眼科に行く時間がない。
明日は4時から鶴橋で仕事をするが夕方の診察に間に合えばそれにしようか。
月曜日の連載の写真はよくないとまた自己嫌悪になってしまう。江華歴史館だけ切り取って加工すればよかったのかまた悩んでしまう。
こんな写真を見るとソウルに行きたいけれど寒い韓国は懲りたので行かないようにしている。旅費は高くついても気候のいい日がいいのでそうすることにしている。風邪をひくと日本に戻ってきて寝込んでは皆に迷惑をかけてしまう。そして暑いのもこりた。人と会うのもおっくうになるので気候のいい日にすることにした。
日本では韓国語が出てこないのにソウルの町を歩き出すと簡単な会話がでてくる。もしここで長いことすめば私でも韓国語ができるかもしれないと思う。
けれど留学している余裕なんて私の家にはない。
日本で毎日勉強すればいいのにそんな時間もない。作ろうと思えば努力して作ればいいのにと自分でもわかっているのにいつもなんやかんやと言っている。
外は晴れているのに空気は寒そうである。
昨日ひさしぶりに「華麗なる一族」を見た。見たいと思いながらいつも何かをしていて見られない。昨日は昼間にバソコンでの作業を終えたのでひさしぶりに見た。裁判訴訟の場面、親子での戦いである。だからこの財閥が崩れていったのだろうか。収集した美術品や骨董品などが現在、展示されている美術品なのだろあうか。私が娘時代、財閥の崩壊を聞いたことがあった。
当時は金持ちの争いにはとうてい創造できない私だった。
しかしドラマを見ていると私の20歳代の世相がよく見えてくる。
まだまだ鉄鋼関係も発展途上国だったということが認識させられた。
当時、企業で働く第1線の企業マン、だから「企業戦士」という言葉が生まれたこともわかった。こうした困難、苦難を乗り越えてきたのに今の日本は1つ間違えば崩壊しそうだ。
ここに「昭和レトロ語辞典」がある。講談社発行、清野恵美子著書だが現在書店で発売されている。私が気になってみようと思ったところは32年から40年ぐらいまでである。中学から高校そして社会人、私の思春期から青春時代に流行していた言葉、これを「レトロ語」として紹介されている。
こんな言葉の数々に帯に書いてあるとおり「日本が若かったあの頃」になっている。
テレビドラマ「華麗なる一族」のドラマを見ていると日本の国が発展途上国で韓国はまだまだGMPが伸びない。韓日国交正常化前後だった韓国はまだまだ険しい国づくりだった。
韓国に留学した在日韓国人女性が日本に戻ってくると当時といっても、1970年の始めだが日本で美味しいインスタントコーヒが一般家庭に出回るようになった。これを日本でたくさん買いこんでもっていき喫茶店でコーヒーにして出したと言う話もきいている。
北朝鮮は祖国から学費も送ってくるという。奨学金給付で朝鮮高校に行った同胞がたくさんいた。当時は活気があって韓国系の団体はおされ気味だったが日本で生活していく在日韓国人として経済構築に励み韓国の祖国発展に見えない寄与をたくさんしてきた。
時の指導者たちはその寄与を無駄にしないで国家建設に邁進した。このことを現在の韓国現地の人は忘れてはならない。
片や指導者の政策の失敗で国民は貧しく路頭に迷っている。
どれほどの在日朝鮮人の寄与があったかもしれない。
この指導者のあり方で分断国家の経済は格差がついた。
今韓国の山々は緑青くこんもりと茂っている。
これも時の指導者の政策だった。
動乱で禿山になった山々の植樹運動を展開して木々の伐採を禁じた。
4月の植樹祭になると在日韓国人は植樹祭を挟んで韓国旅行や研修会を行なった。そして山々の植樹に参加した。1本1本植樹をした。こんなことはおそらく日本人も知らないだろう。
現在美しくなった韓国の景色、もちろん地域の人たちの「セマウル運動」を通して国家建設に励んできたが在日韓国人の1世たちもセマウル運動に協力してきたこともつけ加えたい。
廃墟になった我が故郷、故郷を思う気持ちは国づくりに駆り立てた。
道を作り学校もたてた。生活の基盤の構築に寄与した。
こんなことをしらないで現在の日本人は韓流に韓国で騒いでいる光景をみると私は不快感になってしまう。
1世は日本で税金を納め韓国にも寄与した。そして子どもたちにも教育をつけた。1世は自分がのまず食わずしながら祖国の発展、日本の経済構築に尽力してきた。現在の日本の経済、10分の1は在日同胞からの税収であることを日本人は知ってもらいたい。
だから日本と同等の待遇を求めているのは当然である。
「華麗なる一族」のドラマに1世たちの苦労、そしてそんな親の姿を見てきた2世は韓国の国家が発展することを願い同世代が北朝鮮に帰国していった同胞の行方や安否が気にかかる。3世は日本の公教育を受けた親のような中途半端に生き方はしたくない。日本人気質に近くなった3世や4世は日本国籍をとり日本人と結婚していく。
しかしである。韓国人の血が流れていることを忘れはならない。
日本国籍をとってもいつでもどこでも自分のルーツを話せる度量のある人間になってもらいたい。
私は口がすっぱくなるほど息子に言って聞かせてきた。
いつどこにいても自分の出自を隠さないように生きることと言ってきたが日本国籍になり日本人のヨメになり少しずつ何かが変わっている。
日本人だから偉くない。韓国人だから偉くない。民族には差別がない。同等だということを知って孫にはルーツの教育をきちんとしなければならない。
こ育てのつけはあとからまわってくる。
私の子育ての失敗は「沖縄の大学に行かせたこと。関西の大学に編入試験を受けたいといったときおもきって編入試験をうけさせばよかった」と後悔している。
もしこのまま中途退学したらどうしょうという心配がつきまとった。またじっくり考える余裕もないほど生活に追われていた。
高校卒業するまで私は人に迷惑をかけない子育てをしたと自分なりに自負心があったが結婚して蓋を開けてみると私は口がすっぱくなるほど言い聞かせてきた言葉とは反対に歩いている。
息子がかわいいから私はいいたい。
「人生に逆らうと必ずしっぺがえしがある」と。
ありのままの自分を受け止めて生きていくことがこの世にうまれて生かされていると思うことができる。
生かされていることは回りの万物に感謝をする心が自然に生まれてくる。
こんなことも奈良にいるときは何度も何度も言い聞かせてきたがそれは馬の耳に念仏だったのだろうか。
「華麗なる一族」のドラマから当時の企業戦士を思い出し私の父親も日本の会社で企業戦士として日夜働いた記憶がよみがえってきた。そして在日同胞の1世たちは縁あって日本にきたがここで骨をうずめる覚悟で経済構築に邁進した。少なくとも日本経済発展の1部は加担している。
こんなことを思うと1世の親から生まれ2世の親から生まれた3・4世たち、国際結婚してもその子どもにはルーツの血が流れていることを認識してもらいたい。
私は息子に言った。
「上の子供が物心ついたら家族全員で韓国旅行をしよう」と言ったら息子は「えっ」と驚き、なんでそんなことを言っているのという顔つきをしていた。
こんなことからも逃れたい息子の表情はわかった。
しかし今は離れているから小学生になれば韓国に孫をつれていこうと思っていたがこんな親の心も見透かされてしまったのか。
アホ息子夫婦から受けたものはまだ心の傷になっている。
たいていのことは親子だからと思って母親は暗黙の了解で済ませてきた。
しかし今度はそんなことはできない。
私の個人のプライドより民族のプライドがある。
「在日韓国人で何が悪いの」
この言葉も息子にたえずいいきかせて育ててきたがいつのまにか日本人になろうとしている。
許せるものと許せないものがある。水がぬるみ流れ出している。
でも私の心はまだすさんだままで流れる気配がない。
日本国籍をとるのに昔と違って大分緩和されたときいているがやはり裏には何かがあると思っている。
そして在日韓国人を理解して結婚したにもかかわらず日本人の心の中にはまだまだ根底に差別事象があることがわかった。近くに住んでいれば根底の心を変えたいと思うが遠くにいるからそれもできない。
しかしまずそれよりアホ息子が親の気持ちや思いを察することである。
私の夫も「在日」から逃げないで「在日」ということに正面からみつめることで息子夫婦に的確なことが言えるだろう。
私1人もがいてあがいてもどうにもならない。けれど私の生き方はありのままだと思っている。これが今の私だと思っている。
40歳のとき「日本人のふりをして日本人の記事を書くのは嫌だ」と思った気持ちを決して忘れていない。「民族のほころび」を体験してありままの私で生きてきている。
だから「在日韓国人のどこが悪いの」と問いかけている。
明日は4時から鶴橋で仕事をするが夕方の診察に間に合えばそれにしようか。
月曜日の連載の写真はよくないとまた自己嫌悪になってしまう。江華歴史館だけ切り取って加工すればよかったのかまた悩んでしまう。
こんな写真を見るとソウルに行きたいけれど寒い韓国は懲りたので行かないようにしている。旅費は高くついても気候のいい日がいいのでそうすることにしている。風邪をひくと日本に戻ってきて寝込んでは皆に迷惑をかけてしまう。そして暑いのもこりた。人と会うのもおっくうになるので気候のいい日にすることにした。
日本では韓国語が出てこないのにソウルの町を歩き出すと簡単な会話がでてくる。もしここで長いことすめば私でも韓国語ができるかもしれないと思う。
けれど留学している余裕なんて私の家にはない。
日本で毎日勉強すればいいのにそんな時間もない。作ろうと思えば努力して作ればいいのにと自分でもわかっているのにいつもなんやかんやと言っている。
外は晴れているのに空気は寒そうである。
昨日ひさしぶりに「華麗なる一族」を見た。見たいと思いながらいつも何かをしていて見られない。昨日は昼間にバソコンでの作業を終えたのでひさしぶりに見た。裁判訴訟の場面、親子での戦いである。だからこの財閥が崩れていったのだろうか。収集した美術品や骨董品などが現在、展示されている美術品なのだろあうか。私が娘時代、財閥の崩壊を聞いたことがあった。
当時は金持ちの争いにはとうてい創造できない私だった。
しかしドラマを見ていると私の20歳代の世相がよく見えてくる。
まだまだ鉄鋼関係も発展途上国だったということが認識させられた。
当時、企業で働く第1線の企業マン、だから「企業戦士」という言葉が生まれたこともわかった。こうした困難、苦難を乗り越えてきたのに今の日本は1つ間違えば崩壊しそうだ。
ここに「昭和レトロ語辞典」がある。講談社発行、清野恵美子著書だが現在書店で発売されている。私が気になってみようと思ったところは32年から40年ぐらいまでである。中学から高校そして社会人、私の思春期から青春時代に流行していた言葉、これを「レトロ語」として紹介されている。
こんな言葉の数々に帯に書いてあるとおり「日本が若かったあの頃」になっている。
テレビドラマ「華麗なる一族」のドラマを見ていると日本の国が発展途上国で韓国はまだまだGMPが伸びない。韓日国交正常化前後だった韓国はまだまだ険しい国づくりだった。
韓国に留学した在日韓国人女性が日本に戻ってくると当時といっても、1970年の始めだが日本で美味しいインスタントコーヒが一般家庭に出回るようになった。これを日本でたくさん買いこんでもっていき喫茶店でコーヒーにして出したと言う話もきいている。
北朝鮮は祖国から学費も送ってくるという。奨学金給付で朝鮮高校に行った同胞がたくさんいた。当時は活気があって韓国系の団体はおされ気味だったが日本で生活していく在日韓国人として経済構築に励み韓国の祖国発展に見えない寄与をたくさんしてきた。
時の指導者たちはその寄与を無駄にしないで国家建設に邁進した。このことを現在の韓国現地の人は忘れてはならない。
片や指導者の政策の失敗で国民は貧しく路頭に迷っている。
どれほどの在日朝鮮人の寄与があったかもしれない。
この指導者のあり方で分断国家の経済は格差がついた。
今韓国の山々は緑青くこんもりと茂っている。
これも時の指導者の政策だった。
動乱で禿山になった山々の植樹運動を展開して木々の伐採を禁じた。
4月の植樹祭になると在日韓国人は植樹祭を挟んで韓国旅行や研修会を行なった。そして山々の植樹に参加した。1本1本植樹をした。こんなことはおそらく日本人も知らないだろう。
現在美しくなった韓国の景色、もちろん地域の人たちの「セマウル運動」を通して国家建設に励んできたが在日韓国人の1世たちもセマウル運動に協力してきたこともつけ加えたい。
廃墟になった我が故郷、故郷を思う気持ちは国づくりに駆り立てた。
道を作り学校もたてた。生活の基盤の構築に寄与した。
こんなことをしらないで現在の日本人は韓流に韓国で騒いでいる光景をみると私は不快感になってしまう。
1世は日本で税金を納め韓国にも寄与した。そして子どもたちにも教育をつけた。1世は自分がのまず食わずしながら祖国の発展、日本の経済構築に尽力してきた。現在の日本の経済、10分の1は在日同胞からの税収であることを日本人は知ってもらいたい。
だから日本と同等の待遇を求めているのは当然である。
「華麗なる一族」のドラマに1世たちの苦労、そしてそんな親の姿を見てきた2世は韓国の国家が発展することを願い同世代が北朝鮮に帰国していった同胞の行方や安否が気にかかる。3世は日本の公教育を受けた親のような中途半端に生き方はしたくない。日本人気質に近くなった3世や4世は日本国籍をとり日本人と結婚していく。
しかしである。韓国人の血が流れていることを忘れはならない。
日本国籍をとってもいつでもどこでも自分のルーツを話せる度量のある人間になってもらいたい。
私は口がすっぱくなるほど息子に言って聞かせてきた。
いつどこにいても自分の出自を隠さないように生きることと言ってきたが日本国籍になり日本人のヨメになり少しずつ何かが変わっている。
日本人だから偉くない。韓国人だから偉くない。民族には差別がない。同等だということを知って孫にはルーツの教育をきちんとしなければならない。
こ育てのつけはあとからまわってくる。
私の子育ての失敗は「沖縄の大学に行かせたこと。関西の大学に編入試験を受けたいといったときおもきって編入試験をうけさせばよかった」と後悔している。
もしこのまま中途退学したらどうしょうという心配がつきまとった。またじっくり考える余裕もないほど生活に追われていた。
高校卒業するまで私は人に迷惑をかけない子育てをしたと自分なりに自負心があったが結婚して蓋を開けてみると私は口がすっぱくなるほど言い聞かせてきた言葉とは反対に歩いている。
息子がかわいいから私はいいたい。
「人生に逆らうと必ずしっぺがえしがある」と。
ありのままの自分を受け止めて生きていくことがこの世にうまれて生かされていると思うことができる。
生かされていることは回りの万物に感謝をする心が自然に生まれてくる。
こんなことも奈良にいるときは何度も何度も言い聞かせてきたがそれは馬の耳に念仏だったのだろうか。
「華麗なる一族」のドラマから当時の企業戦士を思い出し私の父親も日本の会社で企業戦士として日夜働いた記憶がよみがえってきた。そして在日同胞の1世たちは縁あって日本にきたがここで骨をうずめる覚悟で経済構築に邁進した。少なくとも日本経済発展の1部は加担している。
こんなことを思うと1世の親から生まれ2世の親から生まれた3・4世たち、国際結婚してもその子どもにはルーツの血が流れていることを認識してもらいたい。
私は息子に言った。
「上の子供が物心ついたら家族全員で韓国旅行をしよう」と言ったら息子は「えっ」と驚き、なんでそんなことを言っているのという顔つきをしていた。
こんなことからも逃れたい息子の表情はわかった。
しかし今は離れているから小学生になれば韓国に孫をつれていこうと思っていたがこんな親の心も見透かされてしまったのか。
アホ息子夫婦から受けたものはまだ心の傷になっている。
たいていのことは親子だからと思って母親は暗黙の了解で済ませてきた。
しかし今度はそんなことはできない。
私の個人のプライドより民族のプライドがある。
「在日韓国人で何が悪いの」
この言葉も息子にたえずいいきかせて育ててきたがいつのまにか日本人になろうとしている。
許せるものと許せないものがある。水がぬるみ流れ出している。
でも私の心はまだすさんだままで流れる気配がない。
日本国籍をとるのに昔と違って大分緩和されたときいているがやはり裏には何かがあると思っている。
そして在日韓国人を理解して結婚したにもかかわらず日本人の心の中にはまだまだ根底に差別事象があることがわかった。近くに住んでいれば根底の心を変えたいと思うが遠くにいるからそれもできない。
しかしまずそれよりアホ息子が親の気持ちや思いを察することである。
私の夫も「在日」から逃げないで「在日」ということに正面からみつめることで息子夫婦に的確なことが言えるだろう。
私1人もがいてあがいてもどうにもならない。けれど私の生き方はありのままだと思っている。これが今の私だと思っている。
40歳のとき「日本人のふりをして日本人の記事を書くのは嫌だ」と思った気持ちを決して忘れていない。「民族のほころび」を体験してありままの私で生きてきている。
だから「在日韓国人のどこが悪いの」と問いかけている。
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