4月10日
放射線科の蔵原一郎先生を新患としてお訪ねした。「はじめまして、と申し上げたいところですが実は中学生だった50年前にお世話になった者です」
昭和36年(1961年)春高校入試を前に親父譲りの肺結核を発病した。
何とか志望校に入学を果たしたが半年通学した後休学した。
当時日赤松山病院(現松山赤十字病院)で蔵原先生に治療していただいた。
翌春復学したが、元気になったあとちゃんとお礼を申し上げた記憶がない。
心臓と肺のMRIを撮っていただいた。石灰化した古傷は見事に痕跡を残していた。1㎝刻みの写真はキレイだった。
松山東高校では前例がなかったが、卒業式の3日後に皆勤賞が届いた。
復学は入学式からやり直して3年間無遅刻無欠席だったのだ。
「治癒後の高校生活は皆勤したことと、20歳を過ぎてから今日までの45年は幸せな人生を送ることができました」とお礼を申し上げた。
85歳になられた先生はとても喜んでくださった。「ボクは100歳まで頑張って生きる。君はまだ若い、元気で長生きしてください」
命の恩人・人生の恩人に50年もかかってしまったが、診察という形でお礼
を申し上げることができて嬉しい。