daddy-kのいきあたりばったりⅡ

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開拓の歴史村の炭焼き小屋

2024-12-04 | 故郷の話

私は道産子三代目ですが祖父は岐阜県春日村の出身。そこは滋賀県に接した岐阜最西端の村で、家業は木地師や炭を焼いて暮らしていたそうです。木地師は滋賀県が発祥と言われますが、そこから山伝いに伝わったようです。

今は廃村ですが、20年以上前に両親と弟とで訪ねた事があり、初めて来たのに何故か懐かしいのは不思議な感覚。なおここから揖斐町谷汲まで14㎞の遊歩道があり、1000m超えの鍋倉山を通るので、東海自然歩道の三大難所の一つと言われるそうです。

祖父は私が小学校に入り前る前に亡くなったので、直接は聞いていないのですが、北海道に渡ってからは、主に炭焼きで生計を立てていたみたいです。父の代になってからは水田と畑に代りましたが、農閑期の冬はやはり炭を焼いていました。

ですから冬の山と炭焼きとは、私の中でセットで結びつくので、そうだ!久し振りに北海道開拓の歴史村の炭焼き小屋を見に行こう、あそこは降雪期には通行止めになるからその前に… だったのですが、一度雪が積もった時点で既に閉鎖されていました。

残念ですが仕方が無い、と言う訳で以前に撮った写真を載せておきます。

炭窯の形は多様で、これは明治~大正期に小規模生産者が利用した角窯だそうです。父が造っていたのもほぼこれ位の大きさですが、土を練って窯を作っていました。確か石山の中の沢に残っていた窯もそうだったと思います。まだ残っているのでしょうか?

さて通行止めの手前が下川村にあった造材飯場で、山子や藪出しと呼ばれる山で働く人たちが、40人ほど寝泊りをしていたそうです。

更に手前にあるのが森林鉄道の機関車庫。左上の鉄の輪が入った角材は、何に使ったのでしょう? 空を見上げると野葡萄がポツポツと。一霜当たった葡萄は甘くなりますが、どんな味かはちょっと気になります。これで自家製ワインなど良いかなと思わずツバが。

甘くなったかは?ですがコリンゴでしょうか、真っ赤に色づきその奥には小川農場とサイロ。北大のモデルバーンの所でも書きましたが、サイロは北海道の原風景だと感じます。

一時はサイロが壊れてヤキモキしましたが、今は無事な姿に戻り一安心。でも他にも古い建物が多いですから、せめて北海道開拓の村文化財保存基金に寄附しなくては。ジジィになった今は入場がタダですからその分くらいは。たとえ貧者の一灯でもですが。

最後はサイロの中を覗かせてもらいました。そしてソーケシュオマベツ駅停所に旅商人が到着した様子。今日はここまでで充分満足で、ニシン御殿や商家はまたゆっくり見に来るとしましょう。



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