ジャネーの法則を使って人生を積分してみたとかいう方の記事を見つけました。
なかなか読みやすくて面白い文章になってます。 で、積分の是非とかそこに至る細かいアラとか前提とかそういうのは置いときます(そのくらいのブレは私の本題に何も影響しないので)。
ポイントは、" 人間は 20 歳までに体感時間的にいうと人生の半分を終えている " とか " いま 47 歳の自分が仮に 80 歳まで生きるとした場合の体感人生の消費を計算すると 80% は既に済みだという計算に唖然とし背筋が寒くなった " との記述。
ウチ、唖然とすらしませんでした。 " 我が意を得たり " というのが正直なところ。
あー、面白い関数(法則)を思い付きそうなので " 我が意 " のハナシはまた後日。
そんで、読みやすくて面白いんですけど、仏教哲学的には既出の概念ばかりなんですねこれが。 だから私には 「 何でそんなアタリマエのことにいちいち感心する ? 」「 どういう人生送ってきた ? 」 となってしまうですよ。 まあ、記事というか作品ですからそういう脚色になっているだけでこの方自体は文字の表層よりも深い方だと思っておきます、. . . .
が、ポイントはもちろんそこじゃなくて(まずは)表題に落ちる、と。
ニホンにはかつて仏教哲学を噛み砕いた説法をする坊主がそこここに居たハズなんですけどねえ、. . . .
合掌。
なかなか読みやすくて面白い文章になってます。 で、積分の是非とかそこに至る細かいアラとか前提とかそういうのは置いときます(そのくらいのブレは私の本題に何も影響しないので)。
ポイントは、" 人間は 20 歳までに体感時間的にいうと人生の半分を終えている " とか " いま 47 歳の自分が仮に 80 歳まで生きるとした場合の体感人生の消費を計算すると 80% は既に済みだという計算に唖然とし背筋が寒くなった " との記述。
ウチ、唖然とすらしませんでした。 " 我が意を得たり " というのが正直なところ。
あー、面白い関数(法則)を思い付きそうなので " 我が意 " のハナシはまた後日。
そんで、読みやすくて面白いんですけど、仏教哲学的には既出の概念ばかりなんですねこれが。 だから私には 「 何でそんなアタリマエのことにいちいち感心する ? 」「 どういう人生送ってきた ? 」 となってしまうですよ。 まあ、記事というか作品ですからそういう脚色になっているだけでこの方自体は文字の表層よりも深い方だと思っておきます、. . . .
が、ポイントはもちろんそこじゃなくて(まずは)表題に落ちる、と。
ニホンにはかつて仏教哲学を噛み砕いた説法をする坊主がそこここに居たハズなんですけどねえ、. . . .
合掌。