昨日は寒かった。本当に寒かった。
午後3時半頃、近鉄奈良駅からバスに乗ろうとしたがあられなのか雪が降っている。
寒い。寒い。花冷えと言っても寒すぎる。
たまに豆腐と野菜を入れた白和えが食べたいと思っていたがあまりの寒さに献立は変わった。
肉汁に変えた。
冷蔵庫に入っているカレー用のコロコロ肉を細かく切って汁用にした。
あとは椎茸、えのき、糸こんにゃく、豆腐、白菜と冷蔵庫にある物を入れて肉汁を作った。夫のビールの肴はホタテ貝を韓国風に炒めた。
湯がいたワラビは醤油をかけて食べることにした。
あまりにも寒かったのか夫は夕食にいつもビールを先に飲むのにさすが昨日の夕食では先に箸をつけたのが肉汁だった。おいしそうに食べていた。
在日韓国人の家ではお客が来たとき、また家で寒い時の定番のおかずは肉汁だった。在日韓国人の1世たちは日本で言う鍋料理は知らなかった。韓国は鍋(チゲ料理)はあるがそれは普通の夕食の中にあった。
韓国の風土は寒い土地柄、汁文化が発達したので韓国はスープメニューが多い。テールスープ、そして圧巻は参鶏汁(サムゲタン)、これは体にどんな滋養にもなるので1世たちは夏バテ防止、風邪防止、虚弱体質に疲労回復にと家族にサムゲタンを食べさせた。他の家でどうされたのかわからないが私の家では母親は大きい鍋に羽根もとって処理された鶏肉をまるごと1羽入れて水をいれるが鶏肉をかぶるぐらいに入れる。
ここに高麗人参1本、そしてにんにくのむいたものを幾つか入れて大方、半日かけてゴトゴトの弱火で煮込んでいく。汁が少なくなって行くと水を足してまた弱火で煮込んでいく。
鶏肉を箸でほぐすとフニャフニャになって骨がバラバラに崩れていく。
これで出来上がりです。
大きい丼の器に入れて塩を少し入れて食べる。
これを食べると風邪も夏の疲れもふっとんでいった。
私は見かけは丈夫そうに見えるがそんなに強靭な体質でない。父親の体質に似たのか疲れがたまりやすい。それを母親は見抜いていたのか私が会社勤めをしだすと2・3ヶ月に1度はサムゲタンを作って家族に食べさせた。私は当時、このサムゲタンが大嫌いだった。そんなに美味しいとは思わなかった。
しかし母親は嫌がる私に無理に食べさせた。
とにかく1杯でも食べると母親は満足していた。
そしてサムゲタンの滋養の意味が分かったのがくしくも遅く40歳の夏だった。
奈良県で活動する音楽グループ、合唱団の活動の1つで中国に行くことになった。
当時、奈良新聞で報道デスクをしていたMさんに誘われて子どもの随行で一緒に北京に行った。
中国で初めて私は食べ物に神経質だということが分かった。
何も食べられなかった。5日間の滞在の間、うどんを1食と食パンを2枚程度食べた程度、コカコーラで過ごした。
日本に戻って来るとやる気も失せて体力が落ちて仕事に行くのが苦痛だった。
そしてこのとき、母親はどんなことをしてくれたのかと思いだした。
そしてサムゲタン、鶏1羽のスープだった。
落ちた体力をおして自宅近所のスーパーに出向いた。
当時は鶏肉専門店があった。
私は「鶏をそのまままるごと1つ下さい」と言ったら奥から出してこられた。
それを家に持ってかえった。
高麗人参は母親からもらったものがある。私に煎じてのむようにと1年に何回かもらったものを大事に残していた。
高麗人参1本と剥いたにんにくを何個か入れてスープに煮詰めた。
出来上ったスープを丼に入れて夕方と夜、2度飲むとあれほど何もする気がしないほど体力が落ちていたのにすっと元気になった。
嘘みたいに元気になった。
やっとサムゲタンの効用の深さを知った。
このサムゲタンも鶏1羽だから効用がある。
鶏全体のエキスが汁に出て滋養がある。
たまに足だけ買ってきてするがあまり効果がない。
鶏1羽に意味がありそうだ。
肉汁の話しからこんなことになった。
昔の1世たち、栄養剤という薬もなかった時代に韓国で受け継がれてきた伝統料理で家族の健康を守ってきた。
今は薬局に行くと栄養剤に滋養強壮剤と体に効く薬は豊富である。
今は疲れると疲労回復のドリンクを飲んだりする。
しかし医師は言う。
「寝なさい。寝ることです。体をやすめて下さい」といわれる。
昔の1世は休むこともできない。働かないと生活ができない。
休養することができなかった。体にいいものを食べて身を粉にして働いてきた。
今ごろになって1世たち、そして親の苦労が分かってきた。
そう思うと1世が日本で生きた歴史は日本史の中で智恵と工夫で生きた渡日史になる。1世の歴史を認識することで在日コリアンの歴史は紐解くことができると私は確信している。
肉汁の話からふと親のことを思い出した。
私はこれから身支度です。
膝と腰治療のため病院行きです。
午後3時半頃、近鉄奈良駅からバスに乗ろうとしたがあられなのか雪が降っている。
寒い。寒い。花冷えと言っても寒すぎる。
たまに豆腐と野菜を入れた白和えが食べたいと思っていたがあまりの寒さに献立は変わった。
肉汁に変えた。
冷蔵庫に入っているカレー用のコロコロ肉を細かく切って汁用にした。
あとは椎茸、えのき、糸こんにゃく、豆腐、白菜と冷蔵庫にある物を入れて肉汁を作った。夫のビールの肴はホタテ貝を韓国風に炒めた。
湯がいたワラビは醤油をかけて食べることにした。
あまりにも寒かったのか夫は夕食にいつもビールを先に飲むのにさすが昨日の夕食では先に箸をつけたのが肉汁だった。おいしそうに食べていた。
在日韓国人の家ではお客が来たとき、また家で寒い時の定番のおかずは肉汁だった。在日韓国人の1世たちは日本で言う鍋料理は知らなかった。韓国は鍋(チゲ料理)はあるがそれは普通の夕食の中にあった。
韓国の風土は寒い土地柄、汁文化が発達したので韓国はスープメニューが多い。テールスープ、そして圧巻は参鶏汁(サムゲタン)、これは体にどんな滋養にもなるので1世たちは夏バテ防止、風邪防止、虚弱体質に疲労回復にと家族にサムゲタンを食べさせた。他の家でどうされたのかわからないが私の家では母親は大きい鍋に羽根もとって処理された鶏肉をまるごと1羽入れて水をいれるが鶏肉をかぶるぐらいに入れる。
ここに高麗人参1本、そしてにんにくのむいたものを幾つか入れて大方、半日かけてゴトゴトの弱火で煮込んでいく。汁が少なくなって行くと水を足してまた弱火で煮込んでいく。
鶏肉を箸でほぐすとフニャフニャになって骨がバラバラに崩れていく。
これで出来上がりです。
大きい丼の器に入れて塩を少し入れて食べる。
これを食べると風邪も夏の疲れもふっとんでいった。
私は見かけは丈夫そうに見えるがそんなに強靭な体質でない。父親の体質に似たのか疲れがたまりやすい。それを母親は見抜いていたのか私が会社勤めをしだすと2・3ヶ月に1度はサムゲタンを作って家族に食べさせた。私は当時、このサムゲタンが大嫌いだった。そんなに美味しいとは思わなかった。
しかし母親は嫌がる私に無理に食べさせた。
とにかく1杯でも食べると母親は満足していた。
そしてサムゲタンの滋養の意味が分かったのがくしくも遅く40歳の夏だった。
奈良県で活動する音楽グループ、合唱団の活動の1つで中国に行くことになった。
当時、奈良新聞で報道デスクをしていたMさんに誘われて子どもの随行で一緒に北京に行った。
中国で初めて私は食べ物に神経質だということが分かった。
何も食べられなかった。5日間の滞在の間、うどんを1食と食パンを2枚程度食べた程度、コカコーラで過ごした。
日本に戻って来るとやる気も失せて体力が落ちて仕事に行くのが苦痛だった。
そしてこのとき、母親はどんなことをしてくれたのかと思いだした。
そしてサムゲタン、鶏1羽のスープだった。
落ちた体力をおして自宅近所のスーパーに出向いた。
当時は鶏肉専門店があった。
私は「鶏をそのまままるごと1つ下さい」と言ったら奥から出してこられた。
それを家に持ってかえった。
高麗人参は母親からもらったものがある。私に煎じてのむようにと1年に何回かもらったものを大事に残していた。
高麗人参1本と剥いたにんにくを何個か入れてスープに煮詰めた。
出来上ったスープを丼に入れて夕方と夜、2度飲むとあれほど何もする気がしないほど体力が落ちていたのにすっと元気になった。
嘘みたいに元気になった。
やっとサムゲタンの効用の深さを知った。
このサムゲタンも鶏1羽だから効用がある。
鶏全体のエキスが汁に出て滋養がある。
たまに足だけ買ってきてするがあまり効果がない。
鶏1羽に意味がありそうだ。
肉汁の話しからこんなことになった。
昔の1世たち、栄養剤という薬もなかった時代に韓国で受け継がれてきた伝統料理で家族の健康を守ってきた。
今は薬局に行くと栄養剤に滋養強壮剤と体に効く薬は豊富である。
今は疲れると疲労回復のドリンクを飲んだりする。
しかし医師は言う。
「寝なさい。寝ることです。体をやすめて下さい」といわれる。
昔の1世は休むこともできない。働かないと生活ができない。
休養することができなかった。体にいいものを食べて身を粉にして働いてきた。
今ごろになって1世たち、そして親の苦労が分かってきた。
そう思うと1世が日本で生きた歴史は日本史の中で智恵と工夫で生きた渡日史になる。1世の歴史を認識することで在日コリアンの歴史は紐解くことができると私は確信している。
肉汁の話からふと親のことを思い出した。
私はこれから身支度です。
膝と腰治療のため病院行きです。
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