インド映画のアカデミー国際長編映画賞代表作『エンドロールのつづき』が、いよいよ今週金曜日、1月20日から日本でも公開となります。それに先だって、配給会社さんから美麗なパンフレットが届きました。書いたエッセイを載せていただいたので頂戴したのですが、中身の充実ぶりがすごいです!
「Introduction」「Story」「Director Interview」「Cast」あたりまでは他の映画パンフと同じなのですが、その後に「a Samay film: First Film Show」というこの映画の英語原題「Last Film Show」にひっかけたパートがあって、「作品解説」「サマイ監督コメント」「サマイ監督の映画ができるまで」と、パンフ中のパンフといった趣の内容が続きます。そしてちょうど中間のページには、「映写技師ファザルの映画講義」と銘打った『エンドロールのつづき』中に登場するギャラクシー座映写技師ファザルさんの講義が載せられています。いやー、これは圧巻です。そこをちょっとカメラ撮りさせていただいので、ほんの一部ですが見ていただきましょう。
パンフの背後に置いてあるのは本作チラシの裏面と、このページの次のページ「サマイ監督と映写機を作ろう」(by 東京工大助教・山崎詩郎)をよりよく理解するために私が探し出したこちらのサイトの、映写機内構造図です。この図の真ん中にある回転シャッターが、映写のキモだったとは。サマイがこれをどこから手に入れてくるか、詳しくは映画をご覧になってみて下さいね。パンフはさらに続き、「コラム:フィルム映画館に聞いてみた【ギンレイホール】」、「グジャラートの歩き方」(by 有明高専教授・山口英一)、「フィルムが体現する変化の時代」(by cinetama)、「料理上手な母さんの魔法のレシピ」、「Staff Interviw」「Staff」そして最後のクレジットとなります。これで880円とは安い! きれいで充実したパンフなので、早くなくなることも考えられますから、お求めはお早めに。
このパンフレットの中ページ下段には、パン・ナリン監督が「道を照らしてくれた人々に感謝を込めて」として、インドを始め世界中の映画人の名を挙げてオマージュを捧げています。インド人のリストは次の通りです。
マンモーハン・デサイ、アミターブ・バッチャン、アーミル・カーン、シャー・ルク・カーン、サルマーン・カーン、スーパースター・ラジニカーント、グル・ダット、カマール・アムローヒー、サタジット・レイ
ここではその補足として、顔写真と簡単な紹介、代表作を挙げておきます。なお、使った顔写真のほとんどは2000年にインドのカメラマンから買ったもので、従って撮られたのは1990年代のため、皆さんお若い顔になっていますがお許しを。写真のクレジットは、特に断らない限り「Photo by R.T. Chawla」となります。
マンモーハン・デサイ Manmohan Desai (1937.2.26-1994.3.1)
1957年監督デビュー。1975年の『炎』の大ヒットから巻き起こったマルチスター映画の波に乗り、1977年『Parvarish(養育)』を大ヒットさせてマルチスター映画ブームを牽引する。同作の主演アミターブ・バッチャンを軸に、2組ないし3組の男女ペアの人気スターを擁するマルチスター映画は、デサイ監督の『アマル・アクバル・アントニー』(1977)、『Suhaag(幸福な妻のしるし)』(1979)、『Naseeb(運命)』(1981)、『Coolie(クーリー)』(1983)等で頂点を極めた。
アミターブ・バッチャン Amitabh Bachchan (1942.10.11-)
高名な文学者の息子で1969年にデビュー、1973年の『Zanjeer(鎖)』で「怒れる若者たち」の代表と見なされ人気が出る。『炎』(1975)のスーパーヒットでトップスターとなり、以後マルチスター映画の中心的スターとなる。一時政界にも進出したが、任期半ばで金銭スキャンダルにより辞任。以後映画界で再び活躍する。21世紀以降は大物トップスターとして、主役から脇役まで様々な役をこなし、ハリウッド映画にも出演。『家族の四季 愛すれど遠く離れて』(2001)、『マダム・イン・ニューヨーク』(2012)等日本公開作も多い。
アーミル・カーン Aamir Khan (1965.3.14-)
子役から出発し、1984年にアート系作品に出演したあと、1988年の『Qayamat Se Qayamat Tak(破滅から破滅まで)』で人気沸騰。以後、トップスターとしてインド映画界に君臨している。『きっと、うまくいく』(2009)、『PK/ピーケイ』(2014)、『ダンガル きっと、つよくなる』(2016)等、日本公開作も多い。
シャー・ルク・カーン Shah Rukh Khan (1965.11.2-)
1992年デビュー。1993年『Darr(恐怖)』のアンチヒーロー役で人気が出、1995年の『DDLJ 勇者は花嫁を奪う』で人気沸騰。以後、「キング・オブ・ボリウッド」として、トップスターの地位を保つ。『ラジュー出世する』(1992)、『闇の帝王DON ベルリン強奪作戦』(2011)等日本公開作も多い。
サルマーン・カーン Salman Khan (1965.12.27-)
1988年にデビューしたあと、1989年の『Maine Pyar Kiya(私は愛を知った)』で人気沸騰。以後、トップスターとして庶民に絶大な人気を誇っている。父は『炎』の脚本家ペアの1人サリームで、弟2人も俳優や監督として映画界で仕事をしている。『ミモラ 心のままに』(1999)、『ダバング 大胆不敵』(2010)、『プレーム兄貴、王になる』(2015)等、日本公開作も多い。
ラジニカーント Rajinikanth (1950.12.12-) Photo by Filmnews Anandan
「スーパースター」と呼ばれる、タミル語映画界の大御所スター。1975年にデビュー、1980年前後にトップスターの地位に就き、以後ずっとその地位を守り続けている。日本では、『ムトゥ 踊るマハラジャ』(1995)が1998年に公開されてスーパーヒット、日本にインド映画が根付くきっかけを作った。その後もほぼ毎年主演作が日本でも公開されており、日本で最も知名度の高いインド映画スターとなっている。
グル・ダット Guru Dutt (1925.7.9-1964.10.10) 写真提供NFDC(インド)
ヒンディー語映画界で監督兼俳優として活躍。日本でも2001年に「グル・ダットの全貌」という特集上映が組まれたため、代表作である『渇き』(1957)、『紙の花』(1959)ほか、多くの作品がファンに知られている。
カマール・アムローヒー Kamal Amrohi (1918.1.17-1993.2.11)写真はWiki:Kamal Amrohiより
脚本家を経て、1949年ヒンディー語映画『Mahal(宮殿)』で監督デビュー。1952年、人気女優ミーナークマーリーと結婚。彼女を主演に、踊り子とその娘の二代にわたる恋物語を描いた『パーキーザ ― 心美しき人』(1972)の撮影を始めるが、途中で2人は離婚、完成までに11年を要した。ミーナークマーリーの肖像画は、『エンドロールのつづき』のギャラクシー座チケット売り場横に掲げられている。
※『パーキーザ ― 心美しき人』は2008年にエルメスによって、銀座にあるメゾンエルメス ル・ステュディオでの上映会で上映された。上はその時の案内葉書で、きちんとした日本語字幕も付いており、約3ヶ月間土曜日に2回だけビデオ上映する方式だったとはいえ、貴重な公開となった。
サタジット・レイ Satyajit Ray (1921.5.2-1992.4.23) 写真:1987年カルカッタ(現コルカタ)のインド国際映画祭にて。Photo by Tamaki MATSUOKA
『大地のうた』(1955)等で知られる、ベンガル語映画の巨匠。日本で一番有名なインド人監督と言える人で、『大地のうた』を始めとするオプー三部作やヒンディー語映画『チェスをする人』(1977)等、多くの作品が岩波ホールによって公開されている。
こんな顔ぶれの映画人たちによって磨かれたパン・ナリン監督の作品『エンドロールのつづき』、楽しみにしていて下さいね。映画の公式サイトはこちらです。