この小さい「はりまや橋」がなぜ名所と謳われるのか?
「よさこい節」の歌詞に出ているからだけではないみたいですよ。
今回の旅行の機会にと思いググってみました。
ネット「pokke」から抜粋して紹介します。
はりまや橋は1600年代,現在のはりまや橋のある地域の
豪商であった播磨屋崇徳が建立したと言われています。
播磨屋の取引商家が堀の向かい側にあり,往来が不便だという
理由から個人財産を投じて,はりまや橋を架けたと言われ,
豊かな財力を誇示していたようです。
よさこい節の一節に
「土佐の高知のはりまや橋で ぼうさん かんざし 買うをみた」
とあります。
「ぼうさん」とは「お坊さん」=僧のことです。
江戸時代,僧侶は基本的に恋愛禁止でしたが、町娘に恋をしたお坊さんが
はりまや橋でかんざしを買っているところを目撃されたというのが事の始まり。
四国八十八か所巡礼で有名な竹林寺の僧・純信は,20歳下の町娘で,お寺に出入り
していた鋳掛屋の娘・お馬に恋をしてしまいました。
純真はこのとき37歳、お馬は17歳でした。
純真はこの娘の気を引くために,かんざしを買ったのでした。
その後2人は恋仲となり駆け落ちをしますが,
関所破りの罪を犯し囚われの身となり,
別々の場所へ追放となりました。
それからもずっと会うことは許されなかった二人。
後に二人の悲恋話は浄瑠璃となり流行したようです。
はりまや橋というと,よさこい節に出てくる一節
「~はりまや橋で ぼうさん かんざし 買うをみた~」
で認知されているのだと思いますが,なぜこれが有名なのかと
感じる人が多いのではないでしょうか。
ちなみに「よさこい」とは高知の方言で、
「よさ」=夜 「こい(来い)」=いらっしゃい,
「夜にいらっしゃい」という意味です。
今はいろいろなよさこい祭りの原型となっている「よさこい祭り」
戦後復興の象徴として昭和29年に始まりました。
その後昭和34年,ペギー葉山さんが歌って大ヒットした
「南国土佐を後にして」をきっかけに非常に有名になりました。
「がっかり名所」として、はりまや橋はなぜ有名に?
がっかり名所として有名になってしまった、はりまや橋。とても不名誉です。
でもそれも仕方がないのかもしれません。
日本の近代化とともに深刻な水質悪化,はりまや橋がかかっていたお堀は
埋め立てられ,河はなくなり,そして埋め立てられた場所は
橋の欄干だけが残っていきました。
そして観光客にはいつも「たいしたことないね」といわれるように・・・。
でも有名な観光地には違いなく,現存するはりまや橋は1998年に再建
されたものです。以前あった欄干は再整備された公園地下道に設置されています。
以上「POKKE」から。