りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

五頭龍と弁財天

2023-03-01 08:14:28 |  日 記 
江ノ島にある宗像三女神の神社を総称して江ノ島神社と呼び、御神紋は「波に三ツ鱗」としている。
「三ツ鱗」といえば、言わずと知れた執権北条氏の家紋。これを囲むようにして「波」があしらわれると、江ノ島神社の御神紋になる(・o・)

江ノ島と北条氏の浅からぬご縁を思うわけなんだが、伝えられるところの「龍神伝説」には、北条時政の眼の前に弁財天様が現れる、というのがある。
時政に伝えるべきことを告げたあと、弁財天様はその身を龍に変えて飛び去るのだが、去り際に「鱗」を三枚落としていかれた。
その三枚の「鱗」が家紋「三ツ鱗」の由来なのだとか。
いろいろ気になることはあるのだけれど、平氏の出自を自称する北条氏にあっては、龍神と、そして宗像三女神をお祀りする江ノ島神社とのご縁は、ここぞとばかりに強調すべき事柄だったに違いない( ・ิω・ิ)b

欽明天皇の御代に創建とされる江ノ島神社だが、さらに古い祭祀、プロトタイプと呼ぶべき祭祀があったことは容易に想像される。
伝えられる「龍神伝説」も、豊富すぎるほどのバリエーションがある中で、オリジンと呼ぶべき基本形というのが、おぼろげながらではあるのだけど、そこにあるような気がする。
だが( ・ิω・ิ)b
「龍神」を語ろうとすると、意味の上ではだいぶあやふやになってしまう。これも故なきことではない。
「龍神」が「龍神」の姿で現れるとは限らないから。
北条時政の前に現われた「弁財天様」は「龍神」の姿になって飛び去った。「龍神」=「弁財天」のイメージが端的に表れているエピソードだ。

ちょっとロマンティックな雰囲気の伝説がある。一般によく知られているタイプ。
鎌倉は深沢に棲んでいる「五頭龍」が人々に害を為すのだが、江ノ島とともに現われた「弁財天」に一目惚れ。「弁財天」に諭された「五頭龍」が心を入れかえ、人々に尽くすようになり、「五頭龍」は「弁財天」と結ばれる。
やがて「五頭龍」の命が尽きようという時がやってくる。
江ノ島の対岸に身を横たえて、いつまでも「弁財天」を見守ると言い残し、そこで山となる。
それが現在の龍口山。
この言い伝えがいわば基本形というか、江ノ島の「龍神伝説」の基礎になっていると、とりあえずは考えておくことにして。
ここでは「龍神」=「弁財天」のイメージは、直接的にはあらわれていない。
「五頭龍」より上位の存在として「弁財天」があらわれる。
「弁財天」は「五頭龍」を征伐、討伐、成敗などはしない。
「五頭龍」は、自ら進んで、勝手に調伏するのである。
しかも、「五頭龍」は命が尽きる。。。
だが、「弁財天」が「五頭龍」と結ばれるという点において、両者の性質は限りなく近いことは示されている。
江ノ島が欽明天皇の御代に出現したということも、この話の「リアリティ」を支える。
仏教のリアリティ。









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