アジアフォーカス・福岡国際映画祭で上映されたインド映画『彷徨のゆくえ』(2016/パンジャービー語/英題:The Fourth Direciton/原題:Chauthi Koot)は、緊張感に満ちた作品でした。舞台は、1980年代のインド、パンジャーブ州。この時と場所に関しては、映画の中にテロップで「Punjab in the 1980s」と出て来ます。ですが、映画を見ていると、ラジオのニュース等々でこれが1984年の出来事であることがわかってきます。
実は、上映時には2箇所のテロップが削られた形の上映素材が使われたのですが、これは送り出す側が間違って古いヴァージョンの映像を送ってしまったのだ、と監督から聞きました。最初に字幕用素材としてやってきた映像には、まず冒頭に下のようなテロップが出たのです。実際に画面に出て来た英語の文章と、それに付けるはずだった字幕を書いておきます(字幕ですので、全訳ではありません)。
In the 1980s East Punjab was caught in a violence created by the State and Sikh militants demanding autonomy. It reached its peak in 1984 when the Indian army stormed the Golden Temple in Amritsar and with, some months later, the assasination of Indira Gandhi by her Sikh body guards and the subsequent Sikh massacres in many parts of India.
”80年代シク教徒の自治要求闘争が激化し 84年には政府軍が黄金寺院を攻撃した
数ヶ月後 首相がシク教徒に暗殺され 報復のシク教徒虐殺が多発した”
これがあるとないとでは、映画に対する理解がだいぶ違っていたのではと思います。今回の上映では、それを聞いた監督が情報を補うために、上映前の舞台挨拶でかなり長く背景説明を語りました。でも、聞いている観客はまったく馴染みのない出来事ばかりだったので、「?」の部分が多かったのでは、と思います。シク教徒の苦難の歴史は、一部が『ミルカ』(2013)などで描かれていますが、この1980年代の事件に関しては、インドでも映画になっている作品は『マルガリータで乾杯を!』(2014)のショナリ・ボース監督による『Amu(アムー)』(2005)ぐらいで、非常に少ないのです。
シク教はインド特有の宗教で、グル・ナーナク(1469~1538)によって始められ、戒律で男性も髪を切らないことから、長髪をまとめてその上からターバンを巻く姿で知られています。髭にもカミソリを当てない人が多く、シク教徒の男性は「ターバンと髭」によって外見が特徴付けられる、と言ってもいいでしょう。西北インドのパンジャーブ州に多く住み、主として農業に従事していますが、商人として海外に進出したりしている人も多く、比較的裕福な暮らしをしています。『彷徨のゆくえ』の主人公とも言うべきジョーギンダル(上写真左)とその叔父(右)も、広い農地を持ち、水牛や山羊、鶏など家畜もたくさん所有している自作農です。
しかし、シク教徒たちは、インド・パキスタン分離独立の時にパンジャーブ州がインド側とパキスタン側とに分断されて辛酸をなめたことや、それに対するインド政府のその後の対応が不十分なこと、また、豊かなパンジャーブ州が貧しい他地域に食糧を供給しているにもかかわらず、それが正当に評価されていないことに対する不満などから、次第に自治要求を拡大していきます。やがて、シク教徒の独立国家「カーリスターン(シク教徒の同胞集団”カールサー”の国、という意味)」樹立が叫ばれるようになり、過激な思想を持つビンドランワーレーという指導者が登場すると、彼に共感する人が多くなっていきます。政府の弾圧に対してビンドランワーレーはシク教の総本山であるアムリトサルの黄金寺院を占拠し、立てこもりました。それに対して政府軍が行った制圧作戦は「ブルースター作戦」と呼ばれ、1984年6月1日に作戦を開始して3日に黄金寺院に突入した政府軍は、多くの犠牲を出す形(一説では、政府軍の犠牲者5,000名、一般人も含むシク教徒側の犠牲者は20,000名とも言われます)で寺院を”解放”します。この時作戦の実行を命じた首相は、インディラー・ガーンディーでした。
『彷徨のゆくえ』では、この「ブルースター作戦」が、BBCラジオのニュースで伝えられているシーンが出てきます。その後に、シク教徒たちが自然発生的に行進を始め、主人公たちもそれに身を投じるシーンがありますが、そのデモ隊はすぐに警官によって解散させられてしまいます。主人公一家はそれまでだんだん緊迫していく情勢の中で、シク教徒軍団の兵士から、「飼っている犬を殺せ。我々が訪ねて行く時に鳴かれては政府軍に我々の存在が知られてしまう」と言われたりしても承服しかねる風だったのですが、その直後に政府軍からシク教徒軍団との関係を疑われて痛めつけられたこともあって、ブルースター作戦への憤りでデモに加わっていきます。
ところがこのあと1984年10月31日、インディラー・ガーンディー首相は首相官邸の庭で、2名のシク教徒ボディーガードの銃撃で暗殺されます。このニュースが流れると、たちまちデリーを中心にシク教徒への報復行為が始まり、シク教徒と見れば襲って殺すという虐殺が各地で次々と起きます。『彷徨のゆくえ』の冒頭部とラストは、何とか列車に乗ってアムリトサルに行こうとするヒンドゥー教徒2人(上写真左端)とシク教徒の中年男(右端)、そしてシク教徒青年2人(その左側)が登場しますが、この部分はインディラー・ガーンディー首相暗殺後の出来事となっています。冒頭部からジョーギンダル一家の話へと移るところで、本当は「A few months earlier(数ヶ月前)」とテロップが出るはずだったのですが、それも今回の上映素材では落とされていたため、観客の皆さんには本当にわかりにくかったと思います。
この列車のパートと、それから遡ること数ヶ月前の農村のパートを繋ぐのは、上の写真左から2人目のヒンドゥー教徒で、彼が農村にある嫁の実家に里帰りしようとしたところ道に迷ってしまい、畑の中にあったジョーギンダルの家に助けを求めてジョーギンダルが道案内する、というのが導入部になっています。その後はヒンドゥー教徒の男は一切登場せず、ジョーギンダルの家(と彼が出かけていく村の中心部)だけでお話が進行しますが、そこで名演技を見せるのが犬のトミー。犬の本能で、不審者が来るとつい吠えてしまうトミーですが、それがやがてこの賢い犬に厄災を運んできてしまいます....。
インディラー・ガーンディー首相暗殺直後のパンジャーブの様子や、「ブルースター作戦」直前の張り詰めた空気から、作戦がシク教徒たちの心を激しくかき乱して大規模なデモを発生させる高揚感まで、あの当時の映像を見ているのかと思うようなリアルな空気の再現は、グルヴィンダル・シング監督の手腕が並々ならぬものであることを感じさせます。それと共に、パンジャーブの豊かな風景がみずみずしく捉えられており、雨季の黒雲の広がる畑や、雨の訪れにしっとりと濡れる中庭など、緊迫した物語の間に差し挟まれる風景描写が眼を和ませてくれます。それにしても、グルヴィンダル・シング監督はなぜ32年経った今、この物語(原作はパンジャービー語作家ワリヤーム・シング・サンドゥーの短編小説「Chauti Koot(第4の方角)」と「Hun Main Theek-Thaak Haan(私は大丈夫だ)」)を映画化したのでしょうか。そのあたりを聞いてみたくて、グルヴィンダル・シング監督へのインタビューを申し込みました。それをご紹介する前に、予告編をどうぞ。
CHAUTHI KOOT | Releasing 5th August | Official Trailer | Award Winning Punjabi Movie
(つづく)