駐大阪韓国総領事館にこの2月に赴任してこられた領事、ある人のメールの動画を見て私の記憶にある人だった。
1995年前後、ソウルに訪問した時に国際教育振興院に勤務する教師たちと一緒にソウルの町で夕食をしたことがあった。
この時、私にたくさん注いでくれた人がたまたま私の隣に座った教師だった。
空き腹なので焼酎・眞露が早く体にまわった。
私は「もう注がないで下さい。少し酔ってきました」とお願いした。
男性教師は「よっぱらったら快方してあげる」というが私は心の中で快方が「狼」になると恐いと思って店の人に水を持ってきてもらってコップ2杯ほどの水を飲んだ。それで酔いがさめていった。
そんなことを思い出す夕食の光景である。
ソンセンニムはしばらくして青森に赴任、また韓国に帰国された。今回、教育担当の領事で大阪に赴任してこられた。
不思議な縁である。
たぶん私の記憶にあると考えて昨日、朝1番に領事直接の電話に電話をするとソンセンニムが出られた。
私の声に驚かれた。覚えておられた。
なつかしい声に会話が弾んだ。
電話を切るとソウルの町が懐かしく思いだされた。
国際教育振興院は地下鉄にのって恵化で降りる。マロニエ公園のすぐ側にある。
若いときは地下鉄で行った。
ここにはまた民団と韓国政府が立てた寄宿舎もある。在日韓国人はもちろん近年はアメリカそして中国やロシアなど他の海外同胞子弟が留学してここで寄宿している。
そんな寄宿舎の光景も思い出された。
ふとソウルの町の徳寿宮や清渓川が懐かしく目に浮かんでくる。
けれど韓国に行っても食事をしないといけない。
その食事が私は難儀なことになった。
60歳を過ぎてから韓国料理を食べると腹痛になってしまう。
どうやら刺激の強いニンニクが体にあわなくなっている。
そして夫が70歳前になって2日も3日も家を空けることができなくなった。
年を取るともう自分の責任を果たしたと思っているのか、食べることも飲むことも暴飲暴食でほっておけなくなった。
行くなら夫婦で行こうと思っている。それがなかなか夫婦で行く機会ができない。去年は車を買いテレビを買い夫の身内の結婚式で現金100万円程度のお金が羽が生えたように飛んでいった。年金受給者にはこれもきつい。
そんなことで節約した生活をしないといけないと思って自制するところは自制している。しかし夫は節約する私を横目に分厚い肉を買ってきてホットプレートで焼いて悦に入って食べている。食いしん坊の夫の癖がなおらない。
私の贅沢はせいぜい喫茶店のコーヒーで食材はいつも野菜を炊いて食べている。
本代くらいで贅沢はしていないのに夫はなにかと夕食に自分の食べたいものを買ってくる。
そんな話を軽く赴任してきたソンセン二ムと話してまた会える日を楽しみにした。電話を切った後もソウルの町が走馬灯に浮かんできた。
9時半頃から外出の支度をして10時15分ごろ自宅を出た。
10時半ごろ近鉄奈良駅について郵便局に寄って郵便振込みを済ませて急いで行きつけの喫茶店に行った。新聞を急いで読んだ。
11時半に店をでてJR奈良駅に向かった。
この近くのホテル日航奈良で奈良新聞の合同例会。12時から講演会が始まって懇親会で昼食をして2時前にここを出た。また近鉄奈良駅に戻って行きつけの喫茶店に行って読みかけの文庫本を読んだ。
3時過ぎに出てスーパーで大根やキャベツなど重いものを少し買って家に急ぐが中循環バスがでたばかり、市内循環が混んでいるので中循環バスを待った。昨日は寒い。市内循環にのればよかったかなと後悔しながら待った。
家につくとシャワーを浴びてパソコンを開くと編集局から取材要請が入っている。夕方、遅くなったが返信など雑用を済ませて夕食の支度をする。
自分の好きなことをしているのにバタバタと1日は過ぎていった。
1995年前後、ソウルに訪問した時に国際教育振興院に勤務する教師たちと一緒にソウルの町で夕食をしたことがあった。
この時、私にたくさん注いでくれた人がたまたま私の隣に座った教師だった。
空き腹なので焼酎・眞露が早く体にまわった。
私は「もう注がないで下さい。少し酔ってきました」とお願いした。
男性教師は「よっぱらったら快方してあげる」というが私は心の中で快方が「狼」になると恐いと思って店の人に水を持ってきてもらってコップ2杯ほどの水を飲んだ。それで酔いがさめていった。
そんなことを思い出す夕食の光景である。
ソンセンニムはしばらくして青森に赴任、また韓国に帰国された。今回、教育担当の領事で大阪に赴任してこられた。
不思議な縁である。
たぶん私の記憶にあると考えて昨日、朝1番に領事直接の電話に電話をするとソンセンニムが出られた。
私の声に驚かれた。覚えておられた。
なつかしい声に会話が弾んだ。
電話を切るとソウルの町が懐かしく思いだされた。
国際教育振興院は地下鉄にのって恵化で降りる。マロニエ公園のすぐ側にある。
若いときは地下鉄で行った。
ここにはまた民団と韓国政府が立てた寄宿舎もある。在日韓国人はもちろん近年はアメリカそして中国やロシアなど他の海外同胞子弟が留学してここで寄宿している。
そんな寄宿舎の光景も思い出された。
ふとソウルの町の徳寿宮や清渓川が懐かしく目に浮かんでくる。
けれど韓国に行っても食事をしないといけない。
その食事が私は難儀なことになった。
60歳を過ぎてから韓国料理を食べると腹痛になってしまう。
どうやら刺激の強いニンニクが体にあわなくなっている。
そして夫が70歳前になって2日も3日も家を空けることができなくなった。
年を取るともう自分の責任を果たしたと思っているのか、食べることも飲むことも暴飲暴食でほっておけなくなった。
行くなら夫婦で行こうと思っている。それがなかなか夫婦で行く機会ができない。去年は車を買いテレビを買い夫の身内の結婚式で現金100万円程度のお金が羽が生えたように飛んでいった。年金受給者にはこれもきつい。
そんなことで節約した生活をしないといけないと思って自制するところは自制している。しかし夫は節約する私を横目に分厚い肉を買ってきてホットプレートで焼いて悦に入って食べている。食いしん坊の夫の癖がなおらない。
私の贅沢はせいぜい喫茶店のコーヒーで食材はいつも野菜を炊いて食べている。
本代くらいで贅沢はしていないのに夫はなにかと夕食に自分の食べたいものを買ってくる。
そんな話を軽く赴任してきたソンセン二ムと話してまた会える日を楽しみにした。電話を切った後もソウルの町が走馬灯に浮かんできた。
9時半頃から外出の支度をして10時15分ごろ自宅を出た。
10時半ごろ近鉄奈良駅について郵便局に寄って郵便振込みを済ませて急いで行きつけの喫茶店に行った。新聞を急いで読んだ。
11時半に店をでてJR奈良駅に向かった。
この近くのホテル日航奈良で奈良新聞の合同例会。12時から講演会が始まって懇親会で昼食をして2時前にここを出た。また近鉄奈良駅に戻って行きつけの喫茶店に行って読みかけの文庫本を読んだ。
3時過ぎに出てスーパーで大根やキャベツなど重いものを少し買って家に急ぐが中循環バスがでたばかり、市内循環が混んでいるので中循環バスを待った。昨日は寒い。市内循環にのればよかったかなと後悔しながら待った。
家につくとシャワーを浴びてパソコンを開くと編集局から取材要請が入っている。夕方、遅くなったが返信など雑用を済ませて夕食の支度をする。
自分の好きなことをしているのにバタバタと1日は過ぎていった。
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