小学生の頃の夢は、天文学者になることでした。
しかし、一流大学の大学院まで出なければならないと知り、諦めました。終わり。
終わるなよ!
以前にも書きましたが、三十路は小学校4年生から学校に行けませんでした。昼間は専ら、某国営放送の教育テレビを観ていました。5年生の秋・・・。5年生の理科では、天文のお話をやっていました。それを観て感化された三十路少年は、夜空を見上げるようになったのです。
オリオン座、おうし座、おおいぬ座、こいぬ座、ふたご座、カシオペア座・・・三十路は飽きることなく、毎晩のように夜空を見上げていました。図書館で星の本を借りてきては、読みあさったものでした。
当時の恩師、M先生ともよく一緒に星を見ました。M先生は当時、毎週のように不登校の三十路のために放課後、家庭訪問してくれていました。そのM先生も、昨年6月、乳癌のため46歳の若さで星になりました。星空を見上げるたびに、三十路はM先生のことを思い出します。一生忘れない思い出をくれた恩師よ、安らかに。
初めて双眼鏡で星を見たときの驚きは、すごいものでした。肉眼で見えない暗い星がいっぱいでした。天体望遠鏡で月や惑星を見たときも、驚きました。まあ、口径10cmの反射望遠鏡では、それなりの見え方でしたけどね・・。写真で見る天体写真とは、かけ離れすぎていてもう・・・。
思い出深いのはやはり、ハレー彗星です。1985年12月25日夕、みずがめ座に双眼鏡でハレー彗星を見つけ出したあの日が、まるで昨日のようです。三十路は中学生になっていました。翌86年3月3日明け方、やはり双眼鏡で、やぎ座西部にハレー彗星を見つけました。淡く短い尾を引いていて、感動しました。
87年9月23日、初めて部分日蝕を見ました。沖縄では金環蝕でしたね。
90年、定時制高校に入って、学校の天体望遠鏡(ドームに入っていて、モータードライブの付いた口径20cmくらいの屈折望遠鏡でした)で、月面や土星を見て驚愕したものです。これは本に載っている写真か?って(笑
96年春、百武彗星が現れました。小さな雲の塊のような頭部から、北斗七星の方に淡く長い尾を引いているのが肉眼でも見えました。
97年春には、ヘール・ボップ彗星が明るく見えました。非常に明るく、太くて短い尾が、印旛沼の水面に映るほどでした。百武彗星も、印旛沼(佐倉市)で見ました。よくあそこには通いました。夜中に、双眼鏡やカメラをつめたリュックをしょって、バイクで行ったものです。幽霊でも出そうな場所でしたが、平気でした。それより寒くて、明け方に帰ってきたらすぐに風呂に入るのですが、あまりにも冷えすぎていたせいで湯船の中で手足が痺れて痛かったものです。
その後も、日蝕や月蝕を中心に撮影やら観測やらを続けていましたが、30を過ぎてからはあまり星を見なくなってしまいました。最後に感動したのは、2001年11月の「しし座流星雨」でしょうか。いや、金星の日面通過かな・・?日常に流されて、あまり夜空を見上げることがなくなってしまいました。
使い慣れた反射望遠鏡は、対物主鏡のメッキがくすんだまま(月が黄色く見える!)押入れの片隅で眠っています。
また、あの頃のような熱い気持ちで星空を見上げることがあるのかな・・・。三十路の人生から星を取ってしまったら、何も残らないな・・・。まぎれもなく、三十路の青春=星、でありました。
最近では、星を見るといえば明け方にゴミ出しに行くとき、季節を先取りした星空を眺めて「春だなあ」とか「秋だなぁ」とか思うくらいでしょうか。そろそろ、明け方の南東の低空に夏の星座の「さそり座」が顔を出す頃です。それを見ると「春はすぐそこだな」と思うのです。
たまには日ごろの嫌な事を忘れて、ゆっくりと星を見たいものです。今の三十路には、ちょっと無理かな・・・。