相変わらず、原稿の締め切りやらレジュメ作り、そしてあれこれの校正に追われる日々。この校正がくせもので、年を取ると共に記憶力、視力が衰え、見逃しが多くなったりして焦っています。先日も旅行好きの年若い友人から、「『地球の歩き方:インド』最新刊をさっそく読みました!(中略)が、”モーハンラール”と”ヴィジャイ”が逆でしたね」という手紙をもらい、え、えええ――!となってしまいました。確認したら、ほんとだ、逆になっている、と思わずトホホの冷や汗三斗。これです。
ここは、初稿の時、並べ方を変えてもらったかして、それでキャプションも©が揃うようにしたつもりだったのですが、それがうまく伝わらなかったようですみません。下段右端がヴィジャイで、その左がモーハンラールですね。ヴィジャイとモーハンラールのファンの方、本当にごめんなさい! お詫びの意味で、2人の写真を元のサイズで付けておきます。
ヴィジャイ©Filmnews Anandan
モーハンラール©R.T.Chawla
「若い!」と思ってしまうでしょ? そう、20年数年前の写真なんです。2000年前後にインドで、チェンナイでは有名なフィルムニューズ・アーナンダンさんから写真を提供してもらい、ムンバイでは2人のボリウッド御用達カメラマンから結構たくさんスターやら歌手、監督、作曲家等々の写真を買ったのですが、その時手に入れたものです。それ以降はつてがなくなり、また肖像権も厳しくなったことから、新しい写真は映画のソフト紹介と引き換えに日本の配給さんから提供を受けるしか方法がなくなったので、こんな古い写真を使ったのでした。誌面が小さい「地球の歩き方:インド」では、とてもソフト紹介ができるスペースがないですからね。もちろん、お金を出せばゲッティとか他のエージェンシーから写真はいろいろ買えるのですが、「地球の歩き方」の編集費ではとても無理。「MOVIE STAR」誌などがそういう写真を使っているのを見ると、うらやましいなあ、と思います。おっと話がそれましたが、とりあえず校正漏れのお詫びと訂正、ということでお許し下さい。
©R.T.Chawla
で、以上は前座で、本番は上の人、”タイガー”ことサルマーン・カーン(以下サルマーン)の話です。『PATHAAN/パターン』(2023)の中で出てくるタイガーは本当にカッコよくて貫禄十分、最初パターンを助けにやってきた時の格好はツッコミどころも十分なのですが(あんたはウーバーイーツか!?)、ここの一連のシーンはパターンをおさえて、タイガーの貫禄勝ちといった格好です。シャー・ルク・カーン(以下シャー・ルク)の若々しい声に比べると、サルマーンの声は明らかにバリトンで、ズシンと心に響きます。サルマーンは1965年12月27日生まれ。シャー・ルクよりも2ヶ月ほど遅く、同年誕生の3人のカーンの中では一番年下です。父親は、1971年にジャーヴェード・アクタルと組んで『Andaaz(スタイル)』の脚本家デュオとしてデビューして以降、特にアミターブ・バッチャン主演作『Zanjeer(鎖)』(1972)、『Deewar(壁)』(1975)、そして『炎』(1975)で超人気脚本家となったサリーム・カーンです。サルマーンには弟が2人おり、次男のアルバーズは俳優やプロデューサー、三男のソーヘィルは俳優兼監督としても実績を積んでいますが、サルマーンが自分の映画会社を作って以降は、兄の補佐役という感じでもっぱら製作にまわり、サルマーン・カーン・フィルムズ(SKF)を支えています。下写真、左がアルバーズ、右がソーヘィルで、アルバーズの元妻はアイテム・ガールとして有名なマライカー・アローラーです。シャー・ルクと『ディル・セ 心から』(1998)で、列車の上で♫チャイヤ・チャイヤ♫と踊ったお姉さんですね。あと、養女ですが妹が一番下にいます。
Photo by R.T. Chawla
サルマーンは1988年に『Biwi Ho To Aisi(奥さんならこんな人)』でデビューしますが、人気が爆発したのは翌年公開の第2作『Maine Pyar Kiya(私は愛を知った)』(1989)から。この映画は当時超のつく大ヒットとなり、公開時のエピソードを数々残しています。例えば、劇中で主人公の誕生日を祝うシーンがあるのですが、映画館では客が大きなバースデーケーキを持ち込んで、そのシーンになるとみんなに一口ずつケーキをふるまったとか、挿入歌「鳩よ、飛んで行って」のシーンでは、鳩を持ち込んでいた観客が場内に放って大騒ぎになったとか、この歌のシーンがあまりにも人気だったので、観客が「もういっぺん見せろ!」「巻き戻せ!」と騒ぎ出し、映画館側も映写機を止めて巻き戻して、その歌のシーンから再開したとか、すぐ思い出せるだけでもこんなに逸話が残っています。サルマーンの相手役はバーギャシュリーで、この映画とあと2、3本だけでいったん結婚引退したのですが、後日カムバックし、おまけに息子のアビマニュ・ダサーニーも俳優としてデビューして『燃えよスーリヤ!!』(2018)で注目されるなど、『Maine Pyar Kiya』の因縁というか余波はどこまでも続くのでした。余談ながら、『燃えよスーリヤ!!』の原題「Mard Ko Dard Nahi Hota」は、『PATHAAN/パターン』の中でもギャグとして使われています。下は因縁の元、『Maine Pyar Kiya』のシーンです。
この画像は、実は30数年前に製作会社ラージャシュリーの方からワンセットいただいたものの中の1枚です。なぜもらえたのか、は長くなるのでまた今度にしますが、サルマーンはこの映画がヒットしたことで、以後「ラージャシュリー作品の顔」的存在になります。と言うのも、老舗映画会社ラージャシュリーは、この頃経営がかなり苦しくなり、起死回生の1策として、創業者の孫にあたるスーラジ・バリジャーツヤーに監督デビューさせて、社運を賭けて撮ったのが『Maine Pyar Kiya』だったのです。そして見事に大ヒットとなったのですが、このあたり、シャー・ルク主演の『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』(2007)でパロられています。それはさておき、次にヒットとなったのが、1991年の『サージャン 愛しい人』です。日本ではNHKが放映してくれたので、こうして邦題でご紹介できるのですが、その後『めぐり逢わせのお弁当』(2013)にも主題歌などが出てきたため、それで『サージャン』をご存じの方も多いと思います。『K.G.F:CHAPTER 2』(2022)のアディーラ役サンジャイ・ダットとマードゥリー・ディークシトとの共演で、サルマーンは最後に恋を譲るいい人役でした。
続いて、ラージャシュリー社作品で、やはりスーラジ・バリジャーツヤー監督作で撮ったのが『Hum Aap Ke Hain Koun...!(私はあなたの何!)』(1994)で、これがまたまたスーパーヒット。相手役は『サージャン』で共演したマードゥリー・ディークシトで、それぞれの兄と姉が結婚したことから親戚になったものの、紆余曲折を経て結ばれる2人を演じました。当時はどの映画も2時間40分~50分が普通と、今のインド映画よりも長尺だったのですが、この映画は何と!199分=3時間19分!! 従って興行も大変と見られていたものの、「結婚式記録ビデオ映画」とか悪口も言われながら、結婚を巡るインドの伝統儀式てんこ盛りの本作にハマる人が続出、毎回満員のままロングランが続くという異例の興行になりました。どうということのないストーリーなのですが、インド人の心のツボを押しまくった作品で、再びサルマーンはラージャシュリー社に大貢献したのです。
その後もサルマーンはヒット作を連発、その中にはシャー・ルクとの共演作『カランとアルジュン』(1995)もあります。名前からは「マハーバーラタ」のカルナとアルジュンを連想させますが、2人は兄弟で悪徳地主に殺され、のちに輪廻転生する、という役どころです。母親を演じたラーキーや、シャー・ルクの相手役カージョルなどもパワフルな演技を見せ、これも大ヒット。日本では国際交流基金映画祭1998で上映されましたが、シャー・ルクも魅力的な作品なので、どこかが再上映して下さらないかしら、と思っています。監督はリティク・ローシャンの父、ラーケーシュ・ローシャンでした。シャー・ルクとサルマーンは、結構お互いの作品にカメオ出演しているのですが、正式な共演は『カランとアルジュン』だけです。ただ、カラン・ジョーハル監督作『何かが起きてる』(1998)は、サルマーンのゲスト出演時間が長いので、準共演と言ってもいいかも知れません。
とまあ、1990年代次々とヒットをだしたサルマーンでしたが、日本でも公開されたサンジャイ・リーラー・バンサーリー監督作『ミモラ 心のままに』(1999)のヒットの後、数々のトラブルが持ち上がります。サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督は自身の監督デビュー作『Khamoshi: The Musical(沈黙のミュージカル)』(1996)で、主演マニーシャー・コイララの相手役としてサルマーンを起用、演技が気に入ったようで次作『ミモラ』でも彼をキャスティングしたのでした。『ミモラ』の主演はアイシュワリヤー・ラーイで、サルマーンは彼女の父親のもとにインドの伝統音楽を学びに来る、インド=イタリアのハーフの青年役。2人の恋は伝統を重んじる父親と一族から忌避され、アイシュワリヤー・ラーイはアジャイ・デーウガン演じる若手弁護士と無理矢理結婚させられるのですが、イタリアまでサルマーンを追いかけていった時に、夫の本当の愛情に気づく、という物語です。というわけでサルマーンは、ちょっとビミョーな役どころでしたが、美しく楽しい見せ場はみんなアイシュワリヤー・ラーイとサルマーンが形成し、映画を麗しく作り上げたのでした。
ところが、この映画の次に出演したラージャシュリー社作品『Hum Saath Saath Hain(私たちはいつも一緒)』(1999)から、サルマーンの運命が暗転します。…と、だいぶ長くなったので、タイガーの身上調書は続きをまたのちほど、ということで一時インターバルです。最後に、『PATHAAN/パターン』でのタイガーの勇姿を付けておきますね。映画の公式サイトも整備されてきましたので、そちらもぜひご訪問下さい。
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「まだ、俺のことを暴露すんの?!」と言っているようなタイガーさんですが、過去の汚点を乗り越えてこそ今日があるんです。耐えましょうね(笑)。