朝は雨が降っていたが今はやんでいる。
暑くなったり寒くなったりしている。
暑いと思って薄いTシャツを着ていると左腕が冷えて痛い。
昨日の夜また厚手のジャージを着た。そしたら腕の痛いのが取れた。
季節の変わり目といいながらもこんなに気温の変動に体調を崩してしまう。
昨日は生野区の現場に入って自宅に2時ごろ戻ってきたが集中して現場にいたのか自宅に戻ってパソコンの前に座っても原稿作成のやる気が起きてこない。
ボーとしていた。
夕食の支度をしてもテレビを見ていた。
夜は11時前に寝て朝起きると原稿作成の気合が入ってきた。
朝、7時半から作った。
10時前に出来上がって原稿と写真を送った。
そして写真説明をつけて1本の原稿は終了した。
明日は京都の現場で自宅に戻ると原稿作成が待っている。
京都の現場の原稿は2本になるので明日から仕上げていかないといけない。
そしたら月曜日連載の原稿の作成にまたあわてなければならない。
それでさきほど少し連載の原稿を作成した。
また午後にも残りを少しずつ仕上げていこう。
雨がやっと上ってきた。
雨が降るとやはり寒い。気温が下がっている。
昨日は朝、時折、太陽の日差しが見えた。隠れたと思ったらずっと雨が降っていた。
昨日、連休明にと、銀行振り込みを済ませたがキャッシュカードで振込み作業をこれまでしたことがなかったのでまた失敗した。ネットの金銭の収支だが現金振込みしかしたことがない私は機械の対応が分からなくて失敗した。また知人に迷惑をかけることになった。
今日は自宅にいるので夕食は鰯のから揚げをしよう。
手間がかかるので私が家にいるときしかできない。
昨日、えんどう豆の炊いたのが残っているのでこれは夕食に食べよう。
またほかにもう1品、冷蔵庫を見て考えることにしよう。
話は変わるが電車の中での化粧する人はなくならない。なんと品の落ちた日本になったのだろうか。昨日は50歳前に近い40代後半の女性が通勤電車の中でファデーションのコンパクトとアイシャドウの入れ物を2つ取り出して化粧し始めた。注意しても何食わぬ顔で化粧していた。
あまりの図々しさに「そんな化粧しているところ見たくないので他所に行って」と言った。
そして目的地だったのか途中下車かわからない。
西大寺で降りた。
降りて喫煙席に行って煙草を吸いだした。煙草の煙を吐き出す仕草もイカレポンチのおばちゃんそのまま品がなく今度はくわえ煙草で携帯のメールを乱した。
呆れて私は見ていた。私と目があった彼女、私を睨み返していた。
睨んだ目を見たとき、電車は発車した。
私はあんなお母さんに育てられている子どもの行方を心で案じていた。
だからとは言いたくないが奈良から通勤する若い女性、電車の中で化粧する女性は他府県より多いように思う。
私は関西近郊の鉄道を利用してあちらこちらとまわるが奈良市民が1番、常識からずれているように思う。
家庭教育はもちろん学校教育の再確認が必要だと思っている。
奈良県内はさまざまな人が多くまた取り組みの活動も多い。
「人権学習」の名の下に行われている学習の一貫、平等と自由という言葉の中で子どもたちに「常識的なマナー」を教えている頻度が少なかったのではないかと思う。
様々な活動は大切だが人間が成長していく中で基本的な常識を親から教わり身につけていく。もちろん常識を身につけている子どもたちも多いが関西近郊から見ると一般常識のルールを知らない人が多いように思えてならない。
人間としてのあり方の基礎的な教育がかけているように思えてならない。
学校教育の抜本的な見直しが必要だと電車に乗るたびに社会のルールから外れた人に思う。
朝の始発の近鉄奈良駅、ほとんどが奈良市民である。
新大宮から乗車する人の若い女性にも多く常識に欠けている人が多く見られる。
マンションという建物が多く地域社会という土台を崩してしまった。
子どもを育てた地域社会はとうに崩れている。
共働きで鍵っ子を送った子どもたちが今、若い女性たちである。
その親が昨日見た50代に近くなった女性の存在である。
吹かし煙草をしていたこの女性、周りで見る人は日本社会は何かがおかしいと思っている。しかし面倒なことが嫌いで視線は女性に集中はする。集中した視線を浴びてもやめない。その視線にめげないで化粧している女性、女性が強くなったと実感しながらも日本が狂っているとも実感していた。
暑くなったり寒くなったりしている。
暑いと思って薄いTシャツを着ていると左腕が冷えて痛い。
昨日の夜また厚手のジャージを着た。そしたら腕の痛いのが取れた。
季節の変わり目といいながらもこんなに気温の変動に体調を崩してしまう。
昨日は生野区の現場に入って自宅に2時ごろ戻ってきたが集中して現場にいたのか自宅に戻ってパソコンの前に座っても原稿作成のやる気が起きてこない。
ボーとしていた。
夕食の支度をしてもテレビを見ていた。
夜は11時前に寝て朝起きると原稿作成の気合が入ってきた。
朝、7時半から作った。
10時前に出来上がって原稿と写真を送った。
そして写真説明をつけて1本の原稿は終了した。
明日は京都の現場で自宅に戻ると原稿作成が待っている。
京都の現場の原稿は2本になるので明日から仕上げていかないといけない。
そしたら月曜日連載の原稿の作成にまたあわてなければならない。
それでさきほど少し連載の原稿を作成した。
また午後にも残りを少しずつ仕上げていこう。
雨がやっと上ってきた。
雨が降るとやはり寒い。気温が下がっている。
昨日は朝、時折、太陽の日差しが見えた。隠れたと思ったらずっと雨が降っていた。
昨日、連休明にと、銀行振り込みを済ませたがキャッシュカードで振込み作業をこれまでしたことがなかったのでまた失敗した。ネットの金銭の収支だが現金振込みしかしたことがない私は機械の対応が分からなくて失敗した。また知人に迷惑をかけることになった。
今日は自宅にいるので夕食は鰯のから揚げをしよう。
手間がかかるので私が家にいるときしかできない。
昨日、えんどう豆の炊いたのが残っているのでこれは夕食に食べよう。
またほかにもう1品、冷蔵庫を見て考えることにしよう。
話は変わるが電車の中での化粧する人はなくならない。なんと品の落ちた日本になったのだろうか。昨日は50歳前に近い40代後半の女性が通勤電車の中でファデーションのコンパクトとアイシャドウの入れ物を2つ取り出して化粧し始めた。注意しても何食わぬ顔で化粧していた。
あまりの図々しさに「そんな化粧しているところ見たくないので他所に行って」と言った。
そして目的地だったのか途中下車かわからない。
西大寺で降りた。
降りて喫煙席に行って煙草を吸いだした。煙草の煙を吐き出す仕草もイカレポンチのおばちゃんそのまま品がなく今度はくわえ煙草で携帯のメールを乱した。
呆れて私は見ていた。私と目があった彼女、私を睨み返していた。
睨んだ目を見たとき、電車は発車した。
私はあんなお母さんに育てられている子どもの行方を心で案じていた。
だからとは言いたくないが奈良から通勤する若い女性、電車の中で化粧する女性は他府県より多いように思う。
私は関西近郊の鉄道を利用してあちらこちらとまわるが奈良市民が1番、常識からずれているように思う。
家庭教育はもちろん学校教育の再確認が必要だと思っている。
奈良県内はさまざまな人が多くまた取り組みの活動も多い。
「人権学習」の名の下に行われている学習の一貫、平等と自由という言葉の中で子どもたちに「常識的なマナー」を教えている頻度が少なかったのではないかと思う。
様々な活動は大切だが人間が成長していく中で基本的な常識を親から教わり身につけていく。もちろん常識を身につけている子どもたちも多いが関西近郊から見ると一般常識のルールを知らない人が多いように思えてならない。
人間としてのあり方の基礎的な教育がかけているように思えてならない。
学校教育の抜本的な見直しが必要だと電車に乗るたびに社会のルールから外れた人に思う。
朝の始発の近鉄奈良駅、ほとんどが奈良市民である。
新大宮から乗車する人の若い女性にも多く常識に欠けている人が多く見られる。
マンションという建物が多く地域社会という土台を崩してしまった。
子どもを育てた地域社会はとうに崩れている。
共働きで鍵っ子を送った子どもたちが今、若い女性たちである。
その親が昨日見た50代に近くなった女性の存在である。
吹かし煙草をしていたこの女性、周りで見る人は日本社会は何かがおかしいと思っている。しかし面倒なことが嫌いで視線は女性に集中はする。集中した視線を浴びてもやめない。その視線にめげないで化粧している女性、女性が強くなったと実感しながらも日本が狂っているとも実感していた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます