自分には一生住めない大邸宅の家なのに間取りが見たくてつい見てしまう。大改造の番組もどんなふうにリフォームされていくのが興味しんしんになってみている。トイレに行く時間も惜しんで見ている。何度も言うようだが私には生涯縁のない邸宅、人の家だけど間取りを見るのが好きで見ている。
さて昼食をして新聞2紙読んで少し昼寝。1時過ぎに起きて夕食を作った。
レンコンのきんぴら、ポテトサラダ、椎茸と竹輪の煮付け、アスパラとキャベツのバターソテーを作った。そして風呂に入って上ってくると夫が帰ってきた。
私が家にいると韓国テレビの「明成皇后」が見たいというので急いで帰ってきた。ちょうど4時。コーヒーを飲もうと思ったがコーヒーをやめて早い夕食をした。
「明成皇后」のドラマはやはりいい。「朝鮮を開国しなければならない」という言葉がたくさんでてくる。日本植民地統治されるまえで日韓不平等条約の前の朝鮮王朝末期のドラマである。
ドラマを見ていると李方子さんと結婚した李垠さんは明成皇后の子どもでないこともドラマで分かってくる。高宗の子どもだが他でできた子どもである。この歴史を見ても李垠さんと李方子さんの人生の苦労が想像できる。
土曜日は現場があるのでみられない。そのときは再放送の水・木の朝8時半から見ることにしょう。
うだうだと過ごしているうちに7時半になった。NHKの家族が選ぶ名曲の番組を見た。
「仰げば尊し」に私の卒業式を思いだした。1960年3月、前日はリハーサルをして卒業式にのぞんだ。夫も卒業式は「仰げば尊し」を歌っている。二人で大きい声で歌っていた。韓国の俳優はタイガースの「花の首飾り」を歌った。歌い終わるまで私はハラハラドキドキ、韓国語訛りがでないかヒヤヒヤ、それが上手い。ばっちり成功。うまく日本語でうたいこなしたリュシュンさん。
そして「ふるさと」にのまた涙がこぼれそうになる。今日はなぜか妹のことを思い出して「もっと話をすればよかった」と後悔の念で涙があふれそうになった。普段は脳天気で楽天家だが私も人に言えない辛いこともある。
まだ言葉に出して言えない。話すと胸がつぶれそうになって苦しくて辛い。
いつになったら話せるようになるだろうか。
それに「ふるさと」の歌になぜか韓国が浮かぶ。
奈良市と慶州市姉妹締結をしているが慶州との婦人交流がよく行われた。私は雑誌記者時代に何度か取材で会場にはいったがそのとき韓国の人たちと一緒に歌う歌が「ふるさと」だった。慶州の女性たちはハングルで「ふるさと」の歌詩を書いている人もいた。日本語で歌える人もいた。日本語で歌える人に私は不思議な気持ちで見ていた。なぜ歌えるのか。それは在日韓国人の新聞記者になって歴史を勉強してわかった。
もう1つは韓国で申雲鶴さんのお茶の交流に駆けつけたときに私に歌を歌ってという。まだ1992年のころで韓国語を勉強してもまだそんなに年月がたっていない。しかたなしに歌ったのが「ふるさと」だった。「アボジ(おとうえさん)オモニ(おかあさん)のふるさと、韓国で皆さんにお会いしましたので『ふるさと』を歌います」と言って日本語で歌った。今考えるととても恥ずかしい話である。今だったら何を歌うだろう。「故郷の春」それとも「われらの願い(ウリエソウン)」は統一の願いの歌で韓国ではいつのまにか歌わなくなったが慶州の女性は日本人の誰かが韓国語で歌うと一緒に歌った。
「ウリエソウン トンイル-----」メロデイーがいい。
他にもいい歌があった。「千の風になって」「上を向いてあるこう」「愛燦燦」「北国の春」などなど。
「上を向いて歩こう」も妹がよく歌っていた。今日は妹のことを思い出している。辛いのであんまり話せない。
話は戻るが「明成皇后」のテレビに「李王朝滅亡」の書籍を引っ張り出してきてまた系図を確認している。夫も「すごいドラマや」と感動してみていた。
テレビはもうバライテイーか料理かクイズばかり。本当に日本のテレビ番組はつまらなくなった。もう本を読むことにしよう。
さて昼食をして新聞2紙読んで少し昼寝。1時過ぎに起きて夕食を作った。
レンコンのきんぴら、ポテトサラダ、椎茸と竹輪の煮付け、アスパラとキャベツのバターソテーを作った。そして風呂に入って上ってくると夫が帰ってきた。
私が家にいると韓国テレビの「明成皇后」が見たいというので急いで帰ってきた。ちょうど4時。コーヒーを飲もうと思ったがコーヒーをやめて早い夕食をした。
「明成皇后」のドラマはやはりいい。「朝鮮を開国しなければならない」という言葉がたくさんでてくる。日本植民地統治されるまえで日韓不平等条約の前の朝鮮王朝末期のドラマである。
ドラマを見ていると李方子さんと結婚した李垠さんは明成皇后の子どもでないこともドラマで分かってくる。高宗の子どもだが他でできた子どもである。この歴史を見ても李垠さんと李方子さんの人生の苦労が想像できる。
土曜日は現場があるのでみられない。そのときは再放送の水・木の朝8時半から見ることにしょう。
うだうだと過ごしているうちに7時半になった。NHKの家族が選ぶ名曲の番組を見た。
「仰げば尊し」に私の卒業式を思いだした。1960年3月、前日はリハーサルをして卒業式にのぞんだ。夫も卒業式は「仰げば尊し」を歌っている。二人で大きい声で歌っていた。韓国の俳優はタイガースの「花の首飾り」を歌った。歌い終わるまで私はハラハラドキドキ、韓国語訛りがでないかヒヤヒヤ、それが上手い。ばっちり成功。うまく日本語でうたいこなしたリュシュンさん。
そして「ふるさと」にのまた涙がこぼれそうになる。今日はなぜか妹のことを思い出して「もっと話をすればよかった」と後悔の念で涙があふれそうになった。普段は脳天気で楽天家だが私も人に言えない辛いこともある。
まだ言葉に出して言えない。話すと胸がつぶれそうになって苦しくて辛い。
いつになったら話せるようになるだろうか。
それに「ふるさと」の歌になぜか韓国が浮かぶ。
奈良市と慶州市姉妹締結をしているが慶州との婦人交流がよく行われた。私は雑誌記者時代に何度か取材で会場にはいったがそのとき韓国の人たちと一緒に歌う歌が「ふるさと」だった。慶州の女性たちはハングルで「ふるさと」の歌詩を書いている人もいた。日本語で歌える人もいた。日本語で歌える人に私は不思議な気持ちで見ていた。なぜ歌えるのか。それは在日韓国人の新聞記者になって歴史を勉強してわかった。
もう1つは韓国で申雲鶴さんのお茶の交流に駆けつけたときに私に歌を歌ってという。まだ1992年のころで韓国語を勉強してもまだそんなに年月がたっていない。しかたなしに歌ったのが「ふるさと」だった。「アボジ(おとうえさん)オモニ(おかあさん)のふるさと、韓国で皆さんにお会いしましたので『ふるさと』を歌います」と言って日本語で歌った。今考えるととても恥ずかしい話である。今だったら何を歌うだろう。「故郷の春」それとも「われらの願い(ウリエソウン)」は統一の願いの歌で韓国ではいつのまにか歌わなくなったが慶州の女性は日本人の誰かが韓国語で歌うと一緒に歌った。
「ウリエソウン トンイル-----」メロデイーがいい。
他にもいい歌があった。「千の風になって」「上を向いてあるこう」「愛燦燦」「北国の春」などなど。
「上を向いて歩こう」も妹がよく歌っていた。今日は妹のことを思い出している。辛いのであんまり話せない。
話は戻るが「明成皇后」のテレビに「李王朝滅亡」の書籍を引っ張り出してきてまた系図を確認している。夫も「すごいドラマや」と感動してみていた。
テレビはもうバライテイーか料理かクイズばかり。本当に日本のテレビ番組はつまらなくなった。もう本を読むことにしよう。
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