鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

雨が大降り--自然の雨音---

2006-06-15 20:33:01 | 直言!
少し体がおちついてきた。4月に入ってしばらくすると暖房を入れなくても過ごせるようになった。ストーブもかたずけた。それでもお風呂の湯は熱くいれないと夫は入った気がしないとかで熱い湯を入れる。
しぱらくすると熱くなってくる。ようやくガス代も電気代も安くなっていくことが目に見えてわかっていく。今月の振込み分まで安い。7月の電気代の振込みはまた1万円越えるだろう。冷房をかけなければすごせない。ガス代はシャワーにすれば大分安くなるがやはり湯につかって体を温める。血行もよくなってよく眠れる。
すだれの隙間から風が入る田舎の山の家がなつかしい。
そんな生活は遠くになっていく。
大粒の雨の音が聞こえる。雨の音は自然の音で心が和む。
人工的に作った音でないので体に心地よくはいってくる。
やはり暮らしの中には自然の音が必要である。
現在の暮らしの中はほとんど人工的に作られた音ばかりだ。
携帯のベル、テレビの受像機、水道も機械で吸い上げている。
風で聞く風鈴も私の家にはない。
昔、火鉢にかけていた鉄瓶からシュシユと沸騰する音がしたがこの音にも落ち着いていた。これは自然の木で作った炭火から沸騰する自然の音だったのだろうか。
ちかごろの冷蔵庫はうるさいほど音を出す。
買い物ほしてきて区分けをして入れているのにドアがあきっぱなしということでピーピーと音を鳴らす。
私も機嫌がいいときは「はいはい閉めます」と優しくいっているが私もその日によっていろいろある。「もうやかましいな。閉めるからちょっとまってて」と冷蔵庫に怒っている。そんなときは何も返事しない冷蔵庫、無機質な入れ物に人間が振り回されている。
たまに雷が鳴り出すと自然の怒りだが自然の音に触れることが少なくなったのか雷の音もときには昔懐かしく聞いている。
昔は風の音も廊下にめんしたガラス戸がカタカタと音を立てていた。
そんな音も聞かなくなった。
今はマンションの戸もアルミサッシでびっしりと隙間なく閉まってしまう。風の音も聞こえない。まして雨の音も聞こえない
たまには自然の雨音を聞きたくてクーラーを消してベランダを網戸にすると雨の音がここちよく耳に響いてくる。
こんなに人工的な音が氾濫する中に人間の心もおかしくなっていくのだろうか。
自然の音を聞かなくなった。
今頃になると田んぼの中からかえるがなく声も聞いていた。隣の庭のグミの木の葉ずれの音もよく聞いた。なのにこんな音もきくことがなくなった。
自然の中でおりなす音のある暮らし、人間生活では欠かせないものだろう。
自然の中の音で人間社会のモラルもつくってきたのだろうか。
機械的な音は人間社会をぎすぎすにさせてきた。
こう思うと文明開化の発展と一緒に育ってきた世代の私は今、この機械文明が人間の心を小刻みに刻んでバラバラにしてしまったのだろうかと考えている。。
みんなばらばらに個人主義になってしまった。
自然と向き合うこともなくなり共有して感動する生活から遠ざかってしまった。
自然と共有した田んぼや畑は開発されて新興住宅街になりあちこちからばらばらの人たちがあつまってはきた。地域社会を構築しょうにも考えはバラハラで地域社会がうまく作れない。隣近所で裁判沙汰になるような摩擦さえおきている。自然との共有を失ってたくさんのものをなくしてきた。
もう一度自然と対峙する人間社会が求められている。
久しぶりに大降りの雨粒、雨音、自然のおりなす雨音に心がおちついてくる。
いかに自然の音が人間社会で必要であると今、私は気がついた。


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