ライフワークの原稿を作ろうと思っていたらテレビ欄を見ると「徹子の部屋」で佐良直美がゲスト出演をする。
私とほぼ同じくらいの年齢と思っていた。
テレビを見終わってからインターネットで検索すると
1945年1月10日生まれ、早生まれで学年は同じ、歌手生活から離れて犬の調教をしておられるというのでテレビを見た。
年相応に年代を重ねておられた。
「私の好きなもの」の歌もあることをインターネットで検索してわかったが私は「世界は二人のために」の歌が好きだった。
この歌で心が癒された。
若いとき、心の病になって苦しい時を過ごした。このときこの歌を聞いて滑らかな歌にハッピーな歌、病気を治して自分のやりたいことをして楽しく過ごしたいと何度も思った。生きる気持ちを持たせてくれた。
今はパニック症候群とか言われてこの病気にかかる人が多くなっているが私の20代の後半はそんなにいなかった。病名も違っていた。
何でも完璧にやろうとする。気を張り詰めていく。
そんなことが積み重なって病気になった。
6・7年苦労したが病気は完治した。
それから失敗は恐れずに失敗は失敗で受け止めようとマイペースにすることになった。自分の能力以上に物事を過信して考えないようにした。
そして挫折したり物事に行き詰ったりすると、とことん考えないで途中で投げ出すようにした。
ならないものはならない。なるものはなるようになると-----気楽に考えることにした。
どうでもいいことはどうでもいいと考えるようにした。
結婚生活に慣れなかったこともあるがPTAの役員も完璧にしょうと思って気を張り詰めてしまった。人と話すことは好きでも大勢の前で話すことは大の苦手なので息子が中学に上がるとPTAの役員から退いた。
それからまた人生は縁があって雑誌記者になったのでPTAの役員から遠ざかることになった。雑誌記者の仕事が楽しくて(もちろん辛いこともあったが)---。
好きな仕事だったので乗り越えることができた。
私の若いときで1番辛かったときに流行った歌だったが佐良直美の現在の姿を見たくてテレビを見た。
それで新聞はいつもと違って11時過ぎから読んだ。
本当は10時半から読むはずだったのに-----。
私の服がかけてある部屋に行くとセーターなどが目障りになってきた。
気になってきた。天気のいい日に洗って直さないといけなと思って洗う袋に入れていく。ついでにジャケットも気になりだした。
来ていないものは奥にかけていく。
クリーニングに出すものは出すようにしていく。
ついでにこれからの季節のジャケットを出した。
こんなことしていると時計は11時10分になっている。
急いで新聞を読んだ。
ウトウトと眠たい。目が覚めたのが12時40分、それが1時40分と勘違いして急いで起きてテレビを付けると違う番組、時計を見ると12時40分だった。また横になってウトウト、目が覚めたのが1時半、番組は1時27分から始まっている。最初は見られなかった。
「世界は二人のために」の歌を聞くことができなかった。
でも佐良直美を見たのでよかった。
テレビを消して今度はパソコンを開く。
先日、女友だちに頂いた梅が美味しい。
夫は美味しいというので銘柄の包装を残しておいてインターネットで検索して注文した。とりあえず1キロ注文、食べてよかったら今度は多く注文しょうと思っている。
3時半です。そろそろ夕食の支度です。
昨日、行きつけの喫茶店に(銀杏や)行くと花が変わっていました。
写真は2011年4月14日撮影。
私とほぼ同じくらいの年齢と思っていた。
テレビを見終わってからインターネットで検索すると
1945年1月10日生まれ、早生まれで学年は同じ、歌手生活から離れて犬の調教をしておられるというのでテレビを見た。
年相応に年代を重ねておられた。
「私の好きなもの」の歌もあることをインターネットで検索してわかったが私は「世界は二人のために」の歌が好きだった。
この歌で心が癒された。
若いとき、心の病になって苦しい時を過ごした。このときこの歌を聞いて滑らかな歌にハッピーな歌、病気を治して自分のやりたいことをして楽しく過ごしたいと何度も思った。生きる気持ちを持たせてくれた。
今はパニック症候群とか言われてこの病気にかかる人が多くなっているが私の20代の後半はそんなにいなかった。病名も違っていた。
何でも完璧にやろうとする。気を張り詰めていく。
そんなことが積み重なって病気になった。
6・7年苦労したが病気は完治した。
それから失敗は恐れずに失敗は失敗で受け止めようとマイペースにすることになった。自分の能力以上に物事を過信して考えないようにした。
そして挫折したり物事に行き詰ったりすると、とことん考えないで途中で投げ出すようにした。
ならないものはならない。なるものはなるようになると-----気楽に考えることにした。
どうでもいいことはどうでもいいと考えるようにした。
結婚生活に慣れなかったこともあるがPTAの役員も完璧にしょうと思って気を張り詰めてしまった。人と話すことは好きでも大勢の前で話すことは大の苦手なので息子が中学に上がるとPTAの役員から退いた。
それからまた人生は縁があって雑誌記者になったのでPTAの役員から遠ざかることになった。雑誌記者の仕事が楽しくて(もちろん辛いこともあったが)---。
好きな仕事だったので乗り越えることができた。
私の若いときで1番辛かったときに流行った歌だったが佐良直美の現在の姿を見たくてテレビを見た。
それで新聞はいつもと違って11時過ぎから読んだ。
本当は10時半から読むはずだったのに-----。
私の服がかけてある部屋に行くとセーターなどが目障りになってきた。
気になってきた。天気のいい日に洗って直さないといけなと思って洗う袋に入れていく。ついでにジャケットも気になりだした。
来ていないものは奥にかけていく。
クリーニングに出すものは出すようにしていく。
ついでにこれからの季節のジャケットを出した。
こんなことしていると時計は11時10分になっている。
急いで新聞を読んだ。
ウトウトと眠たい。目が覚めたのが12時40分、それが1時40分と勘違いして急いで起きてテレビを付けると違う番組、時計を見ると12時40分だった。また横になってウトウト、目が覚めたのが1時半、番組は1時27分から始まっている。最初は見られなかった。
「世界は二人のために」の歌を聞くことができなかった。
でも佐良直美を見たのでよかった。
テレビを消して今度はパソコンを開く。
先日、女友だちに頂いた梅が美味しい。
夫は美味しいというので銘柄の包装を残しておいてインターネットで検索して注文した。とりあえず1キロ注文、食べてよかったら今度は多く注文しょうと思っている。
3時半です。そろそろ夕食の支度です。
昨日、行きつけの喫茶店に(銀杏や)行くと花が変わっていました。
写真は2011年4月14日撮影。
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