「記憶とポエジー」終了
直前までアップアップのお約束、久しぶりの
コスモス企画のポエジーシリーズ最新作記憶とポエジー無事終了しました。
お客様、スタッフ、出演者の皆様、お手伝いして頂いた皆様
本当にありがとうございました。
前日までチケットの予約枚数が芳しくなかったのですが
蓋を開けてみましたら、フルハウス満員御礼となりました。
オープニング、暗転百円ライターの光で映される詩人
「百円ライターは
他人を焦がす妄想を生み出すための機械だ
中途半端な希望では、浅瀬で未来が濡れるだけ
古い記憶に漂う 羊水の気泡は
未来への記憶で充満しているのだ
それでもいい
触れ 引きずり出せ!
我に 100円ライターの光を!」
書物に火をつけ続ける。
「岐路、室内、車内、障害者用の公衆便所で愛を!
40秒後、40時間後、400時間後、物質の幽体離脱で
配置される4次元。また会う日まで、また会う日まで、
また会う日まで!」
消える炎。コスモス三部作演奏、オープニング映像投射。
幼児期にふと起きた深夜に放映されている、怖いテレビドラマの
オープニングのような、淡々とした暗い出演者紹介の映像にコスモスの
重い旋律が染み込み、過去を反芻する少し痛々しい空気感。
のつもり。
記憶とポエジー開幕します。と言って拍手。
客席から不意に鳴り響く携帯電話の着信音、あろう事か
電話の主はその電話を受け、話し出す。
はいもしもし。え?誰?おおさっちゃん。久しぶりー。元気?
いや、今さ、ライブ観に来てるのさ。県庁のそばの。麦藁帽子の向かいの。
今ライブやってるからまた後でかけていい?
いや。今日は朗読のライブ。変態くさいやつ。
お芝居?やってるよー、まだ。青森いるの?観に来てよー。
なに?同窓会?やんの?
うわー、何年ぶり?21年ぶり?
幹事?やだやだ絶対やだ。
いやー、もう今年四十だから、おっさんになってるべなー。
彼女はそのままステージへ移動し、自己の過去との距離との記憶の詩
「卒業に要せて(クエン酸サワー)」を朗読。
コスモス練習時、僕が全体のタイミングだけの指示をコスモスにしながらも
大分早口で、音あわせをしていたので、普通に間を取って朗読する高橋氏の
朗読時間の事を僕が忘れてしまっていて、もっとコスモスの音入るタイミング
を遅くするかまたは、途中で無音状態を一回作ってあげれたら、よかったかと
反省。高橋氏のテンションが高まっていく後半に連れて、コスモスの演奏は
逆に落としていき、演技の抑揚をもう少し付けさせてあげられる余裕を、
作ってあげたら良かったんじゃないかと思った。
この冒頭で、会場の空気はまさに、ああ変態くさいやつが始まっていくのだな。
という諦観と期待を同時に所持するような、変な緊張感が磁場として
出来上がったような気がします。
うーん、このペースで解説していくと大分長くなる気がするけど
いけるトコまで。
少女の思い出と現実の今との重なりが、時折背骨を抜き取られるかのように
乖離する瞬間、それでも朦朧と時には誤魔化せず(それが本来出来ていたら
この場所に居ない)、立ちたい場所へ向かおうとする傷だらけの純情。
形は言葉でしか成り立たないのに、言葉は形しか作らない。
中心が踏み潰されず、中心が無い。そもそも自己など無く、宇宙は
ただの言葉でしか存在しないのかもしれない。
自己なんて他人のうわさ話程度で簡単に形成されるものなのかも知れない。
その存在しない自分を探している、親に捨てられた旅芸人の子どもが
作り出す世界との繋がりのような朗読。
最後にコスモスの音もやみ、現実へ帰る。
すいませんーん。クエン酸サワーください。と注文して終了。
高橋氏朗読終了後、彼女のかかって来ていた電話を、譜面台にのせ
マイクを向けると、電話口からの声が会場内に響く、ノイズが強く
時折、電気が言葉の意味を通す。この声がそのまま次の朗読、木村哲夫
「ウェルメイドの記憶」へと繋がる。
彼は朗読途中から、会場入り口ドア開放し、本人登場で詩の朗読を
続けるのだが、始めの携帯電話マイク拾い朗読シーン、僕の決定箇所少し
後半にしすぎたような気がして、序盤の電話からマイクで拾うノイズ朗読
箇所が多少長くしてしまったような気がした。
木村氏は好きな詩人で、あてにしすぎてしまし、いつも無茶な要求を
してしまうので、次回あったら詩はガッツり読ませてあげたい。
巨体をゆすり、そこから放たれる骨太な言葉と言語センスが
強固で強い説得力を持つ、諦観と怒りの源泉は、その逆側から
溢れていて、実は共同体としての同調性が希望の鍵となるようにも
受け取れる。しかし僕たちは記憶を手繰り思い起こさねばならない
共同体のために何をそうじゃないものとして、排除して来たのかを。
木村氏はその弾かれた側の様にそこに立ち、ハーブを
奏で、人々を見据えているのだ。
君たちの作ってきた世界との関係性はウェルメイドの記憶では
ございませんか?と痛みと皮肉と覚束ない挙動で差し出すのだ。
彼は詩の朗読中が演技なのではない。逆なのだ。
木村氏朗読後、会場を去る。コスモスのSE的葬送音楽が流れ
会場のバーテンが話す。
「高橋さん、さっきの注文クエン酸サワーでしたよね」
会場の照明、バーカウンター内部のみになり、彼は酒を作りながら
クエン酸サワーの効能やウェルメイドなイメージ付いてポツリポツリと
話す。演技旨い。普通に見入る。
人間の思考、記憶、さえもただの電気信号に過ぎない事を
検知器的に言い回す朗読。
ずっと同じ発見を様々な言葉で繋げていくのだが、それが逆に
渡辺氏の、病的探求心とシンクロし彼特有の、どこか居心地の悪さ
や座りの悪さ、いつまでも旨くはまらないジグゾーパズルのワンピース
のような、モゾモゾとした不安を抱えた世界観が広がる。
それは射精へと向かう途中の妄想のようなモノなのかもしれないが
彼は全てを電気信号の産物だと言い切るのだから、着地点はそこに
収まらない。人間の本来持つ能力の先に完成されていく電気製品は
もしかした、人間の能力製品であり、洗濯機も、パソコンも実の所
気持ち悪いほどに有機的なものなのかも知れない。
宇宙人が人間を認識したら、全てが繋がって一つの生物だと認識するのかも。
女が彼を罵るシーンが現れ、そこが唯一の電気信号ではなかった場面
のようにも受け取れる。その場面がこの詩自体の元もとの原動力になって
いて、実は電気がざわついて刻まれた記憶の投射場面は、凄く人間的な
汲み取りをしているとも捕らえられるのだ。
最後の着地点も、少し皮肉めいた終わり方をするのを読むと
その場面の痛みや絶望感になぜか希望が生まれているような作りに
なっているのがこの詩に一種独特の切なさを与えている。
人間も何者かの電化製品だとしたら、その不自由意思からの脱却の答えに
ショートしそうな電気信号の思い出を見出す機械人形の自己投射なのかも
しれない。以前、手塚治虫氏の息子の人のロボットネタの朗読聞いたこと
あるんだけど、それの10倍良い。
渡辺氏、朗読終わり、作ったお酒を高橋氏に渡す。
「さあ、クエン酸サワ―という名の 200μAの電気的興奮 お
待たせしました 。」
そしてそのままステージへ行き、彼のバンドの歌「赤い月」の
コスモスバージョンを歌う。
ここで初めて歌が登場し、人が詩を歌にして誰かに伝える行為を。
ここで第一部前半終了。
ここまでは、詩の朗読イベントとしての全うな流れとして。
プロローグで闇から光、ライターの火で言葉があって、高橋氏、
木村氏、渡辺氏と詩の朗読を聴いて頂く流れ。
休憩15分。コスモス生演奏で緊張感を途切れさせないように
と考えたのだが、多少音が大きすぎて、途切れなさ杉になって
しまったかもしてない。アンプ通さないで音出していれば良かったかも。
後半頭一発目シンゴクラスタール。
2曲、1曲目は即興で「記憶」がテーマのラップをコスモスと。
現代の詩の表現形態として、一番興行的にも若い人への浸透も
ラップジャンルの詩の表現手法。
普段余り生のラップを聴く機会の無いお客様らに、剥き出しの
言葉と音楽の切れ味を体感して欲しい感じで。
言葉にするとカッコいいの一言になってしまうのだけれど
その内部には様々な間やテクニックや思いが詰まっていて
何かを伝えるために必要な表現形態の心地よさを初期装備
している機能美のような美しさ。
ネクストコスモス。
ネットチャットで何処か知れぬ場所にいる
女に僕の詩を朗読させて、
その彼女とコスモスの音楽との絡み。
言葉の表現手法の成れの果ての的試み。
このプレイは何度か試したことがあるのだけど
一番上手くいってしまった。
彼女の吐露する一番古い記憶、ひな壇にある菱餅を
食べたくて、雛人形を登り、ひな壇が崩れ落ちてしまった
というエピソードを貰った瞬間。成功したような気になり
安心した。でも手法が少しひどいやり方なので、そう何度も
やらないようにする。
この辺余り詳細書くと、なんかヤバそうな気がするので割愛。
ラスト佐々木英明氏
詩人がもがき記憶との格闘をし、様々な表現を試みたなか
最後に怪物が描く情景は、遠い過去のはつ恋の記憶。
あがいた先にある言葉との格闘。
最終的に、詩人は自分の言葉の周りに記憶を配置し
過去の美しい季節を綴る、自分との問いに沿う手段のような情景。
ここで記憶めぐり詩の旅は円環する。
最後にコスモスで「砂の物語」を歌う。
その間、出演者が舞台へ集結。
エピローグ
暗転、佐々木英明が言葉を発した時にだけ光が点り
舞台が映し出される演出。言葉でしか人間の輪郭は
現れない。言葉を継ぎ足せば継ぎ足すほど、真理のような
ものに近づくかもしれないが、消してたどり着けない、
割り切れない数字のようなもの。それでも詩人は
光を手繰りポエジーを生み出す。世界の重さと釣合う
一つの詩を描こうと、肉体と時間を超越した場所へ出向き
試みる。
恐怖、恐怖、百円ライター擦る束の間だけ映し出される世界。
またいつか、密室でお会いできたら嬉しいです。
このたびはありがとうございました。