鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

2月13日、日曜日 外は晴れている。

2011-02-13 09:11:04 | 直言!
寒くなかったら瑠璃絵も見たいが寒い。
夜の外出で風邪を引くのが恐いので家から近くの奈良県公会堂で行われている瑠璃絵にも顔がだせない。
昨日---、ある現場で高齢者を取材した。
その中の1人の高齢者1世が自分に息子が経営している会社の名前を帰る間際に言って下さった。
どこかでいつも耳にしている会社だった。
先代が作った会社を息子が次いで大きい企業に発展していた。
話を聞いているときは世界に工場を持つ息子がいると思っていなかった。
淡々と渡日史を短い時間に話して下さった。
しかし着ておられる服は高級だと思った。
そして帰られるときのコートはまた高級だった。
しかし1世のハルモニは日本に来てものすごく苦労したということも話しておられた。
16歳で日本に来て18歳で結婚、結婚するまで外に出ることがなく家で暮らした。女性は結婚するまで家から出してもらうことができなかったという。
そんな話を聞いていると私はいつも自分の親父に反発していたことを思い出した。非現実的に暮らしを言うので私は反発して外によく出た。
田舎の町でじっと家事だけをしていると3日もすれば自分だけ取り残されていきそうな気がした。世の中は高度経済成長に乗って世相は華やかになっていたのに----。当時、私の住んでいた木津町はまだまだ田舎だった。本も娯楽も奈良に行かないといけなかった。
1世のハルモニは言った。
「日本で一生懸命、働いて韓国の親戚に行って小遣いや品物を渡してくる。何もないと日本に住んでいる在日韓国人に相手もしなかった。日本は戦後、貧しかったが韓国の動乱で飛行機の部品をアメリカから作れといわれて飛行機の部品を作って日本はお金持ちになった。それで私らの生活もよくなった」とも話してくれた。
貴重な1世の証言である。
女の子は外に出さない。1世たち、昔の人は日本に来てもこんな暮らしをしてしつけていたとしうことがまた改めて認識した。
先代が作った会社を息子が次いで世界の会社になっている。
びっくりした。
大きい会社にするのにもう日本国籍に変えておられるだろう。

そんなことで夕べ、遅く1世のハルモニが言った会社をインターネットで検索しているとあった。会社のホームページもあった。また例の「誹謗・中傷するところでは在日朝鮮人----、帰化した在日と書き込まれていた。
あいかわらず----。
そしたら時計は夜中の12時になっていた。
いくら明日、日曜日でももう寝ないといけない。
明日は現場と原稿作成がなくてももう寝ないといけない。
12時過ぎにパソコンを閉めた。
布団に入るとぐっと寝てしまった。
トイレにいくために起きたのが5時過ぎ、もう1度寝て8時前に今日は起きた。
外は晴れているが寒そう----。
とりあえずこれでパソコン閉めます。
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