だらだらと過ごした。
朝、パソコンでしなければならないことは済ませた。
9時半にパソコンを閉めてフトンの中で横になりながら新聞2紙を読んだ。
居眠りをするが空腹で目が覚めた。
何もおかずを作る気がしない。
玉葱はスライスして密閉容器に入っている。
皿に玉葱のスライスを並べてその上にこの間、買ったコロッケが1個残っていたのでそれと天ぷらをのせて電子レンジで温めてそれでご飯を食べた。
食べてまた12時ごろからフトンの中で本を読んだりウトウトしたりしてゴロゴロしていた。
玄関のチャイムが鳴る。
他のセールスだったら戸もあけないで「結構です」と言って戸もあけないが、どうやらある銀行の人である。戸をあけて「家には預貯金する余裕がありません」と言って断った。
なんとか主人のものを少しでも言われるが「主人は自分が決めた銀行でしているので主人の断りなしではできません」と言った。
それですぐ帰って行かれたのでドアを閉めた。
しかし時計はもう2時20分、パソコンを1度開いて受信メールを確認しないといけない。
開けると、編集局から問い合わせが来ていた。その返信を済ませて今度は笑福亭銀瓶さんからのメールをワード画面に貼り付けて原稿にする作業した。
銀瓶さんから頂いたメールをほとんど触らないでそまのの原稿にして画面にセットアップした。写真はずっと前、大阪ドーンセンターで韓国語落語を大阪韓国文化院主催で開催された時に資料として頂いたものを保存しておいてそれを使っている。背広姿の写真は私がインタビューして撮影したもの。他の写真も。
今回は連休の高座なので高座の写真を使った。
9月3日に桂小春団冶さんの高座もあった。メールを頂きながら仕事に追われていて頂いたメールを見ると2日も過ぎていた。
そんなミスもしている。
桂小春団冶さんも韓国に関することでインタビューをした。
大阪天満橋にある繁昌亭の隣の喫茶店で取材してその時の写真を保存しておいて使用している。
今日2回目のブログを書こうと思ったら時計はもう3時である。
早いな。ゆっくり1日か2日、ゴロゴロしたいができない。
何かと用事が多い。仕事も入っている。
外は雨がふりそうな曇り空、昨日は涼風が吹いていたのに今日は風が少ない。
明日は女友達と昼ランチをするがその前に生活を引き出して振り込むところは振り込む作業をしないといけない。
16・17日と仕事で忙しい。18日は電気代が引き落とされていく。仕事しているとこんなことを忘れている。電気代の引き落としは早いので気をつけないといけないのに---2・3年に1度、2回目の引き落とし日に引き落とされている。
そんなことで明日そんな用事も済ませておこう。
今日のNHKテレビ、家族に乾杯は奈良県の曽爾高原である。
夫は朝、新聞のテレビ欄を見ながらそう言っていた。この番組を楽しみにしているが今日はまた奈良県の曽爾高原、ここは交通の不便なところである。
1度、韓国系民族学校金剛学園がこの曽爾高原の隣にある青少年の家で韓国から来られた学生たちと合宿の交流会をした。
曽爾高原で2泊3日、私は金剛学園に行ってスクールバスで一緒に曽爾高原に取材で行った。遠い。高速道路走ったが遠い。
夜は1泊した。私は前日に膝に注射を打って風呂に入れなかった。
曽爾高原で風呂に入ろうと思ったら青年たちが宿泊するところ、階段を幾つも幾つも上っていく風呂に私は怖気ついた。
風呂に入らずに寝たのでまわりにいた教師たちはさぞ私の汗臭さで閉口しただろうと思っている。
翌日は校長がまた海外から学生が来るということで大阪南港に迎えにいくということで大阪に行かれる時に金剛学園のスクールバスに便乗することができた。
近鉄榛原駅で降ろしてもらってここから電車で帰ったことを覚えている。
真夏の暑い8月の初めのことだった。
曽爾高原はまだその時は夏で緑色の草原だった。
観光客はその高原を行ったり来たりして歩いていた。
この高原がやがて秋が近づくとススキの高原になる。
ススキの高原は写真家には有名で多くの写真家が訪れる。
雑誌記者時代はこのススキの高原、曽爾高原のススキの写真に絵解きをして雑誌のグラビアにしたものだった。どんな絵解きをしたのか今はすっかり記憶にない。私の30代後半から40代の初めのことである。
そんな年からはるか遠くなってしまった。
1度、金剛学園の交流事業の取材を兼ねて曽爾高原に行っているので今日は懐かしく家族に乾杯の番組を見よう。
その前に夕食の支度をして風呂に入らないといけない。
朝、パソコンでしなければならないことは済ませた。
9時半にパソコンを閉めてフトンの中で横になりながら新聞2紙を読んだ。
居眠りをするが空腹で目が覚めた。
何もおかずを作る気がしない。
玉葱はスライスして密閉容器に入っている。
皿に玉葱のスライスを並べてその上にこの間、買ったコロッケが1個残っていたのでそれと天ぷらをのせて電子レンジで温めてそれでご飯を食べた。
食べてまた12時ごろからフトンの中で本を読んだりウトウトしたりしてゴロゴロしていた。
玄関のチャイムが鳴る。
他のセールスだったら戸もあけないで「結構です」と言って戸もあけないが、どうやらある銀行の人である。戸をあけて「家には預貯金する余裕がありません」と言って断った。
なんとか主人のものを少しでも言われるが「主人は自分が決めた銀行でしているので主人の断りなしではできません」と言った。
それですぐ帰って行かれたのでドアを閉めた。
しかし時計はもう2時20分、パソコンを1度開いて受信メールを確認しないといけない。
開けると、編集局から問い合わせが来ていた。その返信を済ませて今度は笑福亭銀瓶さんからのメールをワード画面に貼り付けて原稿にする作業した。
銀瓶さんから頂いたメールをほとんど触らないでそまのの原稿にして画面にセットアップした。写真はずっと前、大阪ドーンセンターで韓国語落語を大阪韓国文化院主催で開催された時に資料として頂いたものを保存しておいてそれを使っている。背広姿の写真は私がインタビューして撮影したもの。他の写真も。
今回は連休の高座なので高座の写真を使った。
9月3日に桂小春団冶さんの高座もあった。メールを頂きながら仕事に追われていて頂いたメールを見ると2日も過ぎていた。
そんなミスもしている。
桂小春団冶さんも韓国に関することでインタビューをした。
大阪天満橋にある繁昌亭の隣の喫茶店で取材してその時の写真を保存しておいて使用している。
今日2回目のブログを書こうと思ったら時計はもう3時である。
早いな。ゆっくり1日か2日、ゴロゴロしたいができない。
何かと用事が多い。仕事も入っている。
外は雨がふりそうな曇り空、昨日は涼風が吹いていたのに今日は風が少ない。
明日は女友達と昼ランチをするがその前に生活を引き出して振り込むところは振り込む作業をしないといけない。
16・17日と仕事で忙しい。18日は電気代が引き落とされていく。仕事しているとこんなことを忘れている。電気代の引き落としは早いので気をつけないといけないのに---2・3年に1度、2回目の引き落とし日に引き落とされている。
そんなことで明日そんな用事も済ませておこう。
今日のNHKテレビ、家族に乾杯は奈良県の曽爾高原である。
夫は朝、新聞のテレビ欄を見ながらそう言っていた。この番組を楽しみにしているが今日はまた奈良県の曽爾高原、ここは交通の不便なところである。
1度、韓国系民族学校金剛学園がこの曽爾高原の隣にある青少年の家で韓国から来られた学生たちと合宿の交流会をした。
曽爾高原で2泊3日、私は金剛学園に行ってスクールバスで一緒に曽爾高原に取材で行った。遠い。高速道路走ったが遠い。
夜は1泊した。私は前日に膝に注射を打って風呂に入れなかった。
曽爾高原で風呂に入ろうと思ったら青年たちが宿泊するところ、階段を幾つも幾つも上っていく風呂に私は怖気ついた。
風呂に入らずに寝たのでまわりにいた教師たちはさぞ私の汗臭さで閉口しただろうと思っている。
翌日は校長がまた海外から学生が来るということで大阪南港に迎えにいくということで大阪に行かれる時に金剛学園のスクールバスに便乗することができた。
近鉄榛原駅で降ろしてもらってここから電車で帰ったことを覚えている。
真夏の暑い8月の初めのことだった。
曽爾高原はまだその時は夏で緑色の草原だった。
観光客はその高原を行ったり来たりして歩いていた。
この高原がやがて秋が近づくとススキの高原になる。
ススキの高原は写真家には有名で多くの写真家が訪れる。
雑誌記者時代はこのススキの高原、曽爾高原のススキの写真に絵解きをして雑誌のグラビアにしたものだった。どんな絵解きをしたのか今はすっかり記憶にない。私の30代後半から40代の初めのことである。
そんな年からはるか遠くなってしまった。
1度、金剛学園の交流事業の取材を兼ねて曽爾高原に行っているので今日は懐かしく家族に乾杯の番組を見よう。
その前に夕食の支度をして風呂に入らないといけない。
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