鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

1月10日(木)曇、冬雲がたれこめている。

2013-01-10 09:13:26 | 直言!
真夏に太陽にこんな冬曇も懐かしく思う。

しかし冬になると近年の寒さは半端でない。そして年を取ると寒さにも堪えてくる。今日は自宅にいます。
休養です。明日からまた3日間連日外出です。
明日は女友達と会うが12・13日は現場です。

昨日、新大宮で3月に掲載する「奈良おんな物語」の人とお会いした。
お会いしてよかった。
感性豊かに生きてこられたが思いがたくさん詰まっている人だった。
私もあれこれと苦労もあったが彼女の苦労はまたそう経験することのないことだった。しかし育ちの良さが会った瞬間に思った。
私の直感があたった。
親の育て方、育った環境は人と成になっていくのかとまた改めて認識をしていた。さて私はというと-----。
おてんばでがさつな私は「こんな子に育てた覚えがない」とよく父親にいわれた。なるほど親の育て方がその子の人間性になっていくことを父親は知っていたのか「女は黙って」「静かに暮らしなさい」と、よく言われた。
「女は黙って、静かにしていなさい」に反発したのが私です。
なぜ女は話してはいけないのか。なせ女は発言してはいけないのか。
なぜ静かににしておらないといけないのか。
女も1人の人間なのに話す口もある。人を観察する目も持っている。人の関係を創っていく心があると心で思っても口に出していえなかった。
なぜ女は黙っておらないといけないのか。
もうこれには我慢できなかった。
父親に対する私の心の葛藤を大学ノートに書いていった。
そんな女の子がまた政治運動していないか父親はハラハラしていた。
高校に入ると私の本棚を何ヶ月に一度は父親は点検していた。
「政治に関与するな」というのが親父の口癖だった。
在日コリアンは選挙権もないのにどうして政治に関係できるのかと思っていたが大人になってやっと気がついた。民団にも総連にも関与するなということだった。父親は子どもに言い聞かせていたこともあって親父自身も在日コリアンの民族団体に一切、出入りしないで日本の会社で働き定年退職するまで働いた。退職後は厚生年金受給者になってのんびりと暮らしていた。
母親の商いを手伝っても体力がもたなくて母親は「もう何もしてくれなくてもいい。家でゆっくり病気しないでいてほしい」といって仕事をさせなかった。
家の留守番だった。
年を重ねてひところのような厳しさはなくなっていたが私は子どもの頃の父親がある。厳しいイメージが強くてそう語り合うこともなかった。
父親は民族団体に出入りしていなくても在日コリアンの世界もよく知っていた。
雑誌記者時代は何もいわなかったが在日韓国人の新聞社、日刊紙の新聞社に行ったとき、その新聞の形態をしっていたのだろう。「一生懸命に仕事するな。適当に仕事をすればいい」といっていた。民団新聞に移ってからはそんなことはいわなくなった。私が現場に入る所、知っていることは私に全部教えてくれた。やっかいな現場はその歴史を教えてくれた。これは私にとってずいぶんと役にたった。物事にのめりこまないで客観的に物事を見るということを教えてもらった。

昨日、お会いした女性の生き様を聞いて------。
いかに親の生き方が子どもに影響していくのか。
そんなことを考えさせられることになった。
またお会いしたい人でもう一度お会いすることになった。
またお会いできるのを楽しみにしている。

昨日はこの方と1時半に分かれてまた近鉄奈良駅に戻った。
2時頃、女性たちの会合のある奈良女性センターに向かった。
各部屋を覗くと知人がいる様子もない句会ばかりだった。
携帯電話で居場所を聞こうと思ったが会合の中の携帯電話は迷惑と考えて会合はあきらめて私の行く喫茶店に向かった。
資料の読み込みをした。
家にいるとなかなかできない。
3時半に出てスーパーに寄って足りない食材を買いこんで家に帰ると4時半です。急いで風呂に湯を入れて風呂に入ってから夕食の支度をしていく。
パソコンを開いたのはもう6時前です。
受信メールの雑用を済ませていると夫が戻るという電話が入る。
夕方のブログは何も書くことができなかった。

今日は1日、自宅にいるが1月の「奈良おんな物語」の原稿を作っていかないといけない。また---。
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