鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

3月17日(木)太陽が出ているから晴れているのか。

2011-03-17 09:57:10 | 直言!
何かしら、漫画を読んでいる。
勉強の本でなくて任侠伝の漫画を読んでいる。
私はこんなものにまったく関心がないので見向きもしないが----。

朝から原稿2本と写真を編集局に送った。
今日は午後からライフワークの原稿を作らないといけない。
昨日は頑張って原稿2本を完成させた。
1本はもう1度、今朝見直して送信をした。

昨日は深夜の12時から約2時間「クロッシング」と言う映画が放映された。
以前、民団大阪本部で放映されたがどうも恐い映画で進んで見るのに躊躇した。
他に所用があって他の所に立ち寄っていて民団大阪本部のすぐ側にいたが映画を見ないで奈良に戻った。
たいていの在日コリアンはこの映画をみているようだ。
しかし私はまだ見ていない。話題についていけないのでとにかく夜中でも見ることにした。

とにかく起きて見ることにした。
10時まではなんとか地震放映のテレビを見ていたが眠たい。
とりあえず開始時間の12時まで2時間、寝ることにした。
目が覚めると12時7分前、とりあえず起きた。
夫も見ようと思って漫画を読んで寝ないで起きていた。
12時に「クロッシング」が始まった。
韓国で2008年に制作された映画、スペインにある韓国大使館に逃げ込んだ北朝鮮の元サッカー選手のドキュンメンタリーを映画にしたものだ。
脱北者が北朝鮮にいたころから中朝国境、鴨緑江から脱出して中国に行くところまで見ていたが映画を見ていると胸がしめつけられるような痛々しい場面に私は夫に「もう寝る」と言って12時35分に床に入った。
いったん起きて床に入っても今度はなかなか寝付けない。
1時前におきて牛乳を飲んで体を温めた。
そのうちに北朝鮮の貧しい生活の映像の場面がなくなって中国で働くところの場面が多かった。しかしまだ子どもが収容所にいれられて「反動分子のガキ」と言われているところやまたできものができて蛆虫がわいている子どもの場面はもう見られなくて読んでいない新聞の記事に目を通していた。
子どもが脱北して父親に会いに行くところから少し見られるようになった。
中朝国境を越えてモンゴルに入るが歩いても歩いても何もない地肌が見える平原地帯、とうとう子どもは夜に冷え込んだ体温と餓死で死んでいく。
自分の出自をダンボールに書いてそれを持って死んでいく。

大阪府在住の脱北者に聞いたことがあった。
中国からミャンマーに脱出した人は警備隊に見つかっていなかったら餓死しているか凍死していると言っていた。こんな状態だったのかと映画を見ながら想像していた。
2時まであと30分、最後まで見ることにした。
中国に脱北した父親は息子の訃報の知らせを聞くことになった。
そして韓国に脱北していく飛行機に乗る場面で映画は北朝鮮の暮らしの日々が回想される。音楽は「蛍の光」である。泣けてきそうだが-----。
私は大阪に住んでいる脱北者、元在日朝鮮人の証言を聞いているのでやはり映画より証言のほうが生々しい。話しを聞いていても涙が出そうだった。
2時前に映画は終わった。
父親役を演じたのは韓流ドラマでも人気のあるチャ・インビョ、やはり演技者、上手い。北朝鮮の言葉はまた違うので覚えるのに苦労しただろう。

日本の隣の北朝鮮の多くの人たち、ほとんどの人たちが貧しくそして生活苦と病気にあえいでいる。また何か不都合なことがあると収容所に連れて行かれる。やはり映像で見ると恐い場面である。
「クロッシング」の映画が韓国で製作されて放映されるようになった。
時代が変わったと思っている。
2000年の初めまでまだこんな映画が作れなかった。
民主化運動とした人が大統領になったが北朝鮮オンリーで北朝鮮をかばうほうで絶対にこんな映画作れず韓国人の大衆には北朝鮮の悲惨な実態を知らせることができなかった。そして2008年になってようやくこの映画が放映されて韓国人は北朝鮮の実態をより詳細に知ることになった。
事実は事実と伝えていかなければならない。
それでも今もなお、北朝鮮シンパが韓国にも日本にも大勢おられるということに私は理解に苦しむ。考え方はいろいろあると理解しているが、しかし日本に帰りたいと思う日本人妻や在日朝鮮人を救わなければならない。また日本人拉致被害者も救わなければならない。このことが大事な人権問題である。
父親が生きていれば「クロッシング」の映画を見ただろうか。
見る前に周りの人に言うだろう。
「北朝鮮がどんな国か俺は知っている。それでも北朝鮮がいいという在日朝鮮人がいる。だったらお前ら先に北朝鮮に帰ったらええ。人に帰れ、帰れというのは北朝鮮の実情をお前ら知っているから帰らないのだろう」と。
こんな言葉を北朝鮮支持者の親戚に言っていた言葉をまた思い出してくる。
また「娘にウリマル教室? そんなところに娘を行かすことができるか。ウリマルを教えていなくて爆弾を作ることを教えているところに娘を行かすことができない。ウリクル? それは俺が教える」と言っていたことも思い出す。

そんなことを思い出せた昨日深夜の映画「クロッシング」だった。
映画が終わって2時前に布団にもぐりこんだ。
30分ほど映画のシーンを思い出してなかなか寝付かれなかった。
ぐっすりと5時過ぎまで寝た。

下記はインターネットから検索した「クロッシング」のあらすじです。
日本の映画館で上映しているところがあります。1度は見ておくといいと思う。北朝鮮の貧困がわかります。

私はこれから新聞を読みます。


あらすじ - クロッシング
2007年。北朝鮮の炭鉱で働く元サッカー選手のキム・ヨンス(チャ・インピョ)は、妻ヨンハ(ソ・ヨンファ)と11歳の一人息子ジュニ(シン・ミョンチョル)と共に貧しい生活ではあったが幸せに暮らしていた。だがある日、妊娠中のヨンハが肺結核で倒れてしまう。風邪薬も容易に手に入らない北朝鮮では、薬を入手するには隣国の中国へ行くしかなかった。ヨンスは中国に渡ることを決意、決死の覚悟で国境を越え、やっとの思いでたどり着いた中国で薬を買うために森林伐採の仕事に就く。しかし、不法労働の現場が発覚、無一文で公安に追われる身となってしまう。中国では、北朝鮮からの脱北者は発見されれば容赦なく強制的に送還される。それは、死をも意味していた。ヨンスは薬を得るまでは戻れないと身を隠していたが、北朝鮮の実情を話せばお金を得られるという話が舞い込み、インタビューに応じることにする。だがその頃、北朝鮮では夫の帰りを待ちわびていたヨンハがひっそりと息を引き取っていた。孤児になったジュニは父との再会を信じ、国境の川を目指す。途中、やはり家族と引き裂かれた幼馴染の少女ミソニ(チュ・ダヨン)と出会うが、二人は脱北に失敗、無残にも強制収容所(道集結所)に入れられてしまうのだった。そんな中、韓国に到着したヨンスはすぐに息子捜しを依頼する。その仲介者によってジュニは中国の国境を越え、モンゴルの平原への脱出を果たしたとの報がもたらされるが……。


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