやすいように入れていった。そして引きだしの中の隅っこからなにやら出てきた。
息子が使っていた高校時代の時間割表の切れ端が出てきた。
高校3年のときだと思う。
息子の字にしては綺麗な字を書いていたのかと新発見している。
結婚してからは嫁さんが綺麗な文字を書くので書くのは嫁さんに任せている。
たまに書く文字を見ると上手とはいえない文字が踊っている。
たいていはパソコンで文字入力しているので私と同様、文字がだんだん汚くなってきている。
息子の文字は身近に見ていたのは電機コタツの上で勉強していた時、私は側で本を読んだりしていた。そこで勉強していた。
中学入学を機会に息子の机を買った。
当時は木製が多く出ていたのに息子はスチール製の机を希望したのでそれを買った。この机を買った時はまだ佐紀町に住んでいた。中学1年の2月に現在の所に引っ越しをしてきた。もちろん机も一緒に持って来た。
息子は玄関を入った直ぐの所の洋間で寝起きしていたので机は長い間この部屋にあった。そして4年前の冬、大掃除をした。本は700冊ほど捨てて捨てた衣服の袋は10数袋になった。
そしてリビングにあったパソコンをベランダのある部屋に移動して息子の机を息子の部屋から移動させて私の仕事部屋、パソコンの隣に置いた。息子が使っていた部屋は物置兼衣装部屋にしている。
息子が使っていた机を私が使っている。
前のとき、こちらに持って来たときに引きだしを掃除したものの隅っこにあった息子の時間割に気がつかなかった。
今日は丁寧に引きだしを掃除したので息子が使っていた高校の時の時間割表を見つけた。
高校時代はけつこう遊びたくっていた息子だった。
中学の時と同じようにコツコツ勉強していれば関西の国公立の大学に行けたのにと思っている。しかし高校に行ってからは「勉強」「勉強」とうるさくいわなかった。一人っ子の自立を先に考えていたので自分で考えて行動するほうに優先させた。自分で考えて行動することは自分で責任も取るという自覚をさせた。
勉強ばかりが人生の器ではないと私自身がよく知っていた。
勉強ができても物事の善悪が分からなかったらその子どもが大人になったときに1番不幸なことであると私は考えていたので遊びもして友人・知人の関係を大切にしていくことを教えた。
そんな母親が嫌だったのか。
沖縄県の大学に行ってしまった。
私はずっと父親に縛られるという青春を過ごしてきたので子どもには縛る生活をしてはいけないといつも思っていた。縛らなかったら沖縄まで行って住み心地がいいのか奈良に戻ってこなくなった。
父親は勉強のできる妹を溺愛し私にはいつも「でき損ないの子ども」と言われていたので「勉強ばかりが人生ではない」といつも反発していた。父親が反面教師だった。
息子の高校時代の時間割が出てきて家族3人で暮らしていた在りし日を懐かしく思い出していた。私は当時は奈良県内で雑誌記者をしていたが勉強しながらの記者修行、悩みも多くあったがそのたびに乗り越えてきた苦悩を息子は見ていただろう。
ペングループと雑誌記者、多忙極まる生活も体験したがそれもこれも皆、私の肥やしになった。そして教育費がかさむ生活とマンションのローンで家の中はいつも火の車だった。息子が大学に行くともっと火の車だった。
どうにかこうにか夫婦で乗り込えてきた。
息子も知らない沖縄の土地で苦労したと思っている。
苦労していたのは分かっていたがそれも自分が選んだ選択、自分の力で乗り越えていかないといけない。私は何度も心を鬼にして息子を甘やかすことはしなかった。甘えさせてくれなかった親をひよっとしたら恨んでいるかもしれない。
1人っ子だったが私は溺愛しなかった。
この子が社会に1人で歩いていくことを重点においた。
それがよかったのか悪かったのか今も私は分からない。
息子の高校時代の時間割、家族がつながっていた証として大事に残しておくことにした。
もう12時、昼食です。
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