cowboy-平松の部屋

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今から明石に行くぞー

2019-03-14 17:11:42 | 阿部語録 -SUZUKI時代-
阿部語録ーSUZUKI時代ー2

今から明石(カワサキ)にいくぞー

1974年8月、WGP500クラスに出場しているB・シーンの成績が悪く 不安で不安で、自分で設計した
RG500のフレームが駄目なのか、どこが悪いのか、バリーはどんなところに苦しんでいるのか、知り
たくて、見たくって、ヨーロッパへ行かせてくれ、バリーの走りが見たいと、上司に言ったが……、行か
せてくれない、何が原因で勝てないか情報も無い、教えてくれない、私はモンモンとしていました。
阿部はすでにカワサキの契約ライダーになっていた、ライダーとしてスズキとの契約を望んだが 交渉不
成立だった。マン島で優勝した伊藤光夫さんも社員ライダーのままですから、社員からの契約って土壌が
無いのでしょう。 
 その阿部が真夜中 私の借家に侵入し、私の枕をけっとばし、   ’今から明石にいくぞー’
カワサキに来て、またオレのBIKEを作れって事です。浜松から明石に向かう車のなかで、次年のデイトナで
KR750でオレが出場するぞー、まだフレームの画は無い、ベースとなるH2Rは面白い(その時は私は?)
BIKEで……詳細は語らず。 KR750は開発時間もなくでも基本から作り直すから手伝え、そして
なんとかしろ、  250(当時は601ーA,W-GP出場は601-C)も有り、これでヨーロッパもいけるぞーっと
阿部ちゃんに」拉致された訳です。

 バリーとRG500といっしょにWGPの現場に行っていたら、KR250,350,K-バリントン A-マングの8回
W-チャンプは無かったよーです。


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