ザクっと説明すると、
仕組みはおっきいけど、自動車と同じで、
機械室でモーターを回して発電して、一棟丸ごとの、
すっごい大きなバッテリーで電気を貯めて、電気機関車に供給していた。
機械棟
大きなモーターで発電していた。
蓄電池棟
バッテリーは、
極板の活物質である鉛と電解液である硫酸の化学反応によって電気を起こしたり、蓄えたりしています。
ということなので、硫酸を使うため、窓を広くとっています。
30人程が交代で勤務していた。
当時は、隣接する寮があった。
鉄道も駅も有りますが、車で入れる道路はありません。
松井田町 教育委員会 ↓
丸山変電所は、明治四十五年に建築され、
一棟が機械室で回転変流器と変圧器を収容していた。
もう一棟は蓄電池室で、列車が上り勾配にかかるときに必要な電力を補うための蓄電池三百十二個が整然とならんでいた。
建物の正確としては、工場建築に近いから、同じ煉瓦造り建築と言っても例えば東京駅のような華やかさはない。
しかし、正面出入り口や妻面には、控えめながら装飾的な要素が加えられ、
落ち着いた格調の高いものとなっており、煉瓦造り建築の最盛期の所産であることが実感され、今に伝える残り少ない遺産である。
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