ちゅーたのたび

人生メロメロ奮闘記!?

聖徳太子を訪ねる旅13

2015-08-19 | 旅行記

2014年6月18日

飛鳥・・・・ではなく、王寺界隈。
はて、なんで予定変更したのか・・・・・
もう1年以上前の事。
忘れた。(笑)

結局この日は初はない。
すべて御朱印目当て。
ということで、まず行ったのは
額田部にある額安寺を目指した。

その途中にある推古神社。

そばの池を通り過ぎて

そういえば前回に通ったときアヒルがいたな。

今回もいたよ。

神社がある額田部は推古天皇の出身地と言われている。



「征露紀命」なのかな。
隣には「征露戦勝祈願燈」と書かれた燈籠がある。
ロシア戦争の時にたてられたのかな。
推古天皇は戦争はしていないが・・・・


と、ここで手を合わせた後、目的の額安寺へ。
聖徳太子御遺跡霊場第22番「額安寺」

無事に中に入ることができた。

前回来た時は、開門が10時で
オレは9時に訪ねた。
それで、お寺なのに9時で開いていないってどういうこと?
と、怒った覚えがある。
なので今回は10時過ぎに訪れた。

思い出した!
この日雨が降っていた。
だから飛鳥をやめて、御朱印めぐりに変えたんだった。
この写真見て思い出したよ。

木心乾漆虚空蔵菩薩半跏像を拝みました。
なんだか、しばらく呆けていた気がする。
住職にどうでしたか?と聞かれ溜息しか出なかった。

無事に御朱印をいただいて次へ向かった。

聖徳太子御遺跡霊場第19番「達磨寺」

前回きたときは歩いてきたっけ。
今回はバスを使った。
慣れたもんさ(笑)


ここには小さな古墳がある。

二号墳。

三号墳。
本堂の下には達磨大師が眠っていると言われている。

ここも無事に御朱印をいただくことができた。
相変わらず太子石を見つけることができず。

まさかね。
それはあきらめて、次へ向かった。

線路のそばにあるお寺。
聖徳太子御遺跡霊場第21番「平隆寺」

毎回このアングルの写真を撮っている気がする。


門には「御用の方はチャイムを鳴らしてください」みたいなことが書いてあった。

鳴らしてみると
門からではなく、どこからやってきたのか・・・・
横から「お待たせしました」とやってきた。
「御朱印をいただきたくて」と言ったら
「雨の中わざわざご苦労様です」と言って中に通された。


中が見たかったな・・・・
本尊は石佛の阿弥陀如来(鎌倉期)で、これは秘佛なんだそう。
残念。

御朱印をいただき、次に向かったのは
聖徳太子御遺跡霊場第2番「大聖勝軍寺」
ここは前日の上ノ太子・中ノ太子と並んで
下ノ太子と呼ばれている場所にある。
前回説明を書いたように
物部との戦の時に隠れた場所。
前回たくさん写真は撮ったので
今回はこれだけ(笑)

鐘楼が前回見当たらなかった。
今回なぜか目に入り撮った。
ここでも無事御朱印をいただくことができた。


ということで目的達成。

雨もやんだんだったかな。

ホテルへ向かう。

この日のことはあまり覚えていない。
御朱印をいただくことだけが目的だったから。
淡々と時間が過ぎた1日だったような気がする。

ということで、次は本当に飛鳥へ向かう。


聖徳太子を訪ねる旅12

2015-08-19 | 旅行記

2014年の旅。
御朱印も残すところわずか。
今回の旅は結構余裕を持ったスケジュールにしてみた。
4度目なのでだいぶわかってきたつもり(笑)

もちろん今回も近鉄を使った。

2014年6月17日。

まずはご挨拶で上ノ太子。
夏もすぐそば。

天気は良いとは言えないが
雨が降らなかっただけよかったか。

「太子和みの広場」にて。

御廟のレプリカ。

中はこんな感じになっているのだとか。

もちろん17条憲法も撮ってきた。

さらに、たくさんの絵巻が紹介されていた。


そして霊場へ向かう途中にあったマンホール。

土地土地のユニークなマンホール。

聖徳太子御遺跡霊場第6番「叡福寺」

お邪魔いたします、ということで
旅はスタート。






叡福寺の向かいにあるこちらも霊場。

聖徳太子御遺跡霊場特番「西方院法楽寺」

創立は推古天皇30年(622年)開基は聖徳太子が死去した後に出家した三人の侍女
善信(俗名月益、蘇我馬子の娘)
禅蔵(俗名日益、小野妹子の娘)
恵善(俗名玉照、物部守屋の娘)により
聖徳太子廟がある叡福寺の門前に法楽寺の寺号で創建したとされている。

聖徳太子作の阿弥陀如来像を本尊として遺髪を納めたと伝わっている。


残念ながら御朱印をもらわず退散。



この上ノ太子は磯長陵で多くの天皇や豪族の古墳がある。

聖徳太子の父・用明天皇や推古天皇の御廟もある。
用明天皇の古墳へ行ってみた。

用明天皇は聖徳太子の父。

「日本書紀」では橘豊日天皇
いみなは池辺皇子、『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』の表記である。
用明天皇の父は欽明天皇、母は蘇我稲目の娘・堅塩媛。


ここへ来る数日前に残念ながら桂宮さまがお亡くなりになられた。

追悼旗が掲げられていた。

この後推古天皇の御廟にも行きたかったが
これは断念。
暑さと距離だ。
次は涼しい時に訪れ、推古天皇や小野妹子の御廟も回ってみたい。

さて、気を取り直して
次に向かったのは、何度も挑戦している
聖徳太子御遺跡霊場第4番「西琳寺」

今日こそは御朱印を
と思って張り切っていってみたが
やっぱり無理だった(涙)


何故ここはいつ来ても誰もいない感じなのだ?

本当に御遺跡霊場なのか!?


悔しい気持ちを心に残したまま次へ。

午前中に行った上ノ太子に対して
こちらは中ノ太子と呼ばれている場所にある。
聖徳太子御遺跡霊場第5番「野中寺」

太子の命を受けた蘇我馬子が開基とされている。

飛鳥時代~奈良時代前半には、大規模な伽藍が存在したことは明らかで
渡来系氏族の船氏の氏寺として建てられたという説もある。


伽藍跡の土壇や礎石の列が残っていて
創建当時は東に金堂、西に塔を配置する
法隆寺式の伽藍配置だったことが判明している。





金堂跡や塔跡だけでなく
中門跡・講堂跡・回廊跡にも多くの礎石が現在も存留しており
「野中寺旧伽藍跡」として国の史跡に指定されている。

しかしここ野中寺はいろいろあって
天武天皇の寺ではないか、とか
安置されている弥勒菩薩半跏思惟像の制作がいつなのか、とか
論議のネタに尽きないお寺のようだ。



この日はこれで時間切れ。

ここから奈良まで戻る。
宿泊はもちろんいつものスーパーホテル大和郡山。

暑くて、梅雨入り前の湿気もあり
なかなか思ったように動き回ることができなかった1日。
それでも野中寺では御朱印をいただくことができて
とりあえず収穫有り。

次は何度も訪れている飛鳥。
今回はゆっくり散策になるかな。
もちろん自転車は借りるとして。
聖徳太子とはちょっと離れて
飛鳥のロマンに浸ってみたいと思う。


ロビクル作成 1.2

2015-08-19 | Robi

始まりました。
今月からロビクル作成開始。
なのだが、まだRobiに問題が残りちょっと不安。
とはいえ、留まっていてもしょうがないから
ロビクルを作ることにした。
さて、8月5日開始ということで
週明けには3.4号が到着する。
その前にさっさと1.2号を作っていこう。

さてさて、中身は

まずは1号。
大きな部品がたくさん!?

これだけのものが・・・・何やら怪しげな(笑)

何かアンバランスなミニロビ。
ということで

集合!!!
なんか変だと思ってガイド誌を見たらなんと!

こういうことだった(笑)

気を取り直して早速開始。

今回はこれだけの部品です。

まずはフロントカウルにハンドルを付ける作業。
ロックボタンを取り付けるよ。

赤矢印にねじ止め。

両方取り付け。

次はハンドルホルダーを取り付け。

裏からねじ止め。

そしてハンドル取り付け。

ゴム状になっているからカポッと取り付け。

両方取り付けて1号は完了。
では2号。

長~~~~いケーブルが。

その下にこんな部品が隠れてたよ。

小さい部品だね。

可愛いメーター取り付けるよ。

差し込み式でねじ止めはなし。

こんな感じ。
・・・おもちゃ(笑)
次はこれをカウルに取り付けるよ。

右側に差し込むよ。

これもねじ止めはなし。
左を付ければ固定できるからね。
そして次は赤外線センサーだよ。

この小さなボードに長いケーブルを取り付け。

しっかりはまっていることを確認。

これをカウルフレームに取り付け。

きっちりはまるようにできているから要注意。

ケーブル処理。

この部分にケーブルを通すよ。

こんな感じでOK!

ということで2号も完了。
次回はヘッドライト関係が来るらしい。
ということで、これの保管方法。

1号のケースをばらしてガムテープで留めて箱にして
格納庫完成(笑)

しばらくこれで保管していこうと思う。

全部で30号。
8か月後には全部完成しているはず。
そしたらまたRobiを乗っけて遊べるな。
いいねいいね!
でも、バッテリーの容量が小さすぎて
すぐに充電・・・・・これ何とかならないのかな。
まぁ、長時間遊んでるわけではないからいいけどね。
そうそう、かなりサーボが熱くなるんだよね。
そりゃケーブルの被服も溶けるっちゅうの。
他の場所も心配になってきた・・・
またその時考えよう。

ではまた。