鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

午後の昼下がり、2時21分。

2011-12-17 15:18:54 | 直言!
夕方に入るとそのまま起きて家事をしないといけない。
湯冷めをして風邪をひいてしまうので朝風呂に入って出るとそのまま布団にもぐりこんだ。そしてよく寝ること、寝ること。新聞も読んでいるが起きると12時半、夕べ煮込んだカレーで昼食にした。
昼食を食べながらテレビをつけるとサバンナ八木・高橋が画面に出ていた。
ついやはり見てしまう。
高校の同級生の子息と思うと見てしまう。
お父さんは恥ずかしがりやだった。口数の少ない人だったが女子学生に人気があった。かわいらしい色白の顔、そして制服なのにどこかでおしゃれをしていたので女子学生に人気があった。
6月の高校のクラス会でサバンナの八木さんは高校の時に一緒だった同級生の息子ですといったら誰もこのことを知らなかったのか「えー」「ほんま」と驚いていた。
のがその私がなぜ知っているかというと、息子が奈良市立都跡幼稚園に行っているときに幼稚園の教師をしていたのがサバンナ八木のお母さん。年長の時、担任になった。
幼稚園に行ってPTAの役員をすると教師とも打ち解けて話していく。
そのときに何気なしに「先生はどこから通っているのですか」と聞くと町の名前を言われた。思わず私は「その町に高校の同級生に八木○さんがいました。かわいらしくて女の子に人気がありました」と話すと「その人は私の主人です」といわれてびっくりした。そのころ八木さんは新幹線の運転手をしておられて新大阪から東京に行くとそこで泊まって翌日、東京から新大阪に帰ってくる生活パターンを話して下さった。
そして息子が大学卒業間際になったときに偶然に息子の年長の担任だった八木先生に奈良市内のある会合の中、仕事でお会いした。
そして八木先生は「息子は漫才をするというのでそのまま好きなことをさせます」と。この話を聞いたときは驚いた。
漫才という芸人の世界、海とも山とも分からない世界に息子を信頼してその世界に進ませた親の寛大さに驚いた。
やがて会うこともなく月日が過ぎていった。
そして10何年ぶりに八木先生の子どもの活動を聞くことになった。
行きつけの喫茶店、昼間は教師や会社を定年退職した女性たちが息抜きで多くの人が来られていた。隣に座った女性の親子、何気なしに言葉を交わしたらその女性は奈良市立の幼稚園の教師をしていて定年退職をした話をされた。
そこで私は八木先生のことを思い出して八木先生のことを聞くとまた、まさかの偶然でした。八木先生とは仲の良い友達という。
そしてこの方に八木先生の息子さんが今、テレビに出ているサバンナ八木だということを教えてくれた。
八木先生は女性なので電話をかけてもいいがやはり相手が高校の同級生、いくら何でも久しぶりとは思いながら自宅に電話をかけることはできなかった。
そんなことでもう10何年以上も八木先生とはお会いしていない。
まして高校の同級生だった八木○君がご主人と思うとなおさら電話ができない。
先日の高校のクラス会でサバンナ八木の話題に誰かがいっていた。
「八木君、かわいらしかったな」----と。思っていること皆、同じだったということ。同級生の八木さんとは卒業してからお会いしていない。
長い年月にもういい高齢者になっておられるだろう。
やはりお父さんに似てサバンナ八木も温かい優しい青年のようだ。
東京に進出して活動する息子を両親は温かく見守っておられるだろう。

1960年代初め、高校生活を送ったがいい時代に過ごしたと思っている。
まだまだ日本の経済は発展途上国だったが夢と希望をもって前に向かって力強く生きていた。そんなときに生まれた歌には何かしら温かい情感があった。
あの時代にあった歌がヒットした。
「いつでも夢を」の歌もこの時代にあった世相だったから皆に親しまれた。
家にテレビが入り洗濯機が入った。ガス釜が入ってやがて電気釜が入ってきた。
家電製品が家の中で宝物のように鎮座していたあの頃が懐かしく思い出される。
家電製品が家に入ってもまだまだ電話は一般家庭には少なかった。
電話は1970年代に入って一般家庭に普及をしていった。
電話機器も家の中で立派な置物のように鎮座していた。
今は固定電話が時には電話セールスに多く使われてそんな電話にあわてて切ってしまう、親しい人たちには携帯電話の番号を教えている。
電話はいつの間にかカバンの中だったりパソコン機器の側にあったりして使いやすくなった。が、人間関係は会話から会話、しかしあとかたもなく消えていく会話になった。メールも時間が経つと消していく。
人間の心はいつの間にか心に残る会話が希薄になっている。
やはり心の中は書くことを通して伝えることが必要である。
紙とペンは人間が生きるうえで大事なものと近年、思うようになった。
そんなことをいっている間に電子書籍が出回り電子書籍で学校の授業にも使われるようになってきた。心を持った人間はどこにいこうとしているのか。
同級生の話をしていると1960年から63年、3年間過ごした高校時代の当時のことをまた思い出している。
高校に行くようになって私はよく話しができるようになっていたと思っていたがクラスの人たちは「あんたはほんまにしやべらへんかったのに何で今はうるさいほどしゃべるようになったん」といわれている。
「女の子はしゃべるな。黙っていればいい」という父親の言葉、それでも私は父親の思う品のよい娘に育たなかったので私の娘の存在を父親はよく嘆いていた。
それでも今は会話をして書くことに生業にした私を見て親父は「お前の生き方もまんざら悪くない」と思っているかもしれない。
口数の少ないおとなしい妹を親は溺愛したが-----、その娘が今はこの世にいない。
何がその人の人生を決めていくのか。これは誰もわからない。
母親に私はよくいった。
「なんで○○子を可愛がって」というと「あんたの人生の方が福をたくさん持って生まれていると占いの人がいっていたから」とよくいった。
病弱な妹が不憫でならなかった親の気持ちはやっと年を重ねて分かるようになった。その親ももうこの世にはいない。
これから少し休憩です。

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