焦り。
お義父さんの様子が一変してしまいました。
涙を浮かべながら、食べられないお義母さんの口元に押し込むようにしてスプーンを運ぶ姿はとても見ていられませんでした。僕らも目を背けず、本当はそれをやめさせるべきだったのです。嚥下障害をおこしているお義母さんにとって、さらなる苦しみを与えていたのですから。実際、押し込んだ分の食事は、筋力の弱まってしまった喉にできた窪みにたまっていました。それに気づいた医師が吸引して取り除いてはくれたのですが、その一件以来、今度はお義父さんが食事を与えることに恐怖を覚えてしまいました。昼と夕方、一日も欠かさず、毎日病院に通い続け、ひたむきに介護をしていた人が。看護士さんが「仕事ですから」とお義父さんに代わって食事を与えてはくれたのですけど、まったく食べられない日が続きました。
万事休すかと思っていたときに、それまでどうして気づかなかったのかと、気を取り直して僕は母に電話をしてみました。
母は、若かりし頃は看護婦として医療の現場を踏んでいた人で、僕が学生の頃は地元の個人医院でお手伝いもしていました。また祖母を十数年にわたって介護していた経験もあります。一縷の望みと思って、協力を依頼しました。
食べることに興味を失った人が、再び口を開くにはどんなきっかけが必要なのでしょうか?思い当たる答えはないのですが、口を開くそのタイミングは当の本人が選ぶようです。
それまで、頑なに閉ざされていた口を開いてくれたのは、お義母さんが母のことを受け入れてくれたから、というのは間違いのない結果でした。
一週間に渡り、母はお義母さんの食事に可能な限り付き添ってくれました。
お義父さんの喜びようといったらありません。呼吸にあわせて上手にスプーンを運ぶ母の姿を真剣に観察し、自分でもう一度やってみると再びスプーンを手にすることができたのです。
考えてもみなかった理由で、僕は久しぶりに母に会うことができました。祖母の介護をしていた時のことを、根掘り葉掘り聞いているうちに、いまの僕たちが当時の母の立場に立っていることにやっと思いが至るようになりました。
日常の風景は、それが当たり前であればあるほど、意識にのぼらないことがある。高校生の頃からずっと当たり前だった食卓の上には、確かに祖母のためのメニューがあったけれど、どんな思いで母がそれを用意していたかについては、今の今まで思いが至らなかった。そういう自分を少し恥ずかしいと思ったのでした。それから、自分が母の話に素直に耳を傾けているのが、意外でした。そんなこと、ここ二十年くらいはなかったことですから。
一歩引いたところから、上手な人がやっていることを謙虚に学ぶことできる。
お義父さんにはそういうところがあって、母から学んだことを少しずつ習得していくにつれて、あの悲しみに満ちた焦燥感が薄らいでいきました。看護士さんたちやインターンの若い先生方も、母がお義母さんに食事を与えるのを見に来ることがありました。看護士さんの中には思わず「上手!」と声を上げる人もいたほどなのです。そういう状況の変化に、お義父さんにもこころなしか余裕のような空気も生まれていました。食べることを思い出したかのように、お義母さんの食欲も戻ってきました。完全ではないまでも、喉が動いて飲み下せるようになってきたのです。
「胃に穴をあける」つもりでいた医師も、お義母さんの食事の様子をみて「食べてる!」と、普段の冷静さからは考えられないほど喜んでいました。
I'm glad there is you (1)
I'm glad there is you (2)
I'm glad there is you (3)
I'm glad there is you (4)
I'm glad there is you (5)
I'm glad there is you (7)
I'm glad there is you (8)
I'm glad there is you (9)
I'm glad there is you (10)
お義父さんの様子が一変してしまいました。
涙を浮かべながら、食べられないお義母さんの口元に押し込むようにしてスプーンを運ぶ姿はとても見ていられませんでした。僕らも目を背けず、本当はそれをやめさせるべきだったのです。嚥下障害をおこしているお義母さんにとって、さらなる苦しみを与えていたのですから。実際、押し込んだ分の食事は、筋力の弱まってしまった喉にできた窪みにたまっていました。それに気づいた医師が吸引して取り除いてはくれたのですが、その一件以来、今度はお義父さんが食事を与えることに恐怖を覚えてしまいました。昼と夕方、一日も欠かさず、毎日病院に通い続け、ひたむきに介護をしていた人が。看護士さんが「仕事ですから」とお義父さんに代わって食事を与えてはくれたのですけど、まったく食べられない日が続きました。
万事休すかと思っていたときに、それまでどうして気づかなかったのかと、気を取り直して僕は母に電話をしてみました。
母は、若かりし頃は看護婦として医療の現場を踏んでいた人で、僕が学生の頃は地元の個人医院でお手伝いもしていました。また祖母を十数年にわたって介護していた経験もあります。一縷の望みと思って、協力を依頼しました。
食べることに興味を失った人が、再び口を開くにはどんなきっかけが必要なのでしょうか?思い当たる答えはないのですが、口を開くそのタイミングは当の本人が選ぶようです。
それまで、頑なに閉ざされていた口を開いてくれたのは、お義母さんが母のことを受け入れてくれたから、というのは間違いのない結果でした。
一週間に渡り、母はお義母さんの食事に可能な限り付き添ってくれました。
お義父さんの喜びようといったらありません。呼吸にあわせて上手にスプーンを運ぶ母の姿を真剣に観察し、自分でもう一度やってみると再びスプーンを手にすることができたのです。
考えてもみなかった理由で、僕は久しぶりに母に会うことができました。祖母の介護をしていた時のことを、根掘り葉掘り聞いているうちに、いまの僕たちが当時の母の立場に立っていることにやっと思いが至るようになりました。
日常の風景は、それが当たり前であればあるほど、意識にのぼらないことがある。高校生の頃からずっと当たり前だった食卓の上には、確かに祖母のためのメニューがあったけれど、どんな思いで母がそれを用意していたかについては、今の今まで思いが至らなかった。そういう自分を少し恥ずかしいと思ったのでした。それから、自分が母の話に素直に耳を傾けているのが、意外でした。そんなこと、ここ二十年くらいはなかったことですから。
一歩引いたところから、上手な人がやっていることを謙虚に学ぶことできる。
お義父さんにはそういうところがあって、母から学んだことを少しずつ習得していくにつれて、あの悲しみに満ちた焦燥感が薄らいでいきました。看護士さんたちやインターンの若い先生方も、母がお義母さんに食事を与えるのを見に来ることがありました。看護士さんの中には思わず「上手!」と声を上げる人もいたほどなのです。そういう状況の変化に、お義父さんにもこころなしか余裕のような空気も生まれていました。食べることを思い出したかのように、お義母さんの食欲も戻ってきました。完全ではないまでも、喉が動いて飲み下せるようになってきたのです。
「胃に穴をあける」つもりでいた医師も、お義母さんの食事の様子をみて「食べてる!」と、普段の冷静さからは考えられないほど喜んでいました。
I'm glad there is you (1)
I'm glad there is you (2)
I'm glad there is you (3)
I'm glad there is you (4)
I'm glad there is you (5)
I'm glad there is you (7)
I'm glad there is you (8)
I'm glad there is you (9)
I'm glad there is you (10)