しかし韓国の方が強かったが互角の試合だった。
だからまた日韓のサポーターもハンドボールを初めてみる応援団も燃えた。
スポーツの世界でもいろいろとあるのですね。
人間のすることだからいろいろあるかもしれないけれどオリンピック競技です。公平にしてもらいたいです。
テレビに写る韓国の応援団は韓国系の団体や民族が高校生と思っていたら韓国から応援団2000人が2泊3日でツアーできたという。
韓国ではハンドボールをテーマにした映画も放映されているので人気があるという。テレビでサポーターに取材していたがこの画面を見ていて本当に韓国は豊かな国になった。一般市民がサポーターとして旅費を出して2000人が来日できる生活のゆとりに涙が出そうになった。
東京オリンピックの時はこんなことではなかったと聞いている。
選手たちの渡航費用さえ出せない。
そのとき民団関係者が全力を挙げて協力をして韓国の選手団の来日を側面から支えたと聞いている。豊かなになった韓国、韓国も在日韓国人も先人たちが努力して日本植民地から解放されたもののつかのま動乱で国は山河だけ残った。
血と汗と涙で建国をした。
日本も敗戦後、飲まず食わずで働いて今日の日本を作った。少なくとも日本に住んでいる在日同胞の経済人は日本の国づくりにも寄与している。多額な税金を納めて寄与してきた。一般のコリアンも税金を払っている。日本政府は韓国籍・朝鮮籍という外国人枠でくくってきた。
在日コリアンに何も通達せずにかってに日本政府が朝鮮人にしてしまった。
当時おそらく日本国籍の方法を考えたとしても1世はなかなか日本国籍の切り替えに賛成しなかったかもしれないが少なくとも2世以降には日本国籍のことも考えてすみやかにする方法も考えておく必要もあったはずだ。
南北分断で韓国系と総連系の民族団体ができた。コリアンの先人たちは熾烈な戦いの末に民団ができ総連ができたと聞いている。南北分断が在日コリアンの法的地位など遅らせることに一因しているがまた反面在日コリアンが運動して解決してきたも多くある。
民族団体の分かれ目に私の父親はその場にいた。町の同胞たちと何度も話し合ったが意見がまとまらない。
民族活動で生活ができないと悟った父親は民族運動から外れて会社員になった。日本の会社で定年退職まで働いた。この時代日本の会社で働く父親はいろんなことはあったが人間的にも真面目で技術に長けていたので定年退職まで働いた。そして若い人の面倒もよく見たときいているが残念ながら家族は貧しい暮らしをしていた。母親は本家の祭祀をまとめ舅・姑の生活、叔父たちも結婚させてきた。その分子どもたちはそんなにいい暮らしをした記憶がない。
ただ父親は教育を受けた人だったので子どもの教育はそれなりに熱心にしてくれたことは感謝している。しかし母親の稼ぎで我が家は成りたっていた。
民族運動から離れた父親は生涯政治には関わらないで生きた。
新聞を読んで入れる知識力は高かった。博識だったが一切民族団体に出入りしなかった。
今から思うと日本植民地時代、日本政府でいい目もしたが犠牲者の1人と年を重ねて分かってくると一切政治に関わらなかった。子どもたちにも束縛して民族団体に関係させなかった。
しかし私が生活のために民団で記者をするようになって甥や姪たちに日本植民地支配の背景を話し韓国に行って認識を広めてほしいと話していたという。
女の子は嫌いといつも言っていた父親だったが心の中ではやはり我が子を思う気持ちがあったことをずいぶん年を重ねてきてわかった。
韓国の発展、ゆとりに1世の生き様が重なってくる。先人たちの苦労は口ではいえないほど耐えて耐えて今日の韓国を築いたと思うと目頭が熱くなった。
こんな光景を知らない北に帰国した同胞を思うと胸が痛む。
政治は自分たちのものではない。国民・市民たちのものである。
その位置に立って考えてもらいたい。また日本の国会はガソリン税でもめている。国を借金だらけにしたのも政治家です。日本の政治家の資質が問われる時代に入っている。
日本人の中には在日コリアンに対して今も差別事象の中で括られている。歴史の時代背景をしらない。何もしらないで成人して年を重ねている大人たちに悲しくなる。これこそ日本のイデオロギーで強いこと強いこと、けっして心の鏨をはずさない日本人気質にうんざりしてしまう。
しかし中には鏨をはずして共生をしょうと努力している政治家も一般人もいる。この人たちを足蹴りにしている政治家がいる。心の扉を開かない閉鎖的な気質にうんざりしてしまう。
日韓のハンドボールの試合、どちらも強い。互角の試合だった。こうした現実に日本がかわらなければならない。このままだと国際列車に乗り遅れていく。そんな予感もする今日の日本の政治家と歴史背景を知らない一般人の気質である。
だからまた日韓のサポーターもハンドボールを初めてみる応援団も燃えた。
スポーツの世界でもいろいろとあるのですね。
人間のすることだからいろいろあるかもしれないけれどオリンピック競技です。公平にしてもらいたいです。
テレビに写る韓国の応援団は韓国系の団体や民族が高校生と思っていたら韓国から応援団2000人が2泊3日でツアーできたという。
韓国ではハンドボールをテーマにした映画も放映されているので人気があるという。テレビでサポーターに取材していたがこの画面を見ていて本当に韓国は豊かな国になった。一般市民がサポーターとして旅費を出して2000人が来日できる生活のゆとりに涙が出そうになった。
東京オリンピックの時はこんなことではなかったと聞いている。
選手たちの渡航費用さえ出せない。
そのとき民団関係者が全力を挙げて協力をして韓国の選手団の来日を側面から支えたと聞いている。豊かなになった韓国、韓国も在日韓国人も先人たちが努力して日本植民地から解放されたもののつかのま動乱で国は山河だけ残った。
血と汗と涙で建国をした。
日本も敗戦後、飲まず食わずで働いて今日の日本を作った。少なくとも日本に住んでいる在日同胞の経済人は日本の国づくりにも寄与している。多額な税金を納めて寄与してきた。一般のコリアンも税金を払っている。日本政府は韓国籍・朝鮮籍という外国人枠でくくってきた。
在日コリアンに何も通達せずにかってに日本政府が朝鮮人にしてしまった。
当時おそらく日本国籍の方法を考えたとしても1世はなかなか日本国籍の切り替えに賛成しなかったかもしれないが少なくとも2世以降には日本国籍のことも考えてすみやかにする方法も考えておく必要もあったはずだ。
南北分断で韓国系と総連系の民族団体ができた。コリアンの先人たちは熾烈な戦いの末に民団ができ総連ができたと聞いている。南北分断が在日コリアンの法的地位など遅らせることに一因しているがまた反面在日コリアンが運動して解決してきたも多くある。
民族団体の分かれ目に私の父親はその場にいた。町の同胞たちと何度も話し合ったが意見がまとまらない。
民族活動で生活ができないと悟った父親は民族運動から外れて会社員になった。日本の会社で定年退職まで働いた。この時代日本の会社で働く父親はいろんなことはあったが人間的にも真面目で技術に長けていたので定年退職まで働いた。そして若い人の面倒もよく見たときいているが残念ながら家族は貧しい暮らしをしていた。母親は本家の祭祀をまとめ舅・姑の生活、叔父たちも結婚させてきた。その分子どもたちはそんなにいい暮らしをした記憶がない。
ただ父親は教育を受けた人だったので子どもの教育はそれなりに熱心にしてくれたことは感謝している。しかし母親の稼ぎで我が家は成りたっていた。
民族運動から離れた父親は生涯政治には関わらないで生きた。
新聞を読んで入れる知識力は高かった。博識だったが一切民族団体に出入りしなかった。
今から思うと日本植民地時代、日本政府でいい目もしたが犠牲者の1人と年を重ねて分かってくると一切政治に関わらなかった。子どもたちにも束縛して民族団体に関係させなかった。
しかし私が生活のために民団で記者をするようになって甥や姪たちに日本植民地支配の背景を話し韓国に行って認識を広めてほしいと話していたという。
女の子は嫌いといつも言っていた父親だったが心の中ではやはり我が子を思う気持ちがあったことをずいぶん年を重ねてきてわかった。
韓国の発展、ゆとりに1世の生き様が重なってくる。先人たちの苦労は口ではいえないほど耐えて耐えて今日の韓国を築いたと思うと目頭が熱くなった。
こんな光景を知らない北に帰国した同胞を思うと胸が痛む。
政治は自分たちのものではない。国民・市民たちのものである。
その位置に立って考えてもらいたい。また日本の国会はガソリン税でもめている。国を借金だらけにしたのも政治家です。日本の政治家の資質が問われる時代に入っている。
日本人の中には在日コリアンに対して今も差別事象の中で括られている。歴史の時代背景をしらない。何もしらないで成人して年を重ねている大人たちに悲しくなる。これこそ日本のイデオロギーで強いこと強いこと、けっして心の鏨をはずさない日本人気質にうんざりしてしまう。
しかし中には鏨をはずして共生をしょうと努力している政治家も一般人もいる。この人たちを足蹴りにしている政治家がいる。心の扉を開かない閉鎖的な気質にうんざりしてしまう。
日韓のハンドボールの試合、どちらも強い。互角の試合だった。こうした現実に日本がかわらなければならない。このままだと国際列車に乗り遅れていく。そんな予感もする今日の日本の政治家と歴史背景を知らない一般人の気質である。
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