洋画をずっと見ている。
さしずめテレビオタクともいうのでしょうか。
私は見たいテレビがあったがパソコンの前に座った。
昨日を振り返ってみた。
昨日は京都四条大宮の喫茶店にいた。
四条大宮は12・3年前とちっとも変っていない。
ここにもよく来たものだった。
前の日刊紙の新聞社にいた頃は担当地域が京都だった。
当時はまだバブルがはじける前でここに韓国系の金融機関があったので四条大宮の駅によく降りた。
そして京都市内で唯一の京都市立郁文中学校に夜間学級がありここにも何度も訪れては取材した。京都で学ぶオモニ(お母さん)たちの学ぶ姿をこの学校で初めて見た。取材しながら涙ぐんで現場にいた私だった。
夜の取材現場でいつも夜8時半ごろ、四条大宮から阪急で四条烏丸にでて地下鉄で京都駅に出て近鉄京都駅から奈良に帰った。
よく走った。駅のコンコースをよく走った。地下鉄の駅から近鉄京都駅まで遠いのでよく走った。
ここも何年か前から遠のいている。夜間中学の取り組みに熱心だった教師が亡くなられた。学校は今もまだ続けておられるが大阪の現場が多くなったことと夜の取材を少し減らしたことで行くことがほとんどなくなった。
四条大宮駅は階段が多いのに乗降機がない。昨日も何もなかった。かろうじて改札口にでると地上にあがるエレベーターが1機あった。
ここから嵐山や貴船に行く電車乗り場にも通じるコンコースも前のままだった。この電車も何度か利用した。
そして駅の側にあった飲食街はなくなり工事中だった。
待ち合わせの場所に行くがセルフサービスの喫茶店で他に行ったところ外資系の喫茶店で昔にあった喫茶店はなくなっていた。
たぶんこれまで停車していた梅田行特急がここに停車しないで桂駅に停車が変わったので乗り降りする人が少なくなったのだろう。それに駅は乗降機がないので利用者が減少して店が出来なくなったのだろうか。
駅の側にある大型焼肉店はそのままにあった。ここもよく来た。
ここでの懇親会のご相伴で参加した。
この店の創設者は何ヶ月前に亡くなられた。
在日韓国人の中でいろんな活動をしてこられた人だった。
3時から4時35分まで取材してここで取材者と分かれた。
駅の前に停まっていたタクシーに乗車、近鉄京都駅の向かった。
タクシーは早く着いた。5時7分前に着いた。
5時の特急に乗ることができた。
タクシーの運転手はよく知っていた。
駅近くになると「特急が入ってきた」と行ってタクシーの走行を急いで下さりエレベーター近くで降ろして下さった。これが助かった。近鉄線のホームに早く行くことができた。
タクシーの運転手が話していた。
「四条大宮はエレベーターやエスカレーターがないので特急電車が停まらなくなった。それでタクシーを利用する人はいない。皆河原町に出ていく。特急が停まる桂駅はまた沿線の乗り換えに電車は利用しやすくなっているのでタクシーを利用しなくなって桂駅のタクシーも暇になった。四条大宮駅ビルは今工事中だがあそこに乗降機が着くとその時は四条大宮に特急が停まるといっておられる。こんな景気にした小泉さん。小泉さんに元に戻せといいたい」と話していた。
奈良に着くとコンビニで宅急便を送る書類を貰って文房具屋さんに行き資料をコピーした。封筒に入れてコンビニから資料を送った。
スーパーに寄って買物、バス停に行くと市内循環がいっぱい。次のバスを乗ろうとベンチに座っていると中循環がきた。5時30分ごろの中循環、もうこれが最終でとっくに出たと思っていたら6時10分に入ってきた。道はかなり渋滞しているようで遅れているようだ。
乗れてよかった。
家に帰って風呂の湯を入れたりしていると夫が帰ってきた。
豚肉の料理をする予定だったが急いでできるものに変えて保存食を出して夕食にした。
テレビをつけた夫は阪神が広島に負けている。またテレビを見て怒っていた。
4対0で広島に負けたので昨日は機嫌が悪かった。
あわただしい昨日だった。
昨日は郵便局に立寄る用事があって急いで外出の支度をした。
急いで出たので喫茶店に行くと1時間と少しの余裕があった。
この間からアートの活花が変っていた。前に撮ったが今回はアップで撮ったが真ん中にガラスの角の継ぎ目が入った。
がアップにした写真を掲載しておこう。
9月14日は中秋の名月、十五夜である。ここでお月見をしている気分になる今回の活花である。
すすきが見事である。
京都の現場は3時、奈良駅から1時半の特急に乗った。丹波橋で降りて地下鉄に乗り換えて四条に出た。ここから阪急線に乗り換えるがここのコンコースもちっとも変っていなかった。利用客烏丸御池で降りているのだろうか。ここから歩いて河原町、烏丸に出て行くのだろうか。
東西線が出来たけれど阪急の利用は不便になった。
さしずめテレビオタクともいうのでしょうか。
私は見たいテレビがあったがパソコンの前に座った。
昨日を振り返ってみた。
昨日は京都四条大宮の喫茶店にいた。
四条大宮は12・3年前とちっとも変っていない。
ここにもよく来たものだった。
前の日刊紙の新聞社にいた頃は担当地域が京都だった。
当時はまだバブルがはじける前でここに韓国系の金融機関があったので四条大宮の駅によく降りた。
そして京都市内で唯一の京都市立郁文中学校に夜間学級がありここにも何度も訪れては取材した。京都で学ぶオモニ(お母さん)たちの学ぶ姿をこの学校で初めて見た。取材しながら涙ぐんで現場にいた私だった。
夜の取材現場でいつも夜8時半ごろ、四条大宮から阪急で四条烏丸にでて地下鉄で京都駅に出て近鉄京都駅から奈良に帰った。
よく走った。駅のコンコースをよく走った。地下鉄の駅から近鉄京都駅まで遠いのでよく走った。
ここも何年か前から遠のいている。夜間中学の取り組みに熱心だった教師が亡くなられた。学校は今もまだ続けておられるが大阪の現場が多くなったことと夜の取材を少し減らしたことで行くことがほとんどなくなった。
四条大宮駅は階段が多いのに乗降機がない。昨日も何もなかった。かろうじて改札口にでると地上にあがるエレベーターが1機あった。
ここから嵐山や貴船に行く電車乗り場にも通じるコンコースも前のままだった。この電車も何度か利用した。
そして駅の側にあった飲食街はなくなり工事中だった。
待ち合わせの場所に行くがセルフサービスの喫茶店で他に行ったところ外資系の喫茶店で昔にあった喫茶店はなくなっていた。
たぶんこれまで停車していた梅田行特急がここに停車しないで桂駅に停車が変わったので乗り降りする人が少なくなったのだろう。それに駅は乗降機がないので利用者が減少して店が出来なくなったのだろうか。
駅の側にある大型焼肉店はそのままにあった。ここもよく来た。
ここでの懇親会のご相伴で参加した。
この店の創設者は何ヶ月前に亡くなられた。
在日韓国人の中でいろんな活動をしてこられた人だった。
3時から4時35分まで取材してここで取材者と分かれた。
駅の前に停まっていたタクシーに乗車、近鉄京都駅の向かった。
タクシーは早く着いた。5時7分前に着いた。
5時の特急に乗ることができた。
タクシーの運転手はよく知っていた。
駅近くになると「特急が入ってきた」と行ってタクシーの走行を急いで下さりエレベーター近くで降ろして下さった。これが助かった。近鉄線のホームに早く行くことができた。
タクシーの運転手が話していた。
「四条大宮はエレベーターやエスカレーターがないので特急電車が停まらなくなった。それでタクシーを利用する人はいない。皆河原町に出ていく。特急が停まる桂駅はまた沿線の乗り換えに電車は利用しやすくなっているのでタクシーを利用しなくなって桂駅のタクシーも暇になった。四条大宮駅ビルは今工事中だがあそこに乗降機が着くとその時は四条大宮に特急が停まるといっておられる。こんな景気にした小泉さん。小泉さんに元に戻せといいたい」と話していた。
奈良に着くとコンビニで宅急便を送る書類を貰って文房具屋さんに行き資料をコピーした。封筒に入れてコンビニから資料を送った。
スーパーに寄って買物、バス停に行くと市内循環がいっぱい。次のバスを乗ろうとベンチに座っていると中循環がきた。5時30分ごろの中循環、もうこれが最終でとっくに出たと思っていたら6時10分に入ってきた。道はかなり渋滞しているようで遅れているようだ。
乗れてよかった。
家に帰って風呂の湯を入れたりしていると夫が帰ってきた。
豚肉の料理をする予定だったが急いでできるものに変えて保存食を出して夕食にした。
テレビをつけた夫は阪神が広島に負けている。またテレビを見て怒っていた。
4対0で広島に負けたので昨日は機嫌が悪かった。
あわただしい昨日だった。
昨日は郵便局に立寄る用事があって急いで外出の支度をした。
急いで出たので喫茶店に行くと1時間と少しの余裕があった。
この間からアートの活花が変っていた。前に撮ったが今回はアップで撮ったが真ん中にガラスの角の継ぎ目が入った。
がアップにした写真を掲載しておこう。
9月14日は中秋の名月、十五夜である。ここでお月見をしている気分になる今回の活花である。
すすきが見事である。
京都の現場は3時、奈良駅から1時半の特急に乗った。丹波橋で降りて地下鉄に乗り換えて四条に出た。ここから阪急線に乗り換えるがここのコンコースもちっとも変っていなかった。利用客烏丸御池で降りているのだろうか。ここから歩いて河原町、烏丸に出て行くのだろうか。
東西線が出来たけれど阪急の利用は不便になった。
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