鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

4月最後の日も暮れていく。午後の4時である。

2010-04-30 16:54:31 | 直言!
早い。もう2010年も4ヶ月過ぎた。早い。
昨日からゴールデンウイーク、海外旅行に出かけた人が多いという。
連休の日程が遠出の旅行ができる。
多くの人たちが海外に旅立っていった。
私も連休の間に息子の家、沖縄県に行く予定だったが飛行機のチケットの購入するのが遅かった。行きは席がとれたが帰りは取れない。
息子の家に長居するわけにはいかない。
連休明にでも沖縄県に行くことにしたがなんとまた仕事が詰まってきている。
これでは無理かなと考えているが-----。

今日はいつも送ってくる大阪市生野区在住の高仁鳳さんから画像の入ったメールが送ってきた。
済州道に友人たちと自転車旅行に出かけている。
自転車で走る画面、懐かしい風景がでてくる。
私も済州道は仕事で3回訪問している。
沖縄と同じで紺碧の海が広がっている。
ここは沖縄と違って岩肌に打ちあげる波が荒い。
この岸壁から多くの人が大阪に密航してきたのかと思うと日本植民地時代の負の遺産が頭をよぎる。
その画面に懐かしい人が入っていた。
統一日報東京本社におられた上司が画面に出ていた。
高仁鳳さんが自宅を訪ねたようだ。
そして大阪市生野区生まれの奥さんがその画面におられた。
夫婦だから一緒に暮らして当たり前だが私は涙が出てきた。
よかった。奥さんと一緒に暮らしておられた。
よかった。子どもさんはたぶんソウルで働いておられるのだろう。
上司は1950年代、済州道で事件が起きた、それが4・3事件。
韓国国家建国のために大統領を決める選挙が行われようとしていた。
しかし済州道の人は反対した。朝鮮半島を統一してからの大統領選挙だった。
大韓民国だけの国家建国に反対したことからアメリカは一般市民までが北朝鮮のスパイとみなして殺害し始めた。
上司はまだ高校を卒業したばかりだったが追っ手に追われて日本に向かうために密航船に乗った。
日本の大阪にたどり付いた。
この後、さまざまな困難に出会うが力強く生き抜いてこられた。
大阪市生野区で知り合った奥さんと結婚した。大阪生まれの大阪育ちの2世である。東京、大阪と転居して親の介護で大阪におられると聞いていたが------。
そしたら上司の家にいた奥さんが画面に出ていた。
思わず涙が出てきた。
夫婦だから当たり前だが一緒に暮らしていてよかったとほっと安心した。
そして密航で日本に来られたが晩年は故郷の済州道にもどって夫婦、穏やかに暮らしておられる姿にまた涙がこぼれそうになった。
画像は韓日サロン・・リビングルームに掲載します。
このブログは写真が1枚しかはいりませんから。
私が猛烈に仕事をした統一日報大阪時代、そのとき東京本社におられた上司、一ヶ月に2・3度大阪に来られて関西で営業しながら情報収集をしておられた。
住まいは東京、奥さんも東京におられ統一日報東京本社で勤務しておられた。
統一日報時代、電話ではよく話した。
彼女はいつも言っていた。
「大阪と東京との物価価格が違う。東京は高い。とても住み難い都市です」と話しておられたことが印象に残っている。
大阪の人は懐かしい映像になるでしょう。

今日は現場の仕事がない。少し運動しないと血圧が高くなる。
それで少し歩くことにした。そのかわり昼寝の時間はなくなった。
昼寝の時間がなくなったが夜は9時になれば眠たい。早寝になりそうだが----。
散歩することにした。近場を少し歩くことにした。
マンションの隣にも喫茶店があるがもう少し足を伸ばすことにした。
歩いて数分のところだがすこし遠回りして15分、15分ほど行くとまた喫茶店がある。そこで新聞を読むことにした。
1時間ほど新聞を読んで帰ってきた。所要時間は1時間半。歯を磨き化粧して眼鏡で行く。化粧の時間がもったいない。
行きつけの喫茶店だと化粧しないといけない。バスに乗って片道約15分、JR奈良駅で乗車する人が多いので待ち時間が長い。
ここで1時間新聞読んで帰ってくると2時間はかかる。
それで散歩の運動を兼ねて近場に行ってきた。

もう5時、夕食の支度です。
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