鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今日は月曜日、4月も半ばになった。

2008-04-14 10:24:14 | 直言!
暖房のエアコンを入れてストーブをつけていた。
いつのまにかエアコンの暖房をいれなくなったと思ったら今は暖房を入れないですんでいる。電気代が4・5000円少なくなった。
まだ電気毛布とホットカーペットは入れている。
昨日は夕方から雨が降り出して今朝はやんでるたがまだ地面がぬれている。
夕べまた油汗がでるほどの腹痛になった。
筍の消化が悪かったのか。食べ過ぎているのか。
今朝、夫が言う。
「ラーメン食べない人がラーメン食べたから」という。
もともとラーメンが好きでないのでラーメン好きの夫は店のラーメンが食べたくなると1人でどこかに行って食べているらしい。
昨日は遅い昼食のラーメン、早い夕食の筍の夕食、そういえば昼はラーメンを食べながら晩御飯の残りの夕食、鱈の白身を塩、胡椒してバターソテーにした。そこにしょうがのみじん切りを入れてそしてにらを散らした。それを食べた。
さてこの魚のソテーだったのか。
7時半ごろからテレビを見ながら小さな羊羹とコーヒーを飲んだ。
これが悪かったのかわからない。
朝、夫には「食べすぎとラーメンかな。ラーメン食べないのに食べたから」ちという。先日、夫のいないときに昼食でラーメンを食べたときはなんともなかった。
だんだん父親の体質に似ているのだろうか。
父親は70歳近くになってあまり外出しなくなった。
外で食事すると帰り道に腹痛でトイレにいかないといけなくなるので出なくなった。
どうしても行かないと行けないときは外での食事を控えた。そして韓国料理も中華料理も一切、手をつけなかった。食べないで帰って家でうどんを食べていた。私の近年、韓国料理のニンニク唐辛子の入った料理が食べられなくなった。
和食だとなんともないのでこのごろは私用に菜っ葉の煮炊き物をしている。韓国の青唐辛子の辛さはなんともないのににんにくが入っている唐辛子が食べられない。しかし外では気をつけている。食材に青唐辛子を多く入っていると取り出すようにしている。
なんか年を重ねてだんだん父親の体質に似てきて父親が気をつけていたことを私が同じことをしている。
夫は子どものころから体質がそうなっているのかニンニク唐辛子の入った料理が大好きである。だんだん私と夫の食べるものや好みが違ってきている。
夕べはひとしきりトイレで頑張ってやっと腹痛がとれた。
セイロンガンの薬を飲んで治まった。
これから食事は少ない目にそしてよく噛まないと消化ができないのだろうか。
寄る年端には勝てない。体がついていかない。

今日は大阪の現場である。
民団大阪本部会館内にある大阪文化院での記者会見である。3時からである。
また水曜日はここにきて他の企画取材をしなければならない。
10時半頃に外出の支度をしなければならない。
早いが昼食を家ですませるようにしている。
外ですると1000円近いので財布の中がいつのまにか早く少なくなるような気がしてなるべく家でしていくようにしている。
3時前に入るが2時間の交通時間を考えて11時に外出の支度だがその間に電話やFAXが入ると時間が予定外になるので早い目に10時半頃から支度をし始める。

そういえばまったく違う話だが土曜日の福祉施設のイベント会場に駆けつけた。
ボランテイア活動が100人来ている。韓国料理やその他の屋台も出ている。
ビビンバップの屋台に行くと「チョンさん」とにっこり笑って声を掛けて下さる人がいた。笑顔のきれいな人である。
それがどこであったのか覚えていない。
失礼ながら「どこでお会いしたのでしょうか」と聞くと「京都でお会いしました。今は教育官担当領事できています」と話されて思い出した。
奥さんだった。奥さんも京都では何度かお会いしながら韓国に帰国されるともうすっかり忘れてしまう。しかし私の話は聞いておられるのだろう。
忘れないで声をかけて下さってうれしかった。みんなそれなりに昔は苦労した海外派遣教師である。かつて奈良で雑誌記者をしていたときに在日韓国人の新聞社に紹介して下さった教師たちと繋がっている。そのとき領事は神戸におられて帰国して京都にこられてまた帰国、帰国期間が短いのにまた大阪に赴任してこられた。関西事情はそれなりに詳しいので赴任されたのだろう。
関西に赴任した人たちが韓国に帰国すると自分たちの関西OB会を作って勉強会などしておられる。昨年5月韓国に行った時、たまたま集まりがあるので来ませんかと誘いがあったが私は他の取材の現場があったので入ることができなかった。懐かしい皆さんにお会いしたかったが私の韓国での取材が優先だったのでその会合にいけなかった。後で勉強会の資料を見せてもらった。韓日の歴史資料だった。歴史教科書の改編になんらかで教育機関から離れた人たちがしていたのだろうか。覗けばよかったと思ったりするがやはり私の本来の仕事が優先したのでこれでよかったと思ったりしている。
話は元にもどすが-----。
ビビンバップの屋台で陣頭指揮を取ってボランテイア活動しておられたのが現総領事夫人だった。総領事館関係の婦人たちがボランテイア活動に参加しておられる姿を見て韓国の女性たちの内助の功もあるが社会参加をしている姿に時代の流れを感じた。男性社会が中心の韓国だが女性たちの集まりをしておられる。10数年前にもこうしたことがあったがまだまだ男性の影に隠れていた。
しかし先日見た光景で女性たちの社会参加に目を見張るものがあった。韓国で女性議員が多く出てこられる様子を理解できた。
けれどチョンさんと声をかけてくれた夫人の言葉にまだまだ長幼の礼儀が残っていることを確認した。日本と違ってまだ韓国は礼儀がそこかしこに残っている。
皆さんイキイキして活動しておられた。
そして日頃、総領事が在日韓国人高齢者の福祉問題も日本行政に要請しておられ実践の内助の功を垣間みた。

この日は民団兵庫婦人会のオモニたちに久しぶりにあった心地よさそして公館夫人の再会とイキイキとボランテイア活動しておられ光景にまた心地良い風が私の頬に触れていた。

大阪に来ると在日コリアンが抱えている問題そしてどうして暮らしているか現状が分かることになる。在日コリアンが決して楽して経済構築をしていない。日本人がしない仕事をして経済構築をして働き余裕ができると1世たちは韓国の発展のために国造りに寄与してきた。こんなことも日本に赴任して分かるようになる。在日コリアンは苛酷な仕事をして汗をかいてそして韓国発展のために寄与された。涙ぐましい努力があったということを日本に赴任してこられると理解される。しかし日本社会ではそんなことがしられていない。まして経済基盤は日本で出来ている。子々孫々は日本で生まれて日本で命を果てていく。地域共生のスローガンはここにある。国籍を変えることに歴史背景を抱えている在日コリアンは躊躇してしまう。せめて2世は日本国籍にしない。血がどうしてもそれをさせない。しかし地域共生を主眼にして生活基盤をしている。地方参政権付与は2世で解決したいと頑張って日本に要請している。この気持を反対している1部分の自民党が理解できないということは歴史背景を無視してこれまできたのかと憤りを感じる。

先日のあるブログで私の日本語がおかしいと指摘した人がいた。
ブログなので日記風に書いているので話題もあちらこちらに飛んでいる。これも私の日記なのでそうしたことにも気づかいしないで書いている。変換ミスは私の責任であるが日本語がおかしいと言われると根底に在日コリアンの蔑視が垣間見えて気分が不愉快だった。
私は日本で生まれて日本で育った。在日コリアンの第1言語が日本語である。むしろ韓国語が母国語なのに外国語の感覚で勉強している。
日本人の間でこうした歴史史実も知らない人が多いのかとがっくりする。
ブログを見て時に電話を頂く人は私の通名で「ヒラカワさん。見ているよ。だからヒラカワさんの生活が全部わかるわよ」という。小中高校と地元の公立学校に通った同級生である。
韓国語は外国語であることをよく知っている。変換ミスは私の責任ですが日本語がおかしいということは関西弁で書いていることもあるので関西弁をよく知らない人そして韓国人蔑視なのかと思ってしまう。
私は日本の片田舎で生まれて在日コリアンの接触は親戚だけだった。在日韓国人の新聞記者になって多くの人たちと知り合ったが韓国語が下手な在日韓国人である。自慢にならないが第1言語は育った日本で日本語だという在日韓国人2世である。

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