昨年の東京国際映画(TIFF)で上映されたシンガポール、タイの国際共同製作映画『ポップ・アイ』が、いよいよ今夏公開となります。昨年のTIFFでは、例年国際交流基金アジアセンターが主催する「Crosscut Asia」のプログラムで、「ネクスト!東南アジア」と銘打ってちょっと面白い試みがなされました。東南アジアですでに名声を確立している監督たちが、TIFFのプログラミング・ディレクター石坂健治さんと共に、若い監督たちの作品をそれぞれ推薦する、という形でプログラムが組まれたのです。その中で、シンガポールのエリック・クー監督が推薦したのがこの『ポップ・アイ』で、撮影はすべてタイで行われ、出演者も全部タイ人なのですが、監督がシンガポール人のカーステン・タン。というわけで、ナンプラー風味のミーポックというか、ジンジャーソース風味のセンレックというか、ちょっとユニークな映画ができあがりました。まずは、データからどうぞ。
『ポップ・アイ』 公式サイト
2017年/シンガポール・タイ/タイ語/102分/原題:Pop Aye
監督:カーステン・タン
主演:ポン、タネート・ワラークンヌクロ、ペンパック・シリクン、チャイワット・カムディ、ユコントーン・スックキッジャー、ナロン・ポンパープ
配給:トレノバ
※8月18日(土)よりユーロスペースほか全国順次ロードショー
©2017 Giraffe Pictures Pte Ltd, E&W Films, and A Girl And A Gun. All rights reserved.
物語の始まりは、あるテレビ番組。ガーデニア・スクエアという大きなビルが老朽化に伴って壊される、という報道をめぐり、そのビルを設計したタナー(タネート・ワラークンヌクロ)と彼の勤める建設会社の若いボスらが出演してコメントしています。ビルと自分の行く末がオーバーラップし、言う言葉も見当たらない中年の設計技師タナー。ボスはタナーの仕事をすでに時代遅れと見ていて、新しいプロジェクトからもはずす意向をあからさまにするのでした。落ち込んだタナーは、ある時バンコクの街を車で走っていて、1頭の象を見かけます。「あれは幼い時に村で飼っていた僕の象、ポパイだ!」奇跡のような出会いに心を揺さぶられたタナーは、衝動的に象使いからその象を買い取ってしまいました。しかし、家に連れて帰るのだけでもホント大変でしたし、やっとのことで家の庭に入れたと思ったら、夜中にポパイは家の中に侵入し、妻に金切り声をあげさせてしまいます。仕事も家庭もイヤになったタナーは、ポパイと共に故郷の村に帰ろうと、アスファルト道路を歩き始めます。
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そこからはロードムービーとなり、タナーとポパイは道々いろんな人と出会っていきます。中でも深く印象に残るのが、昔愛した人を忘れられないホームレスの中年男。うち捨てられたガソリンスタンドに住むこの仙人のような男のエピソードは、終盤近くまで続いていき、思いがけない方向へと転がっていきます。また、「野良象がいる!」と驚いた田舎の警官2人組も登場しますが、誤解が解けて彼らがタナーを連れて入っていったのが、国道沿いにあるローカル色いっぱいのレストラン。そこにはカラオケもあって、きれいなお姉さんたちが唄い踊っては男性を誘っている真っ最中。一方、レストランの常連客にはカトゥーイ(ニューハーフ)もいて、彼(彼女?)もまた、お相手を見つけるために店のバーに陣取っているのでした。こういう人たちとの出会いを重ねながら、タナーとポパイは故郷の村に着き、タナーのおじさんと対面します...。
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こんな風に、特段大事件が起きるわけでもないのですが、ヒッチハイクというか徒歩旅行をしているのが中年のリーマン風の男、そしてその道連れが大きな象、というだけで十分事件になってしまいます。バンコクでもたまーに象を見かけるのですが、ちゃんと象使いの人がそれらしい服装をしてつき従っていますからね。白いYシャツ姿の象使いらしくない男と一緒では、警官に不審がられても仕方がありません。そんな世間の目も引きずりながら、時には途中で水浴びをしたりしながら、タナーとポパイはトコトコと、あるいはダラダラと歩き続けていきます。バンコクからイサーン(東北タイ)のどこかへ、だと思うのですが、500キロの道のりなんて、一体何日かかるのでしょう?
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こんなストーリーを考えたカーステン・タン監督は、シンガポール生まれで、中国名は陳敬音。シンガポール国立大を卒業後、義安理工学院(ニーアン・ポリテクニック)で映画制作を学んだという才媛です。2本の短編を撮ったあと、韓国とタイでしばらく暮らし、それからアメリカに渡ってニューヨーク大学で映画制作の修士号を取得しました。プレスにあった監督の言によると、バンコクに住んでいたのは20代前半の頃、とのことなので10年ほど前でしょうか、友人とTシャツショップをやって稼ぎながら、タイのあちこちを回って旅をし、時には撮影もしていたのだとか。その時の記憶がよみがえり、この象と中年男の物語が生まれたようです。
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この物語がとても魅力的なのは、象と共に自由な世界へ歩んでいく人間、というシチュエーションによるものでしょう。さらに、監督の脚本力、演出力もさることながら、キャスティングされたポパイ役の象のポン、そしてタナー役のタネート・ワラークンヌクロの名演技も、物語に弾みを付けています。プレスにある監督インタビューによると、ポパイ役の象を見つけるために、監督らスタッフは100頭ぐらいの象を訪ね歩いたのだとか。ポンは「儀式象」とでも呼べばいいのでしょうか、お寺の開眼式やお店の開店セレモニーの時にきれいな布を掛けてもらったりして登場し、花を添えるのを仕事にしていたようです。とても賢い象のようで、演技もなかなかのもの。足を怪我したり、鎖につながれたり、タナーの家に侵入したりと、演技力を必要とされる場面もしっかりとこなしています。目にも目力があり、ちょうど今年の6月初めに見たインド映画『あるがままに』(2013)でもやはり象が重要なキャストとして登場したため、つい両方の象さんを比べてしまったりしました。
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タナー役のタネート・ワラークンヌクロは、映画出演はこれが初めて。元々は人気ミュージシャンだったらしいのですが、1983年にDJとしてデビューしたあと1985年には初アルバムをリリース、さらにプログレッシブ・ロックから大衆化路線に移行し、グラミーから出した1992年の4枚目のアルバムは大ヒットとなったのだとか。その後自分のレーベルを作ったりしますが、2006年に引退状態となり、2015年に再登場するまで世間からすっかり姿を隠していたようです。最後のアルバムを出してから23年後に5枚目のアルバムを出して復活、映画にも出演したというわけなのでした。しかし、本作のタナーからは、「ロッケンロール!」な雰囲気はみじんも感じられず、くたびれた中年のおじさん臭がふんぷんと漂ってくるばかり。ですが、この「中年のおじさん臭」が今のタイ映画には不足していたようで、このあとにご紹介するタイ映画『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』(2017)にも、ヒロインのリンのお父さん役として起用されています。
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本作ですが、最初に言ったようなナンプラー風味のミーポックか、ジンジャーソース風味のセンレックか、というハイブリッド感がふとした時に漂って、なかなか興味深いです。私の勝手な解釈かも知れないのですが、シンガポール人が見たタイ、のようなまなざしが感じられるシーンがあって、そこでその描写が必要なの?、と疑問に思うシーンも。あいまいな書き方になりましたが、ほんの小さなシーンなので、お気になさらずぜひご覧になってみて下さい。最後にもちょっと予測を裏切る展開がある、とっても面白い作品です。予告編を付けておきますので、大きなスクリーンでぜひどうぞ。
映画『ポップ・アイ』予告編