今日も3本の作品を見たのですが、ちょっと変則的な見方をしてしまいました。というのも3作目の作品『サイエンス・オブ・フィクションズ』を、前半は会場で見て、後半は自宅にいてオンラインで見たのです。実は私のいただいているパスは、「プレスパス」ではなくて「ゲストパス」という種類で、それには「オンラインライブラリー鑑賞」という項目が「OK」になっています。これは主として映画を買う配給会社の人や、他国の映画祭のために作品を選ぼうとしている人向けで、時間に縛られず自由に作品を見る便宜を提供するものです。毎年ゲストパスにはこの特典が付いていたのですが、昨年はなぜかその項目が「OK」になっておらず、今年また復活した、というわけなのでした。残念なのは、アップされている映像は英語字幕のみで日本語字幕がなく、少々理解度が落ちます。でも、なるべくたくさんの作品をご紹介するために、あと3日間はこのオンライン鑑賞も使ってレポートしたいと思います。
『Sisters』(画像はいずれも©2019 SAHAMONGKOLFILM INTERNATIONAL CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED)
2019年/タイ/タイ語/105分/原題:
監督:プラッチャヤー・ピンゲーオ
出演:プロイユコン・ロージャナカタンユー、ナンナパット・ルートナームチューサクン、ラッター・ポーガーム
ウィーナー(プロイユコン・ロージャナカタンユー)の母は漢方医で呪術師でもありました。母がそういう力を身につけたのは、母の妹スロイを守るためでした。スロイ叔母は妖怪ガスーに変身してしまう運命を持っていたのですが、ウィーナーの母おの陰で彼女を想う男性と結婚し、モーラー(ナンナパット・ルートナームチューサクン)という娘も授かったのでした。そして10数年後、母も叔母も命を落とし、今、ウィーナーはモーラーと姉妹のように暮らしながら、母がそうしたようにモーラーを守っています。ウィーナーの味方は叔父、つまりモーラーの父で、妻を亡くしたものの、何とか娘が妖怪ガスーとならぬよう、叔父はあれこれと研究を続けていたのでした。しかし高校生になったウィーナーとモーラーは、大人の体臭を発するようになり、妖怪ガスーの一味に気づかれてしまいます。自分がガスーとは知らされていないモーラーは、なぜウィーナーが自分に口うるさく注意するのか、なぜ薬を飲まないといけないのか等々、すべてが不満でした。そんな不満に付けいり、ガスーたちがモーラーを狙ってきます。叔父はウィーナーに、呪文を憶え、力を付けろと言うのですが....。
『マッハ!!!!!!!!』や『トムヤムクン』の監督、プラッチャヤー・ピンゲーオの作品、というので見に行ったのですが、出てくる妖怪ガスーが「首に内臓をぶら下げて飛び回る」と資料で説明されていて、半分ビビりながら見たのでした。確かに美女の首が胴体から離れたと思ったら、そのまま首から食道を始めとする内臓がズルズルと出てきて、それをぶら下げたままビューッと夜空を飛ぶのですから、かなりグロテスクです。下のポスターの真ん中に写っているのがそれで、美女もこうなっちゃおしまいね~、という感じでした。でも、恐怖感はあまりなく、怖いのはそれ以前に出てくる「娘を返して!」と叫ぶ女性幽霊の方で、出現が古典的ホラー・パターンなので、そこそこ恐怖心をあおられます。こういうホラー要素と、ウィーナー演じる妖怪ハンターの活躍というファンタジー要素の両方を盛り込んであるのですが、ウィーナーがまだ修行中なので、それほど目覚ましいシーンは出てこなくて不完全燃焼気味。途中でダウンしてしまう知恵袋の叔父の代わりに、もう1人強力な”道士さま”状態の人がほしかった、と思いました。
モーラーを演じたナンナパット・ルートナームチューサクンは、BNK48のメンバーのミューニックとのことですが、妖怪ガスー姿にさせられたり、理科の授業で解剖した○○○をなめさせられたりと、「えらい! よくがんばったねえ(涙)」状態でした。なお、ガスー(Krasue)については、こんな風に詳しく解説したブログもあり、タイでは有名な妖怪のようです。
『マニャニータ』(画像はいずれも©TEN17P Films (Black Cap Pictures, Inc.))
2019年/フィリピン/フィリピン語/143分/原題:Mañanita
監督:ポール・ソリアーノ
出演:ベラ・パディーリャ、ロニー・ラザロ
初めてコンペ作品が見られました。冒頭、遠く離れた農家を銃で狙っている女性が登場します。辛抱強く待っていたこの女性はエディベルタ(ベラ・パディーリャ)といい、軍の凄腕スナイパーでした。農家に暮らしていると思われるゲリラのメンバーが外に全員出てきたところで彼女の銃が火を噴き、全員が倒されます。顔を上げた彼女の左頬から首にかけては、大きなケロイドがありました。しかしながらそのケロイドが身体的不調を招く恐れがある、というので、エディベルタは軍を除隊するよう命じられます。銃の腕を評価してもらえなかった彼女は酒に溺れ、何もない宿舎とバーを行き来する毎日に。しかしある日、彼女はその地獄から這い上がる目標を見つけ出します。彼女は身の回りの品を持ってタクシーを呼び、Genesis(創世記)という長距離バスのステーションに行くと、田舎に向かうバスに乗り込みました。バスの中では、「この町では、警察官と人々が歌を歌い、犯罪者を改心させて自首させています」というニュースが流れていました。着いた田舎町で家を借り、銃を受け取ると、丘の上で説教をする神父と話したりしながらも、彼女は当初の目的を達すべく、ある大邸宅を望む高台に銃をかまえて潜みます...。
ずいぶん長回しが続く作品だなあ、と思っていたら、よしだまさしさんのレポートを読んで納得。なるほど、ラヴ・ディアス監督の影響を受けているのですか。私はそれほど退屈しなかったのですが、それは冒頭の軍隊関係部分を除いて、ずっと音楽が流れていたからだと思います。次々とポップスが流れ、また、主人公の行きつけのバーでは表の道にギター弾きが座りこんでいて、いつも何か歌っているのです。その後しばらく、不快感を催させるノイズ的音楽が使われ、彼女がバスに乗って田舎町に行くあたりから、また歌がいろいろ流れるようになります。このようにほぼ全編、BGMだったり、実際に画面に登場する歌い手だったりしますが、何かしら音楽が流れます。特に印象に残るのは、長距離バスを降りてすぐのあたりで出会う、男女3人の盲目の歌手。女性は知的障害もあるのか歌っていないのですが、男性2人が楽器を奏でながら歌う歌は、哀惜を感じさせ、耳に残ります。もう一つ印象に残るのはエンドクレジットで、ここはまったくの無音なのです。このあたりが、コンペに選ばれたゆえんなのでしょう。
タイトルになった「マニャニータ」ですが、調べてみると「夜明け」、または「ベッドジャケット」(肩が寒い時に羽織るようなもの?)という意味があるそうで、途中で地名としても出てきたような気がするのですが、勘違いかも知れません。それはニュースで、「この町では、麻薬撲滅のため”犯罪者は殺してもよい”というドゥテルテ大統領の命に対し、歌を歌って犯罪者を改心させ、投降させるという作戦を実施しています」と紹介されていました。本作の主人公が最後に銃を構えた町もそうで、主人公が6歳の時に家を襲い、父母を殺して自分をレイプしたあと家に火を放った犯人がいる、というので主人公は復讐のためやってきたのですが、何とその男は警察官が彼の家を取り巻いて歌を歌うことで投降してしまうのです。これは、ビックリの結末でした。ネタバレになるのですが、ここが映画の最大の見どころなので、書いておきます。
今日はプレス上映だったのですが、コンペ作品ということでポール・ソリアーノ監督(上写真)と主演女優ベラ・パディーリャが登壇、Q&Aが行われました。このレポートはまたのちほど、ということで、お二人の写真だけ付けておきます。ベラ・パディーリャ(下写真)は、劇中のすっぴん+ケロイド姿とは打って変わった美しい女優さんでした。
『サイエンス・オブ・フィクションズ』(画像はいずれも©Rediance)
2019年/インドネシア、マレーシア、フランス/インドネシア語/106分/原題:Hiruk-Pikuk Si-Alkisah
監督:ヨセプ・アンギ・ヌン
出演:グナワン・マルヤント、エキ・ラモー、ユディ・アフマド・タジュディン
人類が初めて月面に足を踏み出したのが、1969年の7月20日。その頃インドネシアでは、「月の石の成分がインドネシアにある石の成分と酷似している」という話が伝わり、「インドネシアに寄贈されるかも」というような噂が広まります。そんなある晩、村の純朴な男シマン(グナワン・マルヤント)は森に入っていて、森の中の広場で奇妙なことをしている外国人の撮影隊を見つけます。上のような宇宙服を着た人間が、無重力状態よろしくスローモーションのような足運びで大きな機体から出て歩いていくのです。びっくりしたシマンは撮影隊に見つかってしまい、重大秘密をしゃべらないようにと舌を切られてしまいます。村に戻ったシマンは、「こんなことやってた」と無重力状態の人の姿をジェスチャーで伝えようとしますが、人々はあざけるばかり。シマンは禁じられたことをして舌を切られたという噂は広まり、シマンの母は耐えられなくて縊死してしまいます。それから村では、共産党狩りとかいろんな出来事がありましたが、シマンはロケットのような家を作り、何事もスローモーションでこなしながら、瓦焼きの手伝いをしたり、果ては仕立ててもらった宇宙服を着て芸人一座と共にドサ回りをしたりしながら生き延びていきます...。
ストーリー紹介を読んだ時、風刺の効いた面白い作品では、と期待して見たのですが、スハルト政権が倒れるきっかけとなった1965年のクーデターとそれに続く暴動等を模してあることはわかったものの、きっかけとなる月面着陸撮影の場面がお粗末で、白けてしまいました。上の2番目の画像では、いかにも月面に着陸した宇宙飛行士のように写っていますが、本編中では光に虫がいっぱい集まり、すぐに熱帯あるいは暑い時期の林で撮影していることがバレる映像となっています。上のスチル画像にする時に虫をCGで消去したものと思われますが、1960年代にはまだCG技術はなく、あんなに虫が飛んでいる映像を公開したら、「月に生命体が! 昆虫が生息している!?」と、石よりそっちの方が大問題になったはず。アイディアが面白かったとはいえ、フェイクニュース、フェイク映像にもならない次元ですね...。また、宇宙遊泳の無重力状態を表そうと、いかに体をスローモーション風に動かしても、重力まるわかりにしかならないわけで、何だか「無知なアジア人による浅はかな模倣」という面を表しているようにも感じられて、あまりいい感じがしませんでした。
というわけで、宿題2つ(『存在するもの』と『マニャニータ』のQ&Aアップ)を抱えつつ、私のTIFFはもう少し続きます。