爺さんが70の頃からの友達だったんだ、俺はまだ小さかったけれど。若造になった頃にはバーに連れて行ってくれたり、ビール飲んで、飲んだ時どう運転するかを教えてくれたり…爺さんが亡くなる前も会いに行って、二人で思い出話をした、目を閉じて。
爺さんは「もうすぐ待っている汽車が来る時間だ」と、ちょうど汽車を待つ無法者のように。70年代の名作、「汽車を待つ無法者のように = Desperados Waiting For The Train 」を歌ったのは、ガイ・クラーク。 この曲の話は昨年書きましたが、今回はそのアルバムの話などです。
前回と重複しますが、この曲は先に吹き込んでいたリタ・クーリッジや、ジェリー・ジェフ・ウォーカー(以下J.JJと略す)からだが、本人最初のアルバムが出たのは76年(日本盤)のこと。
美声と言う訳では無いけれど、"猫なで声的な優しさ"とは無縁の、少々無骨な男の包容力、そんなものを感じさせる歌声はとても魅力的で、「汽車を待つ無法者のように」は無論の事、A面の「L.A.フリーウェイ」や「オールド・タイム・フィーリング」、B面「ライク・ア・コート・フロム・ザ・コールド」などの佳曲から伝わります。
これら4曲は先にJ.Jのアルバムで紹介されていて、J.Jとガイはガイが地元テキサスで歌っていた頃からの知人。後にガイはロスに移り、ドブロ・ギターのメーカーで働きながら音楽活動をするも芽が出ず、ナッシュビルに移り、そこでJ.Jと再会したのがきっかけだそう。
一躍注目されるようになった彼の2枚目は、同じ76年に出た「テキサス・クッキン」で、これも悪くなかったし、参加したミュージシャンも豪華で、エミルー・ハリスがハーモニーを付けた「エニハウ・アイ・ラブ・ユー」とか、良い曲もあったのだが、最初のアルバムがインパクト強くて。それに年2枚のアルバムは多いかな?
そんな訳で、2枚目以降はすっかり忘れていたガイ・クラークに、再び出会たのは95年に出た「ダブリン・ブルース」で、これは発売から少々時間が経っていて、特価コーナーでの出会いだったったのが申し訳ないのですが。
最初の曲がアルバムタイトルになった「ダブリン・ブルース」、イントロのギターが嬉しい。ハーモニー・ヴォーカルを付けているのは、ナンシー・グリフィス。
そして変らぬ渋く男らしい声。若い頃から渋かったけれど、歳を重ねて、木の葉が敷き詰められた晩秋の森のように、熟した香りを放っているように感じるのです。
全体を通しドブロ・ギターやフラット・マンドリンが、落ち着いたカントリーの香りを醸し、そのあたりも熟した感じにつながるのかも知れませんが、このときガイ・クラークは50半ばで、ああこんなオヤジになりたいな、とまだ40代半ばだった私は思ったものでした。
その後ガイ・クラークさんは闘病生活に入り、悪性リンパ腫と戦っていたそうですが、2017年の今日5月17日に旅立たれてしまいました。
しかし、名曲「汽車を待つ無法者のように」は死なない。また誰かがカバーしてくれるかも知れない、そんな事を思いながら、今日はガイ・クラークさんを聞いています。
以上【聞きたい365日 第350話】でした。
【関連の過去ブログ】
2022/08/13 汽車を待つ無法者のように (1) ←歌の話と、一人暮らしのお爺さんの話。
2022/08/14 汽車を待つ無法者のように (2) ←廃線になった日高線と「汽車」の話です。