たぶん集中力で作業するので汗がでてくるのかもしれない。
ベランダを網戸にした。
雲は大きく幾つも広がっている。
夏の雲ではないが秋の雲にしては雲が大きすぎる。
やはり鰯雲を見ると秋の空と思う。
10時過ぎからテレビを見ていて11時過ぎには休憩をした。
新聞2紙を読んでやっと眠りに入ったときに携帯電話がなった。
小学校の同級生からだった。
同窓会のことでの電話、私は出席と決まったらすぐにハガキを出しておく。
後でと思っていたらもうそんなこと返事を出すことを忘れてしまっている。
それで案内を頂き欠席でなかったらすぐに返事をだしておく。
もしのっぴきならない仕事が入ると欠席になる。それでまたすぐ連絡することにしている。たいていの場合は仕事と絡まなくて助かっている。
仕事が入ってどうすることもできないときは仕事を違う方法で考えて私の個人の会合を大事にしている。
ただ今回、11月6日ははずしてほしいと同級生にお願いしておいた。
同級生は私の意向を伝えてくれたようだ。
それで同窓会に出席することができる。
11月6日は「四天王寺ワッソ」の本祭です。
10時半から開幕、古代衣装のバレードは12時から始まる。
今、準備の真っ只中、この記事に関して先日9月22日に取材して記事にした。記事のホームページは
http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=2&newsid=14997
台風の来ているときで本当は9月21日に四天王寺ワッソの事務局に訪問して取材する予定だった。しかし関西にも影響した台風だったので22日に変更した。雨と風の中を歩くのに少し躊躇した。
22日の朝に奈良市内でイベントに入って舞踊するから取材という電話が入ったがそれは変えられなかった。21日を22日に変更してもらったことと22日のことは後日取材ということにしたが何もメモも送ってこないのでどうすることもできない。
後日取材で本人にあって取材することも多々あるが今回は他の仕事で忙しくて追いかけていく時間もなかった。メールでメモを送ってもらえればできることだった。日々、いろんなことを対応して仕事と主婦をしている。
取材に対する意気込みは相手が活動に対する意気込みが伝わってくると私も一生懸命に奔走している。
毎年、無理難題の企画でそれにこちらは突然に取材要請をしてもいつも応えてくれているのが四天王寺ワッソを運営しているNPO大阪ワッソ文化交流協会の関係者です。
今年も2時間足らずの取材、歴史的に綴る原稿だったのに何かと原稿作成の協力、早急に対応して下さったのでいい記事になった。関係者に感謝をしている。
本祭の前に事前記事を作成するのは恒例の原稿の企画になった。
今年は何を企画しようと思って「四天王寺ワッソ」事務局のホームページを見ているとボランテイア公募を締め切ったとでている。
毎年本祭の現場に行って思うことはこれだけのボランテイアをどうして集めてくるのかがいつも不思議だった。「よし。今年はボランテイア活動」を取り上げてみようと企画案を編集局に出した。
企画は通った。そして四天王寺ワッソ事務局にメールして取材日程の交渉となった。それもいつも快く対応して下さるので大変助かっている。
以前、おられた事務局の責任者は東京に転勤されたが後を引き継いだ人も臨機応変に対応して下さっているのでとても助かっている。事務局はじめ関係者は本祭の当日、てきぱきとこなしている。多くの人を統率しておられる姿に四天王寺ワッソを支援した1世たちはきっと喜んでおられると思っている。
東京に転勤された人はもともとは信用組合関西興銀の職員だった。
関西興銀が破綻した。そして四天王寺ワッソが中断されたがまた多くの人が開催を要請していた。復活した。復活する中で大阪ワッソ文化交流協会の礎を作った人だった。仕事には厳しい人だったが取材要請をするとどんな時も的確に対応して下さった。
この基礎があるから今も事前取材を毎年続けてすることができる。
彼は関西興銀の創設者が韓国で作った銀行、新韓銀行の日本支店が東京に来た。そして転勤になって東京に行かれた。それなりのこれまでの仕事の実績があって東京に栄転された。
若い人が栄転していくのは喜ばしいことで彼からメールでのお知らせに思わず将来に向かってまたまた羽ばたいてほしいと願った。
彼と一緒に四天王寺ワッソの衣装やだんじりの船そして楽器などなどを保管してある倉庫に取材に行ったことは生涯私の記憶の中に残っていく。
なぜ四天王寺ワッソに一生懸命になったのか。
1世たちの生き様がその倉庫から息づいている様子を確認した。
声は何も聞こえないが息遣いが感じる倉庫だった。
創設された李煕健さんは今年亡くなられた。
もう90歳近かったはずだが---。四天王寺ワッソは多くの人に支えられて受け継がれて今年も11月6日に本祭が行われる。
場所は地下鉄谷町4丁目近くの難波の宮の史跡、大阪歴史博物館から道路隔てた向かい側です。JR森之宮駅から真直ぐ西に向かっていくと会場があります。
さてこれから夕食の支度です。
2時に目が覚めてパソコンに座ったのは2時15分、受信メールの雑用していると時間は3時になっていた。1日過ぎるのが早い。
ベランダを網戸にした。
雲は大きく幾つも広がっている。
夏の雲ではないが秋の雲にしては雲が大きすぎる。
やはり鰯雲を見ると秋の空と思う。
10時過ぎからテレビを見ていて11時過ぎには休憩をした。
新聞2紙を読んでやっと眠りに入ったときに携帯電話がなった。
小学校の同級生からだった。
同窓会のことでの電話、私は出席と決まったらすぐにハガキを出しておく。
後でと思っていたらもうそんなこと返事を出すことを忘れてしまっている。
それで案内を頂き欠席でなかったらすぐに返事をだしておく。
もしのっぴきならない仕事が入ると欠席になる。それでまたすぐ連絡することにしている。たいていの場合は仕事と絡まなくて助かっている。
仕事が入ってどうすることもできないときは仕事を違う方法で考えて私の個人の会合を大事にしている。
ただ今回、11月6日ははずしてほしいと同級生にお願いしておいた。
同級生は私の意向を伝えてくれたようだ。
それで同窓会に出席することができる。
11月6日は「四天王寺ワッソ」の本祭です。
10時半から開幕、古代衣装のバレードは12時から始まる。
今、準備の真っ只中、この記事に関して先日9月22日に取材して記事にした。記事のホームページは
http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=2&newsid=14997
台風の来ているときで本当は9月21日に四天王寺ワッソの事務局に訪問して取材する予定だった。しかし関西にも影響した台風だったので22日に変更した。雨と風の中を歩くのに少し躊躇した。
22日の朝に奈良市内でイベントに入って舞踊するから取材という電話が入ったがそれは変えられなかった。21日を22日に変更してもらったことと22日のことは後日取材ということにしたが何もメモも送ってこないのでどうすることもできない。
後日取材で本人にあって取材することも多々あるが今回は他の仕事で忙しくて追いかけていく時間もなかった。メールでメモを送ってもらえればできることだった。日々、いろんなことを対応して仕事と主婦をしている。
取材に対する意気込みは相手が活動に対する意気込みが伝わってくると私も一生懸命に奔走している。
毎年、無理難題の企画でそれにこちらは突然に取材要請をしてもいつも応えてくれているのが四天王寺ワッソを運営しているNPO大阪ワッソ文化交流協会の関係者です。
今年も2時間足らずの取材、歴史的に綴る原稿だったのに何かと原稿作成の協力、早急に対応して下さったのでいい記事になった。関係者に感謝をしている。
本祭の前に事前記事を作成するのは恒例の原稿の企画になった。
今年は何を企画しようと思って「四天王寺ワッソ」事務局のホームページを見ているとボランテイア公募を締め切ったとでている。
毎年本祭の現場に行って思うことはこれだけのボランテイアをどうして集めてくるのかがいつも不思議だった。「よし。今年はボランテイア活動」を取り上げてみようと企画案を編集局に出した。
企画は通った。そして四天王寺ワッソ事務局にメールして取材日程の交渉となった。それもいつも快く対応して下さるので大変助かっている。
以前、おられた事務局の責任者は東京に転勤されたが後を引き継いだ人も臨機応変に対応して下さっているのでとても助かっている。事務局はじめ関係者は本祭の当日、てきぱきとこなしている。多くの人を統率しておられる姿に四天王寺ワッソを支援した1世たちはきっと喜んでおられると思っている。
東京に転勤された人はもともとは信用組合関西興銀の職員だった。
関西興銀が破綻した。そして四天王寺ワッソが中断されたがまた多くの人が開催を要請していた。復活した。復活する中で大阪ワッソ文化交流協会の礎を作った人だった。仕事には厳しい人だったが取材要請をするとどんな時も的確に対応して下さった。
この基礎があるから今も事前取材を毎年続けてすることができる。
彼は関西興銀の創設者が韓国で作った銀行、新韓銀行の日本支店が東京に来た。そして転勤になって東京に行かれた。それなりのこれまでの仕事の実績があって東京に栄転された。
若い人が栄転していくのは喜ばしいことで彼からメールでのお知らせに思わず将来に向かってまたまた羽ばたいてほしいと願った。
彼と一緒に四天王寺ワッソの衣装やだんじりの船そして楽器などなどを保管してある倉庫に取材に行ったことは生涯私の記憶の中に残っていく。
なぜ四天王寺ワッソに一生懸命になったのか。
1世たちの生き様がその倉庫から息づいている様子を確認した。
声は何も聞こえないが息遣いが感じる倉庫だった。
創設された李煕健さんは今年亡くなられた。
もう90歳近かったはずだが---。四天王寺ワッソは多くの人に支えられて受け継がれて今年も11月6日に本祭が行われる。
場所は地下鉄谷町4丁目近くの難波の宮の史跡、大阪歴史博物館から道路隔てた向かい側です。JR森之宮駅から真直ぐ西に向かっていくと会場があります。
さてこれから夕食の支度です。
2時に目が覚めてパソコンに座ったのは2時15分、受信メールの雑用していると時間は3時になっていた。1日過ぎるのが早い。
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