昨日まで何かしらバタバタしていた。
今日は8時半にパソコンを閉めて身支度をして外出、行きつけの喫茶店でゆっくり新聞を読んで美容院に行く。
もう髪の毛前は真っ白になっている。
日差しが強くなってくるとこの白髪がよく目立つ。
2ヶ月がギリギリ辛抱できる白髪です。
もうすぐするとゴールデンウイークに入る。
仕事はしばらくないだろう。
連休が明けるとまた忙しい日々になっていく。
昨日からまた少年の事件でテレビも新聞も騒がしい。
何がこんなふうにした日本、何が社会の常識を欠けていったのか。
社会的な生活の詳細を見直さないといけない。
些細ないなことかもしれないが----。
特急や新幹線を別にして通勤電車や普段利用する地方のローカル電車の中での飲食、決して端で見ていて気分のいいものではない。ローカル線になると老いも若きも中高年も飲食をしている。縦すわりの座席で後方から見えないことでJR鉄道はしたいほうだいです。旅の案内をしているJRは地方のローカル線、通勤電車にもかかわらず飲食に対して何も注意をしない。やかましいほど旅の案内をしているが宣伝をするのに飲食の注意はしない。
優先座席では携帯電話にスマートホンを触っていても注意を促さない。
私がよく利用する近鉄電車に大阪市営地下鉄、通勤電車もこの頃はまた年輩者の飲食も見られるようになった。
駅構内で購入しているコンビニの弁当を広げている光景もよく見る。
販売する駅構内のコンビニ、店に張り紙をしてほしい。「電車の中の飲食は見苦しい行為、匂いで人に迷惑をかけています」と。それぐらいの気構えを見せてもらいたいものだ。
縦座りの座席にはさらに多い。
近鉄電車の後部の車両は優先座席です。私はいつも1番後ろの車両を利用しているが最近は優先座席の携帯電話の使用やスマートホンを使っている人に車掌が「優先座席です」と注意されているのをよく見るようになった。
この注意に怒る人はほとんどいない。だったら最初から使わないでと思っている。何も電車の中でそんなに触ることが必要だろうか。日本人など多くの人は触らないと落ち着かないという病気になっているようだ。
若い人で家庭や学校教育ができている若者は優先座席には座らないようにしている。しかし中には平気で優先座席にすわっている若者もいる。
女性たちの化粧もトイレでする人を多く見かけるようになった。
電車の中の化粧は見苦しいとわかってきた人が多くなってきた。
しかし未だに電車の中で化粧する女性が後立たない。
飲食は周りに匂いと音が迷惑、化粧も匂いと化粧道具をパタンパタンと開け閉めする音も耳障りです。周りに迷惑をかけている。
なんといってもその行為は見苦しいという一言につきる。
日本文化や生活習慣の中には「美」に対しては表面に出すまで人に見せないという日本人気質の美意識がある。
見せないから裏技に魅力がある。
裏にこめられた技があるから「美意識」が培われていくという日本文化があったはずだ。
それも損なわれている日本社会、なんでもかんでも西洋文化を取り込んだものの日本人が持っている奥ゆかしさが1つ1つほころびている。
日本の伝統文化や生活の中で知らず知らず昔の子どもたちは地域と一緒に学んできたが地域社会が壊れた首都圏に集中する生活媒体の見直しが早急にされないといけないと痛切に思う。
私が1人叫んだところで何も解決されない。
最近私は電車の中の化粧も飲食も隣に座った人には注意するがそれ以外は見て見ぬふりをしている。最近の若者たちの気質が恐くて何もいえない。
見て見ぬふりをしている。
奈良県はマナーがワーストに入っていることも抜本的に見直さないといけない。
一時、電車の中の化粧に飲食を書いて奈良から乗車する奈良県民のマナーの悪さを書いた。奈良県民はマナーが悪いと書いた。
ある男性からお叱りを受けた。
「電車に乗る人は奈良県民だけではない。他府県の人もいる」と。
私から見るとどう見ても奈良県民と思っている。
そして最近の新聞で奈良県のマナーがワーストという記事がでていた。
私の見方は間違いがなかったと思っているがその男性に言い訳する気も何もない。彼は普段、電車に乗らないからわからないだけである。
私は1週間に2・3日電車に乗って奈良から大阪、京都、神戸などと出かけていく。長い間見てきた奈良県民の態度である。
25年間、こうした暮らしをしてきて私の目で見える直感をお知らせしている。
近鉄沿線の中でどこの駅で降りる人のマナーが悪いか。それわかっている。
大人のマナーの悪さもどこの駅で降りる人が多いのか。それもわかっているがここでは書かないことにしよう。相当の批判を受けそうだから------。
高級住宅街に住んでいる自負感がそうさせるのか、高級ブランドを持つ気質がそうさせるのか。そうとう悪いです。老いも若きも----。特に中高年も悪いです。
無免許運転する少年たち、家庭教育を早急に見直さないといけない。
団塊世代から1970年代に学校教育を受けた子どもたちが1980年代半ばに就職した世代が親になった。その子どもたちの非常識はどこから出ているのだろうか。
長年の学校教育と家庭教育と日本社会のあり方が問われている。
何もなかった日本の焼け野原の戦後、それでも懸命に働き今の日本を作った。その中でも地域社会があって皆で子育てをしてきた。力強く逞しく自己責任を培って世間の常識を身につけてきた。
地域社会の重要さの見直しである。
経済発展をして核家族になった家庭環境にどう対応していくのか。
皆に問われている。
さて身支度して外出です。
今日は8時半にパソコンを閉めて身支度をして外出、行きつけの喫茶店でゆっくり新聞を読んで美容院に行く。
もう髪の毛前は真っ白になっている。
日差しが強くなってくるとこの白髪がよく目立つ。
2ヶ月がギリギリ辛抱できる白髪です。
もうすぐするとゴールデンウイークに入る。
仕事はしばらくないだろう。
連休が明けるとまた忙しい日々になっていく。
昨日からまた少年の事件でテレビも新聞も騒がしい。
何がこんなふうにした日本、何が社会の常識を欠けていったのか。
社会的な生活の詳細を見直さないといけない。
些細ないなことかもしれないが----。
特急や新幹線を別にして通勤電車や普段利用する地方のローカル電車の中での飲食、決して端で見ていて気分のいいものではない。ローカル線になると老いも若きも中高年も飲食をしている。縦すわりの座席で後方から見えないことでJR鉄道はしたいほうだいです。旅の案内をしているJRは地方のローカル線、通勤電車にもかかわらず飲食に対して何も注意をしない。やかましいほど旅の案内をしているが宣伝をするのに飲食の注意はしない。
優先座席では携帯電話にスマートホンを触っていても注意を促さない。
私がよく利用する近鉄電車に大阪市営地下鉄、通勤電車もこの頃はまた年輩者の飲食も見られるようになった。
駅構内で購入しているコンビニの弁当を広げている光景もよく見る。
販売する駅構内のコンビニ、店に張り紙をしてほしい。「電車の中の飲食は見苦しい行為、匂いで人に迷惑をかけています」と。それぐらいの気構えを見せてもらいたいものだ。
縦座りの座席にはさらに多い。
近鉄電車の後部の車両は優先座席です。私はいつも1番後ろの車両を利用しているが最近は優先座席の携帯電話の使用やスマートホンを使っている人に車掌が「優先座席です」と注意されているのをよく見るようになった。
この注意に怒る人はほとんどいない。だったら最初から使わないでと思っている。何も電車の中でそんなに触ることが必要だろうか。日本人など多くの人は触らないと落ち着かないという病気になっているようだ。
若い人で家庭や学校教育ができている若者は優先座席には座らないようにしている。しかし中には平気で優先座席にすわっている若者もいる。
女性たちの化粧もトイレでする人を多く見かけるようになった。
電車の中の化粧は見苦しいとわかってきた人が多くなってきた。
しかし未だに電車の中で化粧する女性が後立たない。
飲食は周りに匂いと音が迷惑、化粧も匂いと化粧道具をパタンパタンと開け閉めする音も耳障りです。周りに迷惑をかけている。
なんといってもその行為は見苦しいという一言につきる。
日本文化や生活習慣の中には「美」に対しては表面に出すまで人に見せないという日本人気質の美意識がある。
見せないから裏技に魅力がある。
裏にこめられた技があるから「美意識」が培われていくという日本文化があったはずだ。
それも損なわれている日本社会、なんでもかんでも西洋文化を取り込んだものの日本人が持っている奥ゆかしさが1つ1つほころびている。
日本の伝統文化や生活の中で知らず知らず昔の子どもたちは地域と一緒に学んできたが地域社会が壊れた首都圏に集中する生活媒体の見直しが早急にされないといけないと痛切に思う。
私が1人叫んだところで何も解決されない。
最近私は電車の中の化粧も飲食も隣に座った人には注意するがそれ以外は見て見ぬふりをしている。最近の若者たちの気質が恐くて何もいえない。
見て見ぬふりをしている。
奈良県はマナーがワーストに入っていることも抜本的に見直さないといけない。
一時、電車の中の化粧に飲食を書いて奈良から乗車する奈良県民のマナーの悪さを書いた。奈良県民はマナーが悪いと書いた。
ある男性からお叱りを受けた。
「電車に乗る人は奈良県民だけではない。他府県の人もいる」と。
私から見るとどう見ても奈良県民と思っている。
そして最近の新聞で奈良県のマナーがワーストという記事がでていた。
私の見方は間違いがなかったと思っているがその男性に言い訳する気も何もない。彼は普段、電車に乗らないからわからないだけである。
私は1週間に2・3日電車に乗って奈良から大阪、京都、神戸などと出かけていく。長い間見てきた奈良県民の態度である。
25年間、こうした暮らしをしてきて私の目で見える直感をお知らせしている。
近鉄沿線の中でどこの駅で降りる人のマナーが悪いか。それわかっている。
大人のマナーの悪さもどこの駅で降りる人が多いのか。それもわかっているがここでは書かないことにしよう。相当の批判を受けそうだから------。
高級住宅街に住んでいる自負感がそうさせるのか、高級ブランドを持つ気質がそうさせるのか。そうとう悪いです。老いも若きも----。特に中高年も悪いです。
無免許運転する少年たち、家庭教育を早急に見直さないといけない。
団塊世代から1970年代に学校教育を受けた子どもたちが1980年代半ばに就職した世代が親になった。その子どもたちの非常識はどこから出ているのだろうか。
長年の学校教育と家庭教育と日本社会のあり方が問われている。
何もなかった日本の焼け野原の戦後、それでも懸命に働き今の日本を作った。その中でも地域社会があって皆で子育てをしてきた。力強く逞しく自己責任を培って世間の常識を身につけてきた。
地域社会の重要さの見直しである。
経済発展をして核家族になった家庭環境にどう対応していくのか。
皆に問われている。
さて身支度して外出です。
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