先月2日に、実家で法事があった関係で、ついでと言ってはなんですが、前日の1日に千葉へ出張の仕事を入れて、1月31日の晩から、2月4日に年休を取得して、その日まで埼玉の実家で過ごしていました。
この間、2月1日には、出張先で仕事を終えた後、実家近くでKT先輩と会食させていただき、年休を取得した4日には、千駄ヶ谷の将棋会館で行われている『女流棋士スーパーサロン』にお邪魔して、船戸 陽子 女流二段と鈴木 環那 女流初段の指導対局を受けてきました。
この両方の小生にとっての「イベント」で、ふと感じたことがあります。
それは、『普及』ということについてです。
今回は、応援団と『普及』ということについて、ちょっと感じていることを綴ってみたいと思います。
(将棋に関しても、小生なりに思うところがあるので、これは後日「続き」として、別にエントリーしたいと思っています。)
応援団に関しては、明治大学応援團リーダー部が、反社会的な不祥事を起こして解散という状況に追い込まれ、全国に存在する応援団にとっては、強烈な逆風が吹いている大変厳しいい状況にありますが、小生は応援団の「存在意義」は、それでもあると思っています。
この件に関しても、記事をアングラで草稿中ですので、大分先にはなるかもしれませんが、後日エントリーする予定です。猶予いただければ助かります。
ところで、KT先輩との2月1日の会食でも話題となったのですが、小生が高校3年間の応援指導部(応援団)での思い出を、『応援団に捧げた青春』としてシリーズ化して記事をエントリーし、これを読んでくださった読者の方の中に、「応援団って、今までのイメージとはちょっと違って、良いかも…」と、たった一人でも感じて下されば、それだけで十分…という思いで、駄文で恐縮ですが綴っています。
その意味では、応援団の記事をエントリーする度に、コメントを下さるわらさんには、感謝の思いで一杯ですね。
明治大学応援團リーダー部が、社会的に衝撃を与える不祥事を起こしてしまったため、このシリーズ記事をエントリーすることに多少の躊躇いがあって、ここ最近はペンディングになっていますが、シリーズ自体は、まだ小生自身が高校1年生の夏休みに入るか入らないか…の状態で稿が止まっていますから、まだまだ先を綴る用意はあります。
むしろ、今後の方が劇的で、読者の皆さんが誰しも驚く展開になります。
その意味では、このシリーズを楽しみにして下さっている読者の皆さんのご期待には応えられるんじゃないかと思っています。
その前に、明治大学応援團リーダー部の不祥事に関して、思うことを整理して記事にすることが、本エントリーとの比較で、エントリー順としては逆なってしまったので先になるとは思いますが、こうして、練習や規律は確かに厳しかったけれども、高校3年間在籍した応援指導部(応援団)で、経験したことを綴ることが、おこがましいですが、『普及』ということに貢献しているとしたら、拙ブログの存在意義は大いにあるんじゃないか…ということを、KT先輩と会食しながら、ディスカッションしている中で出てきた結論の一つです。
昨年末に明治大学応援團リーダー部の不祥事の大まかな実態が明らかになってから、拙ブログが、心ないクレーマーのためにコメント欄がひどく荒れたり、某巨大掲示板に拙ブログの明治大学応援團URLが晒されていたことが小生自身で調査した結果判明して、そこから雪崩れ込んできた読者が多数いたことが、アクセス解析の結果明らかになったので、コメント欄を「事前承認」とい措置を取らざるを得なくなったことは、管理人として正直心苦しいですが、だからといって、ブログを閉めることはないという激励を、会食の時にもKT先輩から頂戴しましたし、以前にもssayさんからコメント欄を通じて、そして今や拙ブログにとっての“師匠”とも言うべきnanaponさんからも、メールで激励されました。
正直、気持ちが折れそうになったので、お三方から頂戴した激励は、非常に心強かったですね。
ですので、『応援団バカ』を自任している以上は、お三方の激励に報いるためにも、小生が経験し、現在でも記憶に残っている思い出の数々を、逆風吹きすさぶ現在の状況にあっても、惜しみなく披露していくことが、『応援団の普及』という観点では、意味があることの様に思っています。
応援団に籍を置いていたという経験を通じて学んだことは、実は社会人となって、非常にいい形で表れています。
本来、そういうことが自然と学べ、身に付く場所が、応援団ではないか…と、個人的には感じています。
小生が、応援団を「応援する」立場で思いを綴ることが、何らかの波紋を広げる事になるのでしたら、これからも勇気を持って綴っていきたいと思いますし、それが『普及』に繋がることでしたら、ハンドボールの宮 大輔 選手ではないですが、何でもやるつもりです。
『普及』と書いたり言葉に出すと簡単に思えますが、そのためにやるべき事や思いつくこと、感じた事を伝えることは、実は大変なことかもしれません。
ですが、2月1日にKT先輩と会食し、長時間にわたってディスカッションさせていただいたことは、それをするための大きな勇気になりました。
これからも、応援団をあくまで「応援」していく立場で、応援団に関する記事を綴っていきたいと思っていますので、読者の皆さんの益々のご支援を頂戴できましたら、心強いと感じています。
この間、2月1日には、出張先で仕事を終えた後、実家近くでKT先輩と会食させていただき、年休を取得した4日には、千駄ヶ谷の将棋会館で行われている『女流棋士スーパーサロン』にお邪魔して、船戸 陽子 女流二段と鈴木 環那 女流初段の指導対局を受けてきました。
この両方の小生にとっての「イベント」で、ふと感じたことがあります。
それは、『普及』ということについてです。
今回は、応援団と『普及』ということについて、ちょっと感じていることを綴ってみたいと思います。
(将棋に関しても、小生なりに思うところがあるので、これは後日「続き」として、別にエントリーしたいと思っています。)
応援団に関しては、明治大学応援團リーダー部が、反社会的な不祥事を起こして解散という状況に追い込まれ、全国に存在する応援団にとっては、強烈な逆風が吹いている大変厳しいい状況にありますが、小生は応援団の「存在意義」は、それでもあると思っています。
この件に関しても、記事をアングラで草稿中ですので、大分先にはなるかもしれませんが、後日エントリーする予定です。猶予いただければ助かります。
ところで、KT先輩との2月1日の会食でも話題となったのですが、小生が高校3年間の応援指導部(応援団)での思い出を、『応援団に捧げた青春』としてシリーズ化して記事をエントリーし、これを読んでくださった読者の方の中に、「応援団って、今までのイメージとはちょっと違って、良いかも…」と、たった一人でも感じて下されば、それだけで十分…という思いで、駄文で恐縮ですが綴っています。
その意味では、応援団の記事をエントリーする度に、コメントを下さるわらさんには、感謝の思いで一杯ですね。
明治大学応援團リーダー部が、社会的に衝撃を与える不祥事を起こしてしまったため、このシリーズ記事をエントリーすることに多少の躊躇いがあって、ここ最近はペンディングになっていますが、シリーズ自体は、まだ小生自身が高校1年生の夏休みに入るか入らないか…の状態で稿が止まっていますから、まだまだ先を綴る用意はあります。
むしろ、今後の方が劇的で、読者の皆さんが誰しも驚く展開になります。
その意味では、このシリーズを楽しみにして下さっている読者の皆さんのご期待には応えられるんじゃないかと思っています。
その前に、明治大学応援團リーダー部の不祥事に関して、思うことを整理して記事にすることが、本エントリーとの比較で、エントリー順としては逆なってしまったので先になるとは思いますが、こうして、練習や規律は確かに厳しかったけれども、高校3年間在籍した応援指導部(応援団)で、経験したことを綴ることが、おこがましいですが、『普及』ということに貢献しているとしたら、拙ブログの存在意義は大いにあるんじゃないか…ということを、KT先輩と会食しながら、ディスカッションしている中で出てきた結論の一つです。
昨年末に明治大学応援團リーダー部の不祥事の大まかな実態が明らかになってから、拙ブログが、心ないクレーマーのためにコメント欄がひどく荒れたり、某巨大掲示板に拙ブログの明治大学応援團URLが晒されていたことが小生自身で調査した結果判明して、そこから雪崩れ込んできた読者が多数いたことが、アクセス解析の結果明らかになったので、コメント欄を「事前承認」とい措置を取らざるを得なくなったことは、管理人として正直心苦しいですが、だからといって、ブログを閉めることはないという激励を、会食の時にもKT先輩から頂戴しましたし、以前にもssayさんからコメント欄を通じて、そして今や拙ブログにとっての“師匠”とも言うべきnanaponさんからも、メールで激励されました。
正直、気持ちが折れそうになったので、お三方から頂戴した激励は、非常に心強かったですね。
ですので、『応援団バカ』を自任している以上は、お三方の激励に報いるためにも、小生が経験し、現在でも記憶に残っている思い出の数々を、逆風吹きすさぶ現在の状況にあっても、惜しみなく披露していくことが、『応援団の普及』という観点では、意味があることの様に思っています。
応援団に籍を置いていたという経験を通じて学んだことは、実は社会人となって、非常にいい形で表れています。
本来、そういうことが自然と学べ、身に付く場所が、応援団ではないか…と、個人的には感じています。
小生が、応援団を「応援する」立場で思いを綴ることが、何らかの波紋を広げる事になるのでしたら、これからも勇気を持って綴っていきたいと思いますし、それが『普及』に繋がることでしたら、ハンドボールの宮 大輔 選手ではないですが、何でもやるつもりです。
『普及』と書いたり言葉に出すと簡単に思えますが、そのためにやるべき事や思いつくこと、感じた事を伝えることは、実は大変なことかもしれません。
ですが、2月1日にKT先輩と会食し、長時間にわたってディスカッションさせていただいたことは、それをするための大きな勇気になりました。
これからも、応援団をあくまで「応援」していく立場で、応援団に関する記事を綴っていきたいと思っていますので、読者の皆さんの益々のご支援を頂戴できましたら、心強いと感じています。